【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【ナコン・パノムの印象】

2007年08月23日 | アジア回帰
 3日目にして、ようやく風邪の症状が治まってきた。

 昨日がもっともひどい状態で、頭痛、鼻づまり、喉の痛み、咳という4重苦。

 外に出たのは食事の時だけで、あとは風邪薬を飲んでひたすら、ここサワンナケトの宿に垂れ込めていた。

      *

 ビエンチャンを離れたのは、19日(日)だった。

 朝7時のローカルバスに乗り、午後1時にタケークに着いた。

 空き地のようなバスターミナルでトゥクトゥクを拾い、とりあえずメコン川沿いにあるイミグレーションまで行ってみることにした。

 車上から町の様子を眺めているうちに、町の中心が川から離れていることが分かった。

 いつもの調子で徒歩で動き回るのは、どうも厄介そうだ。

 それに、雲行きも怪しくなってきた。

 そこで、イミグレーションからフェリーに乗って一気にタイのナコン・パノムまで渡ることにした。

 トゥクトゥク2万キップ、出国フィー1万キップ、フェリー代1万5000キップ。

 これまでに3回国境(メコン川)を越えたが、出国フィーという訳の分からない料金を取られたのはこれが初めてである。

 フェリーは、乗客が15人を越えないと出ないという。

 船着場から試しにラーに電話を入れてみると、なぜかつながってしまった。

「キヨシ!元気?ラオスで、もう新しいガールフレンドを見つけたの?」

「何を馬鹿なこと言ってる!」

 そこで、ぷつんと切れてしまった。

 やれやれ。たぶん、通話カードを買い足す必要があるのだろう。

 タイの携帯電話は、月額式とプリペイカードを買い足していく式のふたつの支払い方法があり、後者の方がずっと安くつく。

 20分ほどして、対岸からフェリーがやってきた。

 乗客のほかに、野菜や果物が満載だ。

 乗り込むと、すぐに雨が降り出し、やや上流側にあるタイ側イミグレーションに向かうフェリーの舳先で、両国の岸辺が雨に煙って見えた。

 5分ほどで船着場に着くと、どしゃ降りになった。

 バッグを抱えて船を飛び出し屋根の下まで行くのに、わずか1秒ほど要しただけなのに、頭もバッグもびしょ濡れである。

 雨宿りをしながら入国カードに記入しているのは、私ともうひとりのアジア人だけである。

 ほかの乗客は、全員ラオス人かタイ人らしい。

 ビエンチャンを離れてから、ファラン(欧米人)をまったく見かけなくなった。

 タケークを離れるときに、バスターミナルで一組のカップルを見かけたきりだ。

 入国手続きは簡単に済んだが、ここでも「ボート・ポート・フィー」という意味不明の料金を50バーツ請求された。

 今後のことを考えて、おとなしく支払うことにした。

 雨があがるのを待って、すぐ近くのファーストホテルに投宿した。

 室内に水浴び場があり、160バーツはまあまあだろう。

 宿帳に記入していると、受付の女性が「コン・ジープン(日本人)。こんにちは」と片言の日本語で話しかけてきた。

 こちらも片言のタイ語で応答する。

 タイに戻ると、なぜだか少しほっとする自分がいる。

 水のシャワーを浴び、食べきれなかった昼食用のサンドイッチを肴にビアチャンを飲んだ。

 ラジオから、『ここに幸あれ』のタイ語版リメイク曲が流れてきた。
      
      *

 宿を出ると、すぐにセブンイレブンが見つかった(ラオスでは、まだセブンイレブンを見かけたことがない)。

 携帯電話用のカードを買って、町を歩いてみることにした。

 先の通りが露天市になっており、懐かしいタイの食べ物や果物があふれている。

 タイとラオスの市場や食べ物にさほどの違いはないのだが、タイのほうがやや垢抜けている感じがする。

 歩きながら気づいたことは、この町はほとんど観光客を意識していないということである。

 英語表記がほとんどなく、お決まりのインターネットカフェも見かけない。

 町の外側には市庁舎、病院、郵便局などの立派な公共施設があり、整備されたメコン川の川沿いではジョギングや散歩を楽しむ家族連れの姿が目立つ。

 とりたてて観光化しなくても十分にやっていけるだけの税収があるのだろうか、タイの経済成長を象徴するようなゆとりある姿がやけに印象に残った。

 タイでもっとも貧しいとされるイサーンの最深部、というイメージはまったくない。

 それどころか、イミグレーションから先の整備された遊歩道の姿を見ていると、東京の隅田川沿いを思い起こさせるほどである。

 つまり、人工的に過ぎるのである。

 そういえば、川沿いの市場は巨大なショッピングビルに収斂され、6時になるとそそくさと店じまいが始まった。

 町中の猥雑な市場が健在だからまだ救われるものの、この国境沿いの町でも〝近代化〟は至上命題となっているのだろうか。

 ひととおり町を歩いたあと、センソン(タイウイスキー)を買って川べりの遊歩道に舞い戻った。

 だが、つまみになるようなものを売っているのは、わずか2台の「のしイカ売り屋」だけだった。

 なんだか味気ない思いで、センソンの水割りをあおった。

 水辺の風は心地よく、ビエンチャンとは違って整備された川原には蚊一匹いなかったけれど・・・。
 
       *
 
 翌20日(月)は、タイ東北部でもっとも知名度の高いタート・パノムに出かけた。

 ガイドブックには「近郊」とあったので軽く考えていたら、川沿いで拾ったソンテオは一本道を果てしなく突っ走っていく。

 1時間を過ぎたころ、不安になって運転手に質すと「まだまだ先だよ。何しろ、町から75キロだからねえ」と笑う。

 相当の出費を覚悟したが、料金はわずか30バーツ(約100円)。

 ラオスのトゥクトゥクは「ガソリン代が高い」という理由から割高感が拭えないが、タイのソンテオの低料金は感動的ですらある。

       *

 タート・パノムは、息を呑むほどに美しい仏塔だった。

 タイで一般的な黄金一色ではなく、白地をバックに金色のデザインがほどこされている。

 線香、花、ろうそくの一式を買って、仏塔に捧げる。

 心静かなひとときを過ごして、町に戻った。
 
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