13日に、バンビエンに移動した。
ルアンプラバーンを出たのが、午前10時。
6人乗りのミニバン(タイヤラオスでは公共バスの他に、時間短縮を図るミニバンやゆったりした座席のあるVIPバスが普及している)で、オーストラリア人とラオス人のゲイカップルがかもし出す異様な雰囲気に悩まされながらも、山越えの景観は素晴らしく、5時間20分の旅はあっという間に感じられた。
目に付いたのは、山を貫く道路の両側に張り付くように形成されたごとに異なる家々である。
高所では、やはり材料が乏しいのだろう、簡素な木材と竹組みの家が多く、平地に近づくにつれ、木材や壁材、屋根材などがバラエティ豊かになってくる。
タイのような山岳民族独特の衣装や肩掛けバッグなどは見かけず、どのでも同じような服装で、女たちは巻きスカートを着用している。
それにしても、ラオスの山々は峻険だ。
穏やかな山容の多かったタイに比べ、ゴツゴツした岩肌の山が目立ち、バンビエンに近づくにつれ、まるで群馬の榛名山を思わせるようなギザギザの山並みが延々と続くのである。
そんな山中の道路で、「春名運送」「楠原産業」と書かれた日本で寿命を終えたはずのトラクターやダンプカーが健気にも頑張っている姿が印象的だった。
町に近づくと、牛と鶏が道路を占領してクルマはしばしば徐行した。
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バンビエンは、小さな町である。
旅人の間ではドラッグやマリファナの町として知られているらしいが、昼間見ればただの一本道をはさんで形成されたにわかづくりの観光地という印象で、照りつける陽光がやけに厳しい。
目当ての宿にたどり着くと、異常なほどの量の汗が吹き出した。
だが、川沿いに出るとその印象は一変する。
クルマから見えたような岩肌の山々が幻想的な景観を醸し、その裾を穏やかな流れの川が縫うように流れている。
川の水はくすんだような緑色で、メコンやその支流の真っ赤な水に鳴れた目には?清流?に映るのである。
水辺を覆う亜熱帯の原生林が、その景観に穏やかな彩を添える。
今日は、その川をチュービング(トラクター用の巨大なチューブに乗って川を下る)で楽しんで見たのだが、まことに穏やかな流れで、カヤックとはまたひとあじ違った川遊びの醍醐味を味わうことができた。
町の至るところにカヤックや洞穴トレッキングの看板が出ており、この町の売り物は?自然?と緩やかに流れる?時間?であることがうかがえる。
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ところで、昨夜ラーの様子が気になって5日ぶりに電話してみると、マッサージの仕事を始めようとしてパーイを再訪したところ、バイク事故を起こしてしまい、おまけに胃からの出血があって身動きが取れなくなっているという。
幸い、怪我のほうは大したことはなかったようだが、胃の具合はとても気になる。
「胃の具合が悪いのに、どうしてパーイに行ったりするんだ?」
「だって、早く仕事を始めたかったから。オムコイは雨季に入って、全然観光客が来なくなったの。あなたはチェンマイで働けというけど、チェンマイにはもうたくさんのマッサージ店がある。でも、パーイなら私の学んだ医療マッサージが生かせる余地がまだまだあると思うの。だから、あなたと泊まったビラ・デ・パーイの支配人に会って、あそこのコテージで開業できないかと相談してみたの。ところが、胃からまた出血しちゃって、とうとう病院に行く羽目になっちゃった・・・」
「医者はなんと言ってるんだ?」
「胃に大きな問題があるって」
「当たり前だ。レントゲンは撮ったのか?」
「ううん。医者は撮りたがったけど、お金が高すぎて私には払えない。とりあえず薬をもらって、その費用は支配人が立て替えてくれた。彼はとてもいい人で、宿泊費も安くしてくれるって」
これまでの経緯を考えると、おそらくストレスによる胃潰瘍の類だろうが、開業の相談に行った先で倒れて、しかも借金するなんて、幸先の悪い話である。
病気を押してまでパーイに行ったのは、やはり一年間を通じて観光客が絶えないあの町でどうしても勝負をして見たかったのだろう。
金も何の準備もないのに、まったく無鉄砲な話だが、私がタイを離れた途端に後先も考えず闇雲にパーイに向かった彼女の心境を思えば、愛おしさもわいてくる。
ここは、何とか手助けをせねばなるまい。
*
ひと晩考えた末、今朝もう一度ラーに電話し、支配人とも直接話してみた。
ラーの言うとおり、おだやかな話し振りで、ラーに対して悪印象も持ってはいないようだ。
友人として、ラーの窮状を救ってほしいという口ぶりだった。
そこで、明日、急遽ビエンチャンに移動することにした。
首都のビエンチャンなら、ここよりも各種のインフラは整っていることだろう。
タイとの国境も近く、橋を渡ればノンカーイというタイの町に入ることもできる。
電話で話しているときも、ラーは激しい吐き気を催し、そのたびに微小な出血があるという。
治療も急がなければなるまい。
「ラー、とにかくレントゲンを撮るんだ。検査しないと、何も始まらないぞ」
「わたし、もうすぐ死ぬかもしれない。その前に、キヨシに会いたい」
「人間、そんなに簡単に死にはしないよ。それに、俺はいまラオスにいるんだ」
「でも、会いたいよ・・・」
「バカ、泣くんじゃない。お前は27歳で後家さんになってから、12年間も群がる男どもを蹴散らしてきたストロング・ウーマンなんだろう?」
小さな泣き笑いの声が聞こえた。
「どうして、ラオスに行っちゃったの?わたしには分からない」
「あれほど話し合ったのに、まだ分からないのか?」
「分かったけれど、とにかく会いたいんだよ!」
「分かってるよ。分かっているけど、どうしようもないんだよ・・・。とにかく、ビエンチャンに行けばまた新しい考えも浮かぶさ。また、電話するよ。お前さんは、治療のことだけを考えるんだ。分かったな?」
「分かった。電話くれて、ありがとう。体に気をつけてね」
*
いやはや。
30年連れ添ったカミサンは、頚椎損傷、そして肺がん。
2年前ニューヨークで出会ったジュディは、心の病。
昨年末チェンマイで出会ったベンは、脳腫瘍。
そして、この5月に知り合ったばかりのラーは、おそらく胃潰瘍。
私が出会う女たちは、いつも何かのトラブルを抱えている。
これは、私の業なのであろうか。
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