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【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【『魔笛』とタコス】

2006年01月27日 | ニューヨーク再び
 明日1月27日(金)は、モーツアルトの250回目の誕生日にあたる。  ここニューヨークでも、リンカーンセンターやカーネギーホールで“モーツアルト生誕250周年記念コンサート”が目白押しで、とりわけここ1~2週間のコンサートはどれを選んでいいか迷うほどの充実ぶりだ。  24日(火)には、メトロポリタンオペラハウスでもっともポピュラーなオペラ『魔笛』を観た。  奇想天外なストーリーと心躍る軽快 . . . 本文を読む
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【ホワイト ニューイヤー】

2006年01月04日 | ニューヨーク再び
 電話をかけながら、ふと窓に目をやると雪が散らついている。 「Judy、雪だよ。雪が降って来た。窓の外を観てごらん。ホワイトニューイヤーになりそうだ」  クリスマス前後は思いのほか暖かく、期待した“ホワイトクリスマス”は楽しめなかった。  彼女の誕生日の26日にも雨が降ったが、雪になるほど気温は下がらなかった。  その代りに、天は大晦日に粋な計らいをしてくれるつもりのようだ。  電話の向 . . . 本文を読む
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【別れの朝“Judy,Bye now!”】

2005年11月05日 | ニューヨーク再び
 Judyがやってきたのは、3日の午前2時だった。    JFK空港行きの予約タクシーがやってくるのは、午前8時。  残された時間は、6時間しかない。  前日2日、やっと特殊な提訴に適合する弁護士を見つけたJudyは、ミーティングと書類づくりに追いまくられていた。  裁判は、2日後の4日金曜日。  初ミーティングを終えて弁護士事務所のあるウオール街から電話してきた彼女の声は、すっかり疲れ果ててい . . . 本文を読む
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【地下鉄のバイオリン弾き】

2005年10月27日 | ニューヨーク再び
 首と腰の痛みが、なかなか治らない。  慢性の腰痛に加え、突然首に激痛が来たのが先月の13日だったから、すでに1月以上もドクターロバート(カイロプラクター)のもとに通っていることになるのだが、この痛みはいったん日本に持ち帰らざるを得ないようだ。  Judyとやっと連絡がとれたせいか、ブルックリン、スタッテンアイランド、ハーレム、ニューヨーク湾シーカヤックと、がむしゃらに動き回ったこの1週間の疲 . . . 本文を読む
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【恋の病とハリケーン】

2005年10月26日 | ニューヨーク再び
 深夜、12時過ぎに電話が鳴った。  「Kiyoshi?ごめんなさい、なかなか電話できなくて」  「Judy!心配したぞ。いま、どこにいるんだ?」  「サウスキャロライナ。スーザンから、レスリーの仕事の手伝いを無理矢理頼まれちゃって。おまけに、ハリケーンがひどくて電話は通じないし、アムトラック(特急列車)も運休になったの。でも、27日の朝にはニューヨークに着けると思う」  「どうして、出発する前 . . . 本文を読む
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【“深くて暗い”ハドソン河を漕ぐ】

2005年10月25日 | ニューヨーク再び
 Judyがちっともかまってくれないので、ハドソン河に身を投げることにした。    スタッテンアイランドとブルックリンを結ぶベラザノナロウブリッジ(ニューヨークシティマラソンのスタートコース)をくぐって、大西洋への出口に向かって流されれば、名物のヒラメたちがこの身をきれいに食べ尽くしてくれるだろう。    というのは真っ赤な嘘で、実はシーカヤック(海用の細長いカヌー)でニューヨーク湾に漕ぎだし、“ . . . 本文を読む
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【黒い女神たち】

2005年10月24日 | ニューヨーク再び
 強い風雨の中を、ハーレムに向かった。  まずは、「シルビア」でソウルフードのディナー。  鶏の唐揚げ、スペアリブ、カマスの唐揚げ、野沢菜(のような菜っ葉の煮物)、ポテトサラダ、チャーハン(のような米料理)の6品をめいめいで取り分けて食す家庭料理(ルーツは白人の残り物を利用して作った奴隷料理にあるらしい)は、思ったよりもさっぱり味で、ハーレムの地ビールとともになかなかのレベルだった。  ハーレ . . . 本文を読む
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【初恋のごとく】

2005年10月23日 | ニューヨーク再び
 相変わらず、俺の常識では理解しきれない“Judy時間”に翻弄されている。  4日連続で“合流”(彼女はcombineという英語を使う)の時間変更とすっぽかしが続いたあと、突然連絡がとれなくなってしまったのだ。  もっとも、今回は約束を違えるたびに丁寧な誤りの電話やメッセージを寄越していたから、前回5月の行方不明とは様相を異にしている。  俺が彼女を叱ったわけでもなく、彼女が気分を害したわけ . . . 本文を読む
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【ハーレム哀歌】

2005年10月21日 | ニューヨーク再び
 やられてしまった。  ハーレムの北のはずれの坂道で、いきなり背後からパンチを喰らったのである。  さほど強い当たりではなかったが、右頬に黒い右拳がきれいに入り、頬骨がごつんと音を立て、頭がクラッときた。  腰を屈め戦闘態勢をとりながら振り向くと、明るいブルーのセーターを着た大柄の黒人ティーンエイジャーがこちらに顔を向けたまま後ずさりしている。    残念ながら眼鏡がずれて、その表情をよく見るこ . . . 本文を読む
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【秋の海辺にたたずんで(2)】

2005年10月20日 | ニューヨーク再び
 「家族と共に晩餐を済ますと、ちょうど7時半頃で、自分は杖を片手に、いつも、家の前の雑木と雑草の間を通ずる小径を辿り、小高い岡を越えて、海辺の方へと下りて行く。  と、波打際一帯は湿けた牧場で、ニューヨーク本州の海辺のように怒濤の激する岩や石なぞは一つもなく、沼か沢のように葦が生えている一条の長い浮洲が、緑の色鮮やかに、濃い藍色の海原に突き出ている、(後略)」  確かに、俺の目の前には「怒濤の激 . . . 本文を読む
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【秋の海辺にたたずんで(1)】

2005年10月20日 | ニューヨーク再び
 永井荷風が渡仏直前のひと夏を過ごしたスタッテンアイランドには、マンハッタン島最南端から出ている無料の市営フェリーに乗っておよそ25分ほどで渡ることができる。  隣接したバッテリーパークの船着き場からは、“自由の女神像”と移民博物館がある“エリス島”を巡る有料フェリーも出ているのだが、かの9/11以降は手荷物検査が厳しくなり、また女神像内部見学に予約が必要になったことなどもあって、「海上から女神 . . . 本文を読む
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【地下鉄に翻弄された夜】

2005年10月17日 | ニューヨーク再び
 久々に青空が顔を覗かせたというのに、昨日(15日土曜日)はひどい目にあってしまった。  映画『初恋のきた道』や『英雄』で知られるチャン イーモウ監督の『紅いランタンを掲げよ!』舞踊版のチケットが、地下鉄の遅れでフイになったのである。  会場は、ニューヨーク南端のブルックリンにある「BAM(ブルックリン アカデミー オブ ミュージック)」。マンハッタンとは違って土地勘もなく、地下鉄も入り組ん . . . 本文を読む
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【荷風もはまったワーグナー楽劇】

2005年10月16日 | ニューヨーク再び
 昨夜(14日金曜日)、メトロポリタンオペラハウスで『アイーダ』(ヴェルディ)の今季初演を観た。  歌手は粒ぞろいで、久々に劇場を震わせるような声量をもつソプラノ(アイーダ)とテノール(ラダメス)を堪能したのだが、どこかでオペラの世界に浸りきれない自分がいる。  これは、先月19日に観た今季オープニングガラ(フィガロの結婚、トスカ、サムソンとデリラを一幕ずつ)でも、さらには 10月に入って観た . . . 本文を読む
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【捕鯨船長クーパーとマンハッタン号の冒険】

2005年10月14日 | ニューヨーク再び
 冷たい雨と強風を突いて、カーネギーホールそばの日本クラブに出かけた。    同クラブ創立100周年記念事業の一環として開かれた「捕鯨船でやってきた草の根親善大使/クーパー船長」と題した講演を聴くためである。  日本クラブやジャパンソサエティなどの日本人交流組織にはまったく関心はなかったのだが、永井荷風がフランスに渡るため父の命に従いニューヨークでいやいや銀行員をやっていたのがちょうど100年前 . . . 本文を読む
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【コンサートホール漂流記】

2005年10月13日 | ニューヨーク再び
 火曜日にホテルからアパートに戻り、新しい部屋に落ち着いた。  残念ながら、今度の部屋からはリバーサイドパークの樹々を見ることはできない。  冷たい秋雨に振り込められながら、狭い中庭に面した同じような建物の壁と窓だけを眺めるのは辛いことだが、この部屋ではなぜかFMラジオの電波が安定していて、前の部屋のようにイライラすることなくクラシック音楽を聴き続けることができる。  そのせいか、夕方のカイロ . . . 本文を読む
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