ウイワッのお兄ちゃんが、生姜湯を作ってくれた。
なぜかコーヒーのような色をした濃厚な生姜湯をひとくちすすると、生姜独特の芳香と苦味と甘みとが同時に広がり、咳で荒れ果てた喉にじわじわと染み込んでいく。
身体全体がぽかぽかとぬくもりを帯び始めると、喉全体にもやもやとした快感が湧き上がってきて、思わず「アロイ(うまい)!ディマークマーク(これはとても喉にいい)!」とつぶやいていた。
いかつい顔のお兄ちゃんが、満面に笑みをたたえて親指を突き立てた。
名前がまだ覚えられないのだが、このお兄ちゃん(42歳)には去る土曜日の夜に初めて会って意気投合した。
彼は英語はまったくしゃべれないのだが、丸っこい身体全体から人の良さがにじみ出るような好人物である。
最初に会ったとき、私は中学時代の同級生でこれまた身体全体から人のよさが滲み出ていた出井という男の河馬のような愛すべき風貌を思い出したものだ。
土曜日は、宿で知り合ったMという日本人男性に漢方の風邪薬をもらったので、それを飲んで早めにベッドに潜り込んだ。
すると、10時過ぎに実家に帰っていたはずのウイワッがドアを叩いた。
「身体の調子はどうだい?心配だったから、一日早く帰ってきたんだ」
「薬を飲んで、さっき寝たばかりなんだ」
「宝くじが当たったから、遊びに行こう。俺の兄貴も一緒だよ」
「せっかくだけど、今日はやめとくよ。薬も飲んだことだし」
いつものウイワッならここで引き下がるところだが、今日は珍しく酒が入っているらしい。かなり強引だ。
「マイペンライ。気分を換えてカラオケでぱっと騒げば、病気も吹き飛ぶよ」
おいおい、俺が咳き込んで喉を痛めているのは十分承知だろう・・・
そう言いかけたが、今日はラーに不快な思いをさせられたこともあって、“気分を換える”という言葉の魅力に負けてしまった。
部屋を出ると、薬をくれたMさんがひとりでビールを飲んでいた。
「よく分からんけど、どうも宝くじが当たったんでおごると言ってくれてるみたいです。一緒にどうですか?」
そう誘って宿を出ると、ソンテオの脇にお兄ちゃんが立っていたのだ。
このあと、ふたりの行きつけのカラオケ店で乾杯と相成ったのだが、私はタイ語がほとんど喋れないし、喉を痛めていなくてもタイ語のカラオケは歌えない。
そこで場を盛り上げてくれたのが、タイ語もそこそこ喋れて、タイ語の歌も“振り”付きで歌えるMさんだった。
このMさん、ちょっと盛り上がりすぎて、その後の2軒目、3軒目でタイ人も真っ青な“困ったくん”に変身するのだが、そのことはいずれ書くことにしよう。
ともかく、その夜、私とウイワッとお兄ちゃんの3人はお互いを“ディーマークマーク(とてもいい人)”だと確認しあい、Mさんひとりを残して明け方にそれぞれの家に戻ったのだった。
*
酒が入り過ぎると、眠れないという悪い癖がある。
昨日(日曜日)もまったく眠ることができず、8時ごろにはウオーキングに出かけて汗とウイスキーを流すことにした。
そして、マッサージを受けながらうたた寝することを思いついた。
結局、昨日はマッサージ屋を3軒はしごして、通算6時間の極上うたた寝を楽しんだ。これで600バーツ(2000円弱)だから、言うことはない。
そのままワット・プラシン(プラシン寺)まで歩いてお参りを済ませ、胃に負担のかからない「さつま揚げ入り麺」を2杯平らげた。
そして、多彩な売り物や出し物で賑わうサンデー・マーケットをぶらぶらと歩き、宿に帰った。
薬を飲んで、ベッドに入った。
10時間以上は、眠ったと思う。
*
そして、今朝。身体が重いので、起きようかどうか迷っていると、ウイワッが部屋にやってきた。
彼は、具合が悪いときは外に出て気分転換をすべきだと信じ込んでいるらしい。
「今日、友だちが来るから家に遊びに来ない?」
「実家のことかい」
「いや、チェンマイの郊外だよ。離婚していた妻も家に戻ってきたんだ。近所には、日本に行った事もあるお爺さんがいて英語もしゃべれるんだよ」
彼もほとんど英語が喋れないから、ほとんど推測にもとづく会話でよく事情が分からないのだが、せっかくの誘いだから乗ることにした。
彼の家は古い一戸建てで、こじんまりとした1階屋なのだが、数種類の果樹が雑然と植わった庭があり、なかなかいい雰囲気だ。
隣接して奥さんの実家があり、つまり「離婚していた」奥さんは、この隣家に移動していただけだったのである。
真向かいに“英語をしゃべる”おじいさんの家があり、挨拶に行くとなかなか流暢な英語をしゃべり、ときおり「北海道」「高い」などの日本語がまじる。
耳が遠いので「会話が弾む」とはいかなかったが、もともとは農業学者でハワイや日本、台湾などをしばしば訪れているという。
いまは悠々自適の身で、奥さんとともに仏教関係の著作をしているというから、相当の知識人なのだろう。
あいにく、こちらの仏教知識やタイ語力が乏しいので突っ込んだ話はできなかったが、こんな出会いがあるとは想像もしていなかっただけに、有意義な時間となった。
その後、やってきた友人と共に広々とした公園らしきところに私を連れていき、芝生の上に茣蓙を敷いて休ませてくれた。
ひと休みしてあたりを見回すと、数人の男たちが山車のようなものを作っている。
そこにお兄ちゃんがいすゞのピックアップトラックに乗ってやってきて、ワイ(合掌)をしながら微笑みかける。
話を聞くと、もうすぐ選挙があって、この公園のような広い芝生は彼らが応援している候補者の邸宅の一部なのだという。
彼らは、明日の選挙運動パレード(数台の車を連ねて町を練り歩くのだそうな)に備えて準備をしているところで、テントの下には女性軍人候補者の巨大なポスターが並んでいた。
隣りにはワット・サンルアンという小さな寺があり、ついでにお参りを済ませて、今度はお兄ちゃんの家に向かった。
そして、お兄ちゃんが濃厚な生姜湯を作ってくれたというわけだ。
生姜湯を飲み干すと、今度は大豆を砕いて豆乳を作ってくれる。
台所の奥にある広い水屋には巨大な鍋が並んでいる。
ウイワッは「兄はミルクを売っている」と言っていたのでてっきり牛乳屋さんかと思っていたら、お兄ちゃんは豆乳の製造・販売をしているのだった。
家もそこそこ大きく、居間にはパソコンが2台も並び、カラオケルームもあるので、経済的にはかなり恵まれているのだろう。
奥さんは、庭でびしょぬれになって車を洗っている。
おばあちゃんは、居間のソファで昼寝中だ。
初めて、チェンマイの中流庶民の暮らしぶりを垣間見た気分だった。
*
そのうち、お兄ちゃんがどこかに電話をかけ「パーサージープン(日本語)」と言いながら、その携帯を私に手渡した。
タイ式に「ハロー」と言うと、「こんにちは」という女性の声がする。
きれいな日本語だが、少したどたどしい。
「日本語がとても上手ですね。日本に行った事があるんですか?」
「いいえ、少し勉強しただけです。チェンマイには、どのくらい?」
「そろそろ、一月半になります」
「誰と来ましたか?」
「ひとりです。2年前にカミさんが亡くなったものだから」
「それは寂しいですね。恋人はいますか?」
「今はいません」
「大丈夫ですよ。そのうちに、いい人が見つかりますよ。よかったら、うちにもぜひ遊びにきてください」
「ありがとう、機会があったらぜひ」
そんな話を久しぶりに丁寧語で交わして電話を切った。
お兄ちゃんが微笑む。
「うちの遠縁のもので、いまは離婚してひとりなんだ」
ウイワッが付け足す。
「ここから150キロくらい離れたところに住んでる。明日にでも行ってみる?」
これはつまり、一種の見合いのセッティングだったらしいのだ。
ウイワッには、亡くなった妻のことも別れたばかりのベンのことも話してある。
彼は、気性が荒く、礼儀知らずで酒飲みのラーを嫌っている。
だから、最近ラーが私につきまとうようになったことをひどく心配しているのだ。
そんな話をお兄ちゃんにしたところ、お兄ちゃんも本気で私の世話をしようと思ったらしい。
いやはや、本当に心優しい人たちだ。
ベンとの別れのあとで、こんな人たちに出会えた幸運に感謝したい。
なぜかコーヒーのような色をした濃厚な生姜湯をひとくちすすると、生姜独特の芳香と苦味と甘みとが同時に広がり、咳で荒れ果てた喉にじわじわと染み込んでいく。
身体全体がぽかぽかとぬくもりを帯び始めると、喉全体にもやもやとした快感が湧き上がってきて、思わず「アロイ(うまい)!ディマークマーク(これはとても喉にいい)!」とつぶやいていた。
いかつい顔のお兄ちゃんが、満面に笑みをたたえて親指を突き立てた。
名前がまだ覚えられないのだが、このお兄ちゃん(42歳)には去る土曜日の夜に初めて会って意気投合した。
彼は英語はまったくしゃべれないのだが、丸っこい身体全体から人の良さがにじみ出るような好人物である。
最初に会ったとき、私は中学時代の同級生でこれまた身体全体から人のよさが滲み出ていた出井という男の河馬のような愛すべき風貌を思い出したものだ。
土曜日は、宿で知り合ったMという日本人男性に漢方の風邪薬をもらったので、それを飲んで早めにベッドに潜り込んだ。
すると、10時過ぎに実家に帰っていたはずのウイワッがドアを叩いた。
「身体の調子はどうだい?心配だったから、一日早く帰ってきたんだ」
「薬を飲んで、さっき寝たばかりなんだ」
「宝くじが当たったから、遊びに行こう。俺の兄貴も一緒だよ」
「せっかくだけど、今日はやめとくよ。薬も飲んだことだし」
いつものウイワッならここで引き下がるところだが、今日は珍しく酒が入っているらしい。かなり強引だ。
「マイペンライ。気分を換えてカラオケでぱっと騒げば、病気も吹き飛ぶよ」
おいおい、俺が咳き込んで喉を痛めているのは十分承知だろう・・・
そう言いかけたが、今日はラーに不快な思いをさせられたこともあって、“気分を換える”という言葉の魅力に負けてしまった。
部屋を出ると、薬をくれたMさんがひとりでビールを飲んでいた。
「よく分からんけど、どうも宝くじが当たったんでおごると言ってくれてるみたいです。一緒にどうですか?」
そう誘って宿を出ると、ソンテオの脇にお兄ちゃんが立っていたのだ。
このあと、ふたりの行きつけのカラオケ店で乾杯と相成ったのだが、私はタイ語がほとんど喋れないし、喉を痛めていなくてもタイ語のカラオケは歌えない。
そこで場を盛り上げてくれたのが、タイ語もそこそこ喋れて、タイ語の歌も“振り”付きで歌えるMさんだった。
このMさん、ちょっと盛り上がりすぎて、その後の2軒目、3軒目でタイ人も真っ青な“困ったくん”に変身するのだが、そのことはいずれ書くことにしよう。
ともかく、その夜、私とウイワッとお兄ちゃんの3人はお互いを“ディーマークマーク(とてもいい人)”だと確認しあい、Mさんひとりを残して明け方にそれぞれの家に戻ったのだった。
*
酒が入り過ぎると、眠れないという悪い癖がある。
昨日(日曜日)もまったく眠ることができず、8時ごろにはウオーキングに出かけて汗とウイスキーを流すことにした。
そして、マッサージを受けながらうたた寝することを思いついた。
結局、昨日はマッサージ屋を3軒はしごして、通算6時間の極上うたた寝を楽しんだ。これで600バーツ(2000円弱)だから、言うことはない。
そのままワット・プラシン(プラシン寺)まで歩いてお参りを済ませ、胃に負担のかからない「さつま揚げ入り麺」を2杯平らげた。
そして、多彩な売り物や出し物で賑わうサンデー・マーケットをぶらぶらと歩き、宿に帰った。
薬を飲んで、ベッドに入った。
10時間以上は、眠ったと思う。
*
そして、今朝。身体が重いので、起きようかどうか迷っていると、ウイワッが部屋にやってきた。
彼は、具合が悪いときは外に出て気分転換をすべきだと信じ込んでいるらしい。
「今日、友だちが来るから家に遊びに来ない?」
「実家のことかい」
「いや、チェンマイの郊外だよ。離婚していた妻も家に戻ってきたんだ。近所には、日本に行った事もあるお爺さんがいて英語もしゃべれるんだよ」
彼もほとんど英語が喋れないから、ほとんど推測にもとづく会話でよく事情が分からないのだが、せっかくの誘いだから乗ることにした。
彼の家は古い一戸建てで、こじんまりとした1階屋なのだが、数種類の果樹が雑然と植わった庭があり、なかなかいい雰囲気だ。
隣接して奥さんの実家があり、つまり「離婚していた」奥さんは、この隣家に移動していただけだったのである。
真向かいに“英語をしゃべる”おじいさんの家があり、挨拶に行くとなかなか流暢な英語をしゃべり、ときおり「北海道」「高い」などの日本語がまじる。
耳が遠いので「会話が弾む」とはいかなかったが、もともとは農業学者でハワイや日本、台湾などをしばしば訪れているという。
いまは悠々自適の身で、奥さんとともに仏教関係の著作をしているというから、相当の知識人なのだろう。
あいにく、こちらの仏教知識やタイ語力が乏しいので突っ込んだ話はできなかったが、こんな出会いがあるとは想像もしていなかっただけに、有意義な時間となった。
その後、やってきた友人と共に広々とした公園らしきところに私を連れていき、芝生の上に茣蓙を敷いて休ませてくれた。
ひと休みしてあたりを見回すと、数人の男たちが山車のようなものを作っている。
そこにお兄ちゃんがいすゞのピックアップトラックに乗ってやってきて、ワイ(合掌)をしながら微笑みかける。
話を聞くと、もうすぐ選挙があって、この公園のような広い芝生は彼らが応援している候補者の邸宅の一部なのだという。
彼らは、明日の選挙運動パレード(数台の車を連ねて町を練り歩くのだそうな)に備えて準備をしているところで、テントの下には女性軍人候補者の巨大なポスターが並んでいた。
隣りにはワット・サンルアンという小さな寺があり、ついでにお参りを済ませて、今度はお兄ちゃんの家に向かった。
そして、お兄ちゃんが濃厚な生姜湯を作ってくれたというわけだ。
生姜湯を飲み干すと、今度は大豆を砕いて豆乳を作ってくれる。
台所の奥にある広い水屋には巨大な鍋が並んでいる。
ウイワッは「兄はミルクを売っている」と言っていたのでてっきり牛乳屋さんかと思っていたら、お兄ちゃんは豆乳の製造・販売をしているのだった。
家もそこそこ大きく、居間にはパソコンが2台も並び、カラオケルームもあるので、経済的にはかなり恵まれているのだろう。
奥さんは、庭でびしょぬれになって車を洗っている。
おばあちゃんは、居間のソファで昼寝中だ。
初めて、チェンマイの中流庶民の暮らしぶりを垣間見た気分だった。
*
そのうち、お兄ちゃんがどこかに電話をかけ「パーサージープン(日本語)」と言いながら、その携帯を私に手渡した。
タイ式に「ハロー」と言うと、「こんにちは」という女性の声がする。
きれいな日本語だが、少したどたどしい。
「日本語がとても上手ですね。日本に行った事があるんですか?」
「いいえ、少し勉強しただけです。チェンマイには、どのくらい?」
「そろそろ、一月半になります」
「誰と来ましたか?」
「ひとりです。2年前にカミさんが亡くなったものだから」
「それは寂しいですね。恋人はいますか?」
「今はいません」
「大丈夫ですよ。そのうちに、いい人が見つかりますよ。よかったら、うちにもぜひ遊びにきてください」
「ありがとう、機会があったらぜひ」
そんな話を久しぶりに丁寧語で交わして電話を切った。
お兄ちゃんが微笑む。
「うちの遠縁のもので、いまは離婚してひとりなんだ」
ウイワッが付け足す。
「ここから150キロくらい離れたところに住んでる。明日にでも行ってみる?」
これはつまり、一種の見合いのセッティングだったらしいのだ。
ウイワッには、亡くなった妻のことも別れたばかりのベンのことも話してある。
彼は、気性が荒く、礼儀知らずで酒飲みのラーを嫌っている。
だから、最近ラーが私につきまとうようになったことをひどく心配しているのだ。
そんな話をお兄ちゃんにしたところ、お兄ちゃんも本気で私の世話をしようと思ったらしい。
いやはや、本当に心優しい人たちだ。
ベンとの別れのあとで、こんな人たちに出会えた幸運に感謝したい。