まるで、雨季のような激しいスコールや長雨が続いている。
在チェンマイ総領事館からのメールでは、強い低気圧群がミャンマーに入り、さらにインドからサイクロンが移動中とのことで、当面のあいだ局地的な大雨に注意が必要とのことである。
まあ、わが家は川に近いとはいえ高台にあるから浸水などの心配はないだろうが、なにせボロ家なので、雨漏りや屋内への吹き込みがひどくて困ってしまう。
だが、村人の関心はもっぱら雨後に湧いてくる大量の蛙にあり、雨が降り出すと夜の“蛙漁”の準備に余念がない。
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私の看病で“出撃”を自粛していた嫁のラーも、2日前の大雨襲来にはついに我慢ができなくなったらしい。
「クンター、友だちが今夜蛙捕りに行こうと誘ってくれたの。わたし、あなたにぜひ蛙捕りの様子を見てもらいたい。できれば、一緒に行ってほしいんだけど・・・」
「腹の具合はだいぶよくなったけど、背中がまだ痛いから俺はいけないよ。それに、蛙のいる沢には毒蛇がいっぱいいるんだろう?」
「うん、蛇も蛙が大好きだからね。でも、わたしはナイフを持っていくから大丈夫だよ。それに、わたしの体のどこかには“蛇よけ”の入れ墨があるから、蛇に噛まれても問題ないの」
それは、彼女の母親からの言い伝えで、ラーが生まれたとき、祖父が彼女の体のどこかに小さな墨を入れてくれたのだという。
しかし、それはとてもとても小さなものであったらしく、私も一度彼女の頭のてっぺんから足の先まで探してみたことがあるのだけれど、とうとう見つけることはできなかった。
だが、その効能は抜群で、若い頃にいちど毒蛇に噛まれたときも死ななかったし、子育て中に野原で昼寝をしていたとき顔の上まで近づいてきたコブラが襲いかかることなく去っていったこともあるという。
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「まあ、お前さんは問題ないとしても、俺には“蛇よけ”のお守りはないからなあ・・・」
「大丈夫。私が、ナイフで守るから!」
「お前さんが魚捕りや蛙捕りに熱中すれば、周りのことなど目に入らなくなってしまうのは俺が一番よく知っているよ」
そう皮肉をいうと、嫁はいたずらがばれた子どものような顔で照れ笑いをした。
「とにかく、体調がいまひとつだから、今回は遠慮しとくよ。俺のことは心配しなくていいから、思い切り蛙や蛇と闘ってこい」
「うん、分かった。じゃあ、行ってくるね」
夜になって、再び激しい雨が降り始めたが、ラーはそんなことなど気にもとめず、ヘッドランプのバッテリーを肩に下げた勇ましい姿で闇の中に飛び出して行った。
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静かになった部屋で、久しぶりにヴェートーベンの『第七』を聴きながら本を読んでいると、今度は甥っ子のポーとイエッが飛び込んできた。
手にした袋から、ギェーッ、ギェーッという不思議な鳴き声がする。
そっと鍋にあけると、そこには大量の蝉がうごめいている。
体形は基本的に日本のワシワシ蝉と同じだが、胴体がずんぐりと平べったくどうも不格好である。
こういう場合、日本の蝉は「ジーッ、ジーッ」という感じでもがき鳴くはずであるが、彼らは「ギェーッ、ギェーッ」である。
ちなみに、通常の鳴き声は日本の蝉と同じように聞こえるのであるが・・・。
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さて、このワルガキども、いったい何を始めるのかと思いきや、おもむろにフライパンを熱し始め、煙が上がった瞬間、生きた大量の蝉をいきなりフライパンに放り込んでしまった。
蝉たちは、鳴き声もあげず即昇天。数秒で、“蝉の空揚げ”のできあがりである。
そこへ、醤油をふりかけ、羽もむしらず頭からかぶりつく。
香ばしい匂いがして、かりかりと音を立てながら、いかにもうまそうである。
匂いをかぎつけた隣家の主婦がやってきて、「クンターもどうぞ」とすすめてくれるのだが、胃腸の調子が万全ではないので、これも今回は遠慮することにした。
この“蝉料理”は、隣家のプーノイの大好物だそうで、数匹の蝉を平らげた甥っ子たちは、残りの蝉をすべて長老のプーノイに献上することにしたらしい。
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翌朝は、近所の衆が集まって、昨夜収穫した大量の蛙の調理が賑やかに始まった。
ご存知、トムヤムクン(クンはエビ)と同様の赤く辛いスープの中に、内臓をとってぶつぎりにした蛙を放り込んで煮込む「トムヤムゴップ(ゴップは蛙)」である。
あいにく、この朝、私は再び下痢をして、この蛙料理も遠慮することになったのであるが、これまでの体験からすると、蛙の肉は鶏肉同様にあっさりとしてそう悪くはない。
ただ、小骨が多いのが難点といえば難点であろうか。
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何でも食べる事が自慢の私ですが、ゲン・コッ(蛙のス-プ)とゲン・オン(牛糞入り辛口肉ス-プ)は食べられません。
早く御元気に成ってオムコイの生活をエンジョイして下さい。
嫁の話では「蝉の空揚げは羽蟻の佃煮よりはるかにうまい」そうです。近いうちに、いちど試してみようと思っているところです。