【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【停電の夜】

2007年06月19日 | アジア回帰
 近所の食堂で鶏肉炒飯を食べていたら、案の定激しいスコールが降り始めた。

 やむなく、読めないタイ語の現地新聞を眺め、聞き取れないテレビニュースを眺めて時間をつぶした。

 ふと気づくと、それまで私と同じように時間をつぶしていた客や軒先で雨宿りをしていた人たちが、すっかり姿を消している。

 「アッ」と思って立ち上がると、からかうように再び雨脚が強くなった。

 彼らは、一瞬の雨の途切れを察知して、すばやく家路に着いたらしかった。

 さすが、スコール慣れした現地の人々である。

 やむなく、私は再びテレビの前に座ってテレビニュースをぼんやりと眺め続けた。

       *

 1時間ほどで、雨脚が弱まった。

 日本の長雨とは違い、スコールはいつか止むものである。

 急ぎ足で宿のほうに向かうと、前方の道路に大木が倒れこんでいる。

 その大木が電柱をなぎ倒し、道路上には千切れた電線が散乱している。

 近所の人たちがそれを遠巻きに見守り、中には撮影をしている人もいる。

 私の姿をみて「危ないから近づくな」というようなことを言った。

 道路は、雨で濡れている。

 感電でもしたら、大変だ。

 慎重に足元を眺めながら、倒木の根元を回りこんで向こう側に出た。

 見ると、前方の電柱は軒並みなぎ倒され、町並み一帯が停電している。

 幸い、宿には影響がなかったが、いつも水を買う近所の商店の店先は真っ暗だった。

「停電だね」

 不謹慎にも、私が笑顔で声をかけると、おばさんもなぜか嬉しそうに「まったくねえ」などと笑いながら答える。

 これが完全な停電なら話は違うのだろうが、被害が限定されてさほど深刻な状況ではないので、久々の“事件”をみんな楽しんでいるという風情なのである。

 そんなわくわく気分が感染したのだろうか、宿に帰ると私は山登り用のコンパクトなヘッドライトを取り出して装着し、部屋の電気を消して本を読み出した。

 まるで、山中のテントで夜を明かしているような気分だ。

 一度、誰かが無言でドアをノックしたが、この楽しい遊びを邪魔されたくなかったので、無視したまま本を読み続けた。

 そして、いつの間にか眠ってしまった。

        *

 朝のウオーキングを済ませ、オレンジジュースとマングッ(マンゴスチン)を買って宿に戻ると、芝生にラーが座り込んでいた。

 すでに、マッサージ学校での授業が始まっている時間だ。

「どうした?学校には行かなかったのか?」と訊くと、話があるという。

 こちらには話などないのだが、やむなく付き合うことにした。

「キヨシ、あなたがどうして怒っているのかわたしには分からない」

 また、その話の蒸し返しか・・・。

「いいか、ラー。金曜日の夜にも話したように、キミは俺との約束を守らなかった。嘘をついたんだ。だから、俺はキミがすっかり嫌いになった。だから、もうキミとは話がしたくないんだ」

「わたしがエレンのボーイフレンドをここに連れてきたから?」

「それは、俺には関係ない話だ。俺はキミの夫でも、ボーイフレンドでもない。ただ、キミはマッサージ学校に入ったら、酒もやめる、煙草もやめる、夜遊びもやめて勉強に専念すると俺に約束したよな。マッサージの資格を取って、人生を変えてみせると約束したよな?」

「・・・でも、ちゃんと学校には行っているよ」

「当たり前だ!俺が言っているのは、キミが結局は酒も煙草も夜遊びも止められなかったということなんだ。いくら口でうまいことを言っても、結局キミは自分自身をコントロールすることができない。変えることができない。だから、俺は愛想を尽かしたんだ。おまけに、エレンがフランスに帰った翌日にそのボーイフレンドと夜遊びするなんて、最低だと思わないのか?」

「・・・」

「とにかく、俺はもうこれ以上お前さんとは関わらない。とにかく、学校へ行けよ。なぜ、学校に行かないんだ?」

「・・・考えることがいっぱいある」

「考えたって無駄だ。いま大切なことは学校へ行くことだ」

 ラーが、テーブルの上のペットボトルをつかんで芝生に叩きつけた。

 やれやれ、これがラーの限界なのだろう。

「・・・クレイジーガール」

 呆れた私は、そう呟きながら席を立った。

 しばらくして、「ファッキング・マン!」というお得意の下品きわまる悪態を怒鳴り散らす声が庭の方から聞こえてきた。

 もう、これで誰も相手にしないだろう(ラーの本性を知らない気の毒な若いファラン以外には・・・)。

 幾度か酒や食事をたかられたYも、すでに愛想を尽かして新しい旅に出るという。

 私もそろそろ、チェンマイから中国は雲南の昆明に飛んで、久々に洛陽の小楊(xiao yang)に会いに行こうかと考えているところだ。

 ホテルのビジネスセンターで働いている小楊と知り合ったのは、彼女が18歳のときだった。

 私がジュディを追ってニューヨークに沈没している間に、彼女は働きながら大学に入り、すでに3年が経過した。

 たまに送ってくれる写メールで見る彼女は、すっかり大人びた。

 おそらく、中国を起点に3年あまりも旅を続けて一向に行方定まらぬ私の姿を見れば、呆れかえるだろう。

「クレイジー・ドラゴン(私の中国でのあだ名。彼女のあだ名はクレイジー・タイガー)、しっかりしなきゃ駄目だよ!あなたは私の日本のお父さんなんだから!」

 そんな小言を思い浮かべて、私はなんだか幸せな気分になる。



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