【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【ハッピーソンクラン!】

2008年04月14日 | アジア回帰
 明け方5時、村中に銃声が響きわたった。

 銃声は、連鎖するように相次ぎ、ソンクラン(伝統正月)の幕開けを告げる。

 隣家のプーノイ(修業した人)の予告通り、村人たちが空に向けて猟銃をぶっ放し始めたのである。

 これに呼応するように鶏たちが鳴き始め、もう眠ってはいられない。

        *

 わが家の年明けの最初の行事は、「髪洗い」の儀式である。

 嫁のラーが湯を沸かし、その中に乾燥した果物(マカー厶に似ているがなかなか手に入らない希少な果物らしく、前日親しくしているモーピー(霊媒師)から入手した)と庭から掘り出した薬草根(根生姜状でオレンジ色)を入れる。

 煮立ったところで適温にぬるめ、それを私の頭にかけてマッサージするように擦り込んでいく。

 その作業を行いながら、ラーが呪文のようなものを唱え始めた。

「何をぶつぶつ言っているんだ?」

「新しい年の初めにあたって、幸運が訪れますように。もし何か悪いことが体に起こっても、この聖水がすべてを取り除いてくれますように。そして、私たちふたりが永遠に仲良く暮らせますように」

 嫁も同じように自らの長い黒髪に聖水を注ぎ、擦り込み、儀式は終了した。

 この儀式は家族全員に行うのだが、息子のヌンは昨夜酔っ払って友人の家に泊まったらしく、ラーが母親代わりをしている甥っ子のイエッとポーも、すでに遊びに出かけてしまった。

 彼らへの儀式は後回しにして、私は豚の世話に出かけた。

 新年といえども、家畜の世話は休み知らずだ。

        *

 豚舎から戻ると水浴びを済ませ、ソンクラン用の白い花柄のシャツに着替える。

 ラーがお盆の上に、例の聖水と白い花と100バーツ、ついでに私用の朝食を載せ、共に隣家のプーノイ宅に向かう。

 これも北部タイ独自の行事らしく、村の高齢者を訪う風習らしい。

 プーノイは私たちをにこやかな表情で迎え入れ、何やら呪文のようなものを唱えながら、私と嫁の両手首に白い木綿糸を巻きつけてくれた。

「新年にあたって、ふたりがいつまでも仲むつまじく暮らせますように。お互いがお互いの言い分を聞き合って、助け合いながら暮らせますように」

 そのあと、村の焼酎を猪口に注ぎ、それを順繰りに飲み干して儀式は終了した。

 あとは、例によって献杯の応酬である。

 胃潰瘍騒動以来、一切の献杯を断ってきた私も、新年のめでたい席ではガードを緩めざるを得ない。

 小一時間ほどかけてビール瓶に詰めた焼酎を飲み干し、最後の猪口に残った澱をためつすがめつしつつプーノイがわれわれの吉凶を占う。

「ふたりとも、少し考えすぎるきらいがある。もっとのんびりと暮らしを楽しむように。そうすれば、きっと今年もいいことがある」

        *

 その後、プーノイ、モーピー、甥っ子などがわが家を訪れ、玄関先のベランダで宴会が始まった。

 ラーがバケツに水を汲み、ひしゃくで水をずくって、各人の首筋から背中にかけて水を流し込む。

 これが伝統的な水掛けで、チェンマイのようにいきなり顔面に水をぶっかけたりはしない。

 そのあと、白いパウダーを水に溶いて、額、鼻筋、両頬に塗り付けていく。

 ここではラーが本来のいたずらっ子ぶりを発揮し、私たちの顔は田舎芝居の役者のように真っ白になってしまった。

         *
 ソンクラン2日目の今日、水掛けはだんだん激しさを増してきた。

 酔っ払いも続出で、喧嘩も絶えない。

 バイクで走れば、道路沿いでバケツやホースを抱えた子供たちが待ちかまえており、ラーはわざわざバイクのスピードを緩めて「ありがとう」といいながら、水を浴びる。

 後部座席の私もびしょ濡れで、パソコンとカメラはビニール袋で密封してバッグに収めている。

 したがって、まだソンクランの水掛け風景をカメラに収めることができないのである。




 



 
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