チェンマイの郊外に、サンカンペンという温泉地がある。
クルマで行けば、30分足らずのところだ。
ベンと初めて知りあった昨年12月のある日、彼女は「山と仏陀が大好き」と自己紹介した。
「そんなに好きなら、両方に行ってみようよ」
そう言うと、2日目にはお寺にお参りに、4日目には山並みを眺めに郊外へ連れ出してくれた。
その山並みを眺めた場所が、サンカンペン温泉だった。
場内の最深部では、温泉が噴水のように高く噴き出している。
その周囲に足湯、男女別の個人湯、グループ湯、温泉プール、卵湯(温泉卵を作って食す)などが配置され、レストランやソムダム(パパイヤサラダ)売り場などの食事どころも揃っている。
最初に来たときは、芝生に座って温泉卵とソムダムを一緒に食べ、その絶妙の味の組み合わせに思わず唸ってしまった。
その頃のベンは元気いっぱいで、足湯や温泉にはまったく興味を示さなかった。
私も、この暑いタイに浴槽のある温泉施設があるなどとは夢にも思っていなかった。
ベンが「温泉に入りたい」と言い出したのは、今月に入ってからだ。
ランパーンの実家から帰ってくるとぐったりした表情で、「温泉にゆっくり浸かりたいなあ」「マッサージも気持ちいいだろうなあ」などと溜め息まじりに呟くようになったのだ。
今日もよっぽど疲れていたのだろう。
携帯の向うでたどたどしく「タダイマ!」と日本語で言うと、「キヨシ、サンカンペンに行きたいんだけど、クルマ運転してくれる?」と切り出した。
私がタイの免許を持っていないことは、ベンもよく知っている。
だから、これまでいくら「運転を代わる」と行っても絶対にうんと言わなかった。
自分から運転してほしいと言うなんて、初めてのことだ。
これは、よっぽどの事が起こっているに違いない。
「ベン、いったいどうしたんだ?目が見えにくいのか?運転できないのか?」
「ううん、問題ないよ。ちょっと、疲れただけ」
「よし、すぐに病院に行こう。温泉は、そのあとでも遅くない」
「今日は病院には行きたくない。とても疲れたから、温泉で疲れを癒したいの。病気の友だちが温泉に行ったら、とても楽になったって。だから、お願い。今日は温泉に連れていって」
それほど言うのなら、仕方がない。
明日必ず病院に行くという約束をさせて、電話を切った。
30分後に4階の部屋から駐車場に降りていくと、ベンはすでに助手席に座っている。
こんなことも初めてだ。
「キヨシはクルマの混んでいる市内で運転しちゃ絶対ダメ」というのが彼女の口癖だったのだ。
「ベン、郊外に出るまでは警察が検問しているかもしれないから、キミが5分間くらい運転してくれ。そしたら、俺と運転を代わろう」
「オーケー」
クルマを出した途端、ベンの携帯電話が鳴った。
彼女が誰かと短く言葉を交わして、すぐに電話を切った。
「いま、カブロッヨン(クルマを運転中)って言った?」
「うん、私のタイ語が分かったんだね」
レッスンの成果あって、こうして彼女の会話の一部が拾えるととても気分がいい。
郊外の赤信号で、運転を代わった。
久しぶりの運転でやや緊張したが、基本的な交通ルールは日本と同じだからまったく違和感はない。
「ところで、ベン。この道路の速度制限はいったい何キロなんだい?」
「私、知らない」
ベンの運転はいつも前方車の流れに乗るやり方で、たいてい60キロ前後。
時には80キロ、100キロで追い抜いたり突っ走ったりする。
道路標識には、速度表示のようなものは見当たらない。
このいい加減さが、タイの真骨頂だろう。
そこで私も流れに乗って、邪魔なクルマはシフトダウンして一気に追い抜くことにした。
ベンは、すぐに目をつむってウトウトし始めた。
タイ語の表示板の下には小さな英語表記もあるから、問題はない。
後部座席に座った友人のノンは、かなり視力が落ちているので道案内はできない。
知りあった頃、携帯電話を目に擦り付けるようにして見ていたから近視がひどいのかと思っていたら、今月半ばに両目の手術をすることになったという。
病名は分からないが術後1週間は目を開けることができないので、ベンは自分の症状も顧みず病院に泊まり込むで付き添うつもりでいる。
陽気で楽天的な印象の強いタイ人だが、数多くの身近な人たちが病気に苦しんでいる。
道の両側は、のどかな田園風景だが白い煙が地上すれすれまで覆って視界を遮っていた。
このところ野焼きや山火事の影響で、チェンマイ周辺の空は白く煙っている。
クルマの排ガスをメインにした大気汚染とも相まって、空気中には微粒な有毒物質が浮遊しているらしい。
領事館からは、在留届を出している日本人に対し「外出を控えるように。やむなく外出の場合は、マスク着用のこと」というお達しも届いているという。
目覚めたベンが、「チェンライ、ランプーン、チェンマイの順で汚れがひどいって。汚染のせいで、子供や年寄りがたくさん病院に担ぎ込まれているんですって」とテレビニュースの情報を伝えてくれた。
平日だというのに、サンカンペーンにはかなりの数のファラン(白人)やタイ人の団体客がいた。
私は男性用の個室風呂に、ベンとノンは女性用の少人数風呂にそれぞれ別れて入ることになった。
「俺はレディーボーイ(おかま)だから、ベンやノンと一緒に入っても問題ないよ」というと、ベンが「駄目だよ!」とむきになって怒る。
キスはおろか手を握るのも触れるのも駄目、男と女はただしゃべるだけ・・・という厳しい村の戒律の中で育ったベンは、こうした軽いジョークにも生真面目に反応するから面白い。
個人風呂は殺風景で、横1メートル半、奥行き2メートル半くらいの個室に木製の浴槽をコンクリートで囲った湯船が据え付けてあるだけだ。
脱衣所はなく、貸しバスタオルや脱ぎ捨てた服は壁のフックにひっかける。
熱湯と水のふたつの蛇口をひねって、自分で湯加減を調節する。
湯船のまわりには赤アリが這いまわっているので、桶で熱湯をぶっかけた。
体を仰向けに伸ばしながらゆるゆると浸かると、柔らかな湯質が体を包み込む。
湯をすくって顔や腕をさすると、すべすべした感触が心地よい。
もう何年もご無沙汰している故郷の山鹿温泉(熊本県)の“ぬるぬる感”を思い出させる名湯である。
いやはや。
タイでこんないい風呂に入れるとは、思いがけない発見だった。
風呂を出ると、さっそく小さな竹篭に入った鶏卵とうずらの卵を買って温泉に沈める。
待つ間にソムダムを頼み、私はビール、ベンはソフトクリームで乾いたのどをうるおした。
腹が減ったので、“ママ”と呼ばれるカップヌードルを買って湯を入れてもらう。
トムヤムクン(酸っぱさと辛さが微妙に絡み合ったタイの有名なエビスープ)味のヌードルとソムダム、温泉卵(特にうずらの卵がよろしかった)との組み合わせはこれまた絶妙で、ママを2カップもお代わりしてしまった。
隣りでくつろぐタイ人おばさん軍団のバカ話を聞きながら、ベンが大笑いしている。
家の建て替えを決意してからのベンは、こうした大らかな笑いをすっかり忘れてしまった。
その笑い顔に釣られて一緒に笑いながらも(私にはなぜベンが笑っているのか分からない)、明日の診察のことが頭から離れない。
ベンもそうだったらしく、帰り道でまたまた「明日、病院に行きたくない」と言い出した。
昨日の“柱立て”の様子を携帯カメラで見せながら、こんな話を続ける。
「柱が立ったとき、爺ちゃんが幸福そうに笑ったの。私もママも、本当に嬉しかった。でも、まだ材木が足りないんだ。病院に行くと、どうしてもお金がかかるでしょ。月に一回の検査だけでも、大変なお金よ。今は家族のために、一日も早く家を完成させたいから・・・」
「でも、ベンの病気がひどくなったら、爺ちゃんや家族を助けられなくなるんだぞ。それに、まだ悪い病気と決まったわけじゃない。念のために早めに検査して、何も問題がなければそれでみんながハッピーになれるじゃないか」
「でも、問題があったら?私、手術はいやだ。そのためにお金使うくらいなら、家を建てて家族を幸せにしたい。ベンは死んでも、構わないんだ」
「ベン、キミは本当に死んでもいいのか?キミが死んだら、家族が一番悲しむんだぞ」
「分かってる。分かっているんだけど・・・」
おそらく、ベンの頭の中も解決のつかない堂々巡りなのだろう。
考え過ぎがストレスを生み、そのストレスが患部を刺激して頭痛やめまいや吐き気をもたらす。
私は溜め息をつきつつ、運転に集中するよう心がけた。
話したいことがあったのだろう。
行きがけにベンは、今夜は私の部屋のテレビで自分の部屋では見られない洋画を観たいと話していた。
ところが、チェンマイ市内に入ると「疲れちゃった。アパートに帰ってひと休みしてから電話してもいい?」と言い出した。
1月中旬から、ベンのアパートには高校生の従姉妹が同居していて、私は立ち寄ることができない。
なんでも、従姉妹の両親は海外に出稼ぎに出ており数人の友だちとアパートを借りていたのだが、夜遊びがひどくなったためにベンの母親がベンに“監視役”を命じた。
ベンは叔母(従姉妹の母親)から金を預かり、使いすぎないよう毎日100バーツを手渡さなければならない。
タイミング的には、ベンが村の“霊仏陀”から私の存在を叱責された頃と重なっており、私はむしろ母親が従姉妹にベンの監視役を命じたのではないかと深読みしている次第なのであるが・・・。
ともかく、ベンはアパートに戻り、私は自分の部屋でパソコンに向かった。
2時間ほどして、電話が鳴った。
「少し横になり、シャワーを浴びて薬を飲んだら少し楽になったわ。キヨシ、私やっぱり病院に行きたくない。病院に行けば、あなたにも絶対に経済的な負担をかけることになるから・・・」
受話器の向うで、辞書をめくる音がする。
こちらも、ノートをめくって習ったばかりの単語や言い回しを拾い上げる。
英語にときおり織り交ぜるたどたどしい日本語とタイ語は、通じることもあれば通じないこともある。
お互いに言い直させてみたり、誉めあってみたり。
そんなことをしているうちに、ノンのアパートにピー(幽霊)が出る話になり、ベンはピーの泣き声を真似たり、ピーの原因となった数年前の飛び降り自殺の様子などを見てきたように解説する。
大笑いしながら、知りあった当初はいつもこんな愉快な話をしては笑いあっていたことを寂しい気持ちで思い出す。
祖母が余命を宣告され、ベンが実家の建て替えを決意した1月末頃から、ベンは冗談を言う余裕すら失ってしまった。
実家から帰ってくるベンをイライラしながらチェンマイで待つことしかできなくなった私は、眠りを失い、酒量を増やすばかりだ。
今日の温泉ドライブは、束の間の安らぎだったわけだが、明日はどんな結果が待ち受けているのか。
おそらく、今夜も眠りは浅く短いだろう。
クルマで行けば、30分足らずのところだ。
ベンと初めて知りあった昨年12月のある日、彼女は「山と仏陀が大好き」と自己紹介した。
「そんなに好きなら、両方に行ってみようよ」
そう言うと、2日目にはお寺にお参りに、4日目には山並みを眺めに郊外へ連れ出してくれた。
その山並みを眺めた場所が、サンカンペン温泉だった。
場内の最深部では、温泉が噴水のように高く噴き出している。
その周囲に足湯、男女別の個人湯、グループ湯、温泉プール、卵湯(温泉卵を作って食す)などが配置され、レストランやソムダム(パパイヤサラダ)売り場などの食事どころも揃っている。
最初に来たときは、芝生に座って温泉卵とソムダムを一緒に食べ、その絶妙の味の組み合わせに思わず唸ってしまった。
その頃のベンは元気いっぱいで、足湯や温泉にはまったく興味を示さなかった。
私も、この暑いタイに浴槽のある温泉施設があるなどとは夢にも思っていなかった。
ベンが「温泉に入りたい」と言い出したのは、今月に入ってからだ。
ランパーンの実家から帰ってくるとぐったりした表情で、「温泉にゆっくり浸かりたいなあ」「マッサージも気持ちいいだろうなあ」などと溜め息まじりに呟くようになったのだ。
今日もよっぽど疲れていたのだろう。
携帯の向うでたどたどしく「タダイマ!」と日本語で言うと、「キヨシ、サンカンペンに行きたいんだけど、クルマ運転してくれる?」と切り出した。
私がタイの免許を持っていないことは、ベンもよく知っている。
だから、これまでいくら「運転を代わる」と行っても絶対にうんと言わなかった。
自分から運転してほしいと言うなんて、初めてのことだ。
これは、よっぽどの事が起こっているに違いない。
「ベン、いったいどうしたんだ?目が見えにくいのか?運転できないのか?」
「ううん、問題ないよ。ちょっと、疲れただけ」
「よし、すぐに病院に行こう。温泉は、そのあとでも遅くない」
「今日は病院には行きたくない。とても疲れたから、温泉で疲れを癒したいの。病気の友だちが温泉に行ったら、とても楽になったって。だから、お願い。今日は温泉に連れていって」
それほど言うのなら、仕方がない。
明日必ず病院に行くという約束をさせて、電話を切った。
30分後に4階の部屋から駐車場に降りていくと、ベンはすでに助手席に座っている。
こんなことも初めてだ。
「キヨシはクルマの混んでいる市内で運転しちゃ絶対ダメ」というのが彼女の口癖だったのだ。
「ベン、郊外に出るまでは警察が検問しているかもしれないから、キミが5分間くらい運転してくれ。そしたら、俺と運転を代わろう」
「オーケー」
クルマを出した途端、ベンの携帯電話が鳴った。
彼女が誰かと短く言葉を交わして、すぐに電話を切った。
「いま、カブロッヨン(クルマを運転中)って言った?」
「うん、私のタイ語が分かったんだね」
レッスンの成果あって、こうして彼女の会話の一部が拾えるととても気分がいい。
郊外の赤信号で、運転を代わった。
久しぶりの運転でやや緊張したが、基本的な交通ルールは日本と同じだからまったく違和感はない。
「ところで、ベン。この道路の速度制限はいったい何キロなんだい?」
「私、知らない」
ベンの運転はいつも前方車の流れに乗るやり方で、たいてい60キロ前後。
時には80キロ、100キロで追い抜いたり突っ走ったりする。
道路標識には、速度表示のようなものは見当たらない。
このいい加減さが、タイの真骨頂だろう。
そこで私も流れに乗って、邪魔なクルマはシフトダウンして一気に追い抜くことにした。
ベンは、すぐに目をつむってウトウトし始めた。
タイ語の表示板の下には小さな英語表記もあるから、問題はない。
後部座席に座った友人のノンは、かなり視力が落ちているので道案内はできない。
知りあった頃、携帯電話を目に擦り付けるようにして見ていたから近視がひどいのかと思っていたら、今月半ばに両目の手術をすることになったという。
病名は分からないが術後1週間は目を開けることができないので、ベンは自分の症状も顧みず病院に泊まり込むで付き添うつもりでいる。
陽気で楽天的な印象の強いタイ人だが、数多くの身近な人たちが病気に苦しんでいる。
道の両側は、のどかな田園風景だが白い煙が地上すれすれまで覆って視界を遮っていた。
このところ野焼きや山火事の影響で、チェンマイ周辺の空は白く煙っている。
クルマの排ガスをメインにした大気汚染とも相まって、空気中には微粒な有毒物質が浮遊しているらしい。
領事館からは、在留届を出している日本人に対し「外出を控えるように。やむなく外出の場合は、マスク着用のこと」というお達しも届いているという。
目覚めたベンが、「チェンライ、ランプーン、チェンマイの順で汚れがひどいって。汚染のせいで、子供や年寄りがたくさん病院に担ぎ込まれているんですって」とテレビニュースの情報を伝えてくれた。
平日だというのに、サンカンペーンにはかなりの数のファラン(白人)やタイ人の団体客がいた。
私は男性用の個室風呂に、ベンとノンは女性用の少人数風呂にそれぞれ別れて入ることになった。
「俺はレディーボーイ(おかま)だから、ベンやノンと一緒に入っても問題ないよ」というと、ベンが「駄目だよ!」とむきになって怒る。
キスはおろか手を握るのも触れるのも駄目、男と女はただしゃべるだけ・・・という厳しい村の戒律の中で育ったベンは、こうした軽いジョークにも生真面目に反応するから面白い。
個人風呂は殺風景で、横1メートル半、奥行き2メートル半くらいの個室に木製の浴槽をコンクリートで囲った湯船が据え付けてあるだけだ。
脱衣所はなく、貸しバスタオルや脱ぎ捨てた服は壁のフックにひっかける。
熱湯と水のふたつの蛇口をひねって、自分で湯加減を調節する。
湯船のまわりには赤アリが這いまわっているので、桶で熱湯をぶっかけた。
体を仰向けに伸ばしながらゆるゆると浸かると、柔らかな湯質が体を包み込む。
湯をすくって顔や腕をさすると、すべすべした感触が心地よい。
もう何年もご無沙汰している故郷の山鹿温泉(熊本県)の“ぬるぬる感”を思い出させる名湯である。
いやはや。
タイでこんないい風呂に入れるとは、思いがけない発見だった。
風呂を出ると、さっそく小さな竹篭に入った鶏卵とうずらの卵を買って温泉に沈める。
待つ間にソムダムを頼み、私はビール、ベンはソフトクリームで乾いたのどをうるおした。
腹が減ったので、“ママ”と呼ばれるカップヌードルを買って湯を入れてもらう。
トムヤムクン(酸っぱさと辛さが微妙に絡み合ったタイの有名なエビスープ)味のヌードルとソムダム、温泉卵(特にうずらの卵がよろしかった)との組み合わせはこれまた絶妙で、ママを2カップもお代わりしてしまった。
隣りでくつろぐタイ人おばさん軍団のバカ話を聞きながら、ベンが大笑いしている。
家の建て替えを決意してからのベンは、こうした大らかな笑いをすっかり忘れてしまった。
その笑い顔に釣られて一緒に笑いながらも(私にはなぜベンが笑っているのか分からない)、明日の診察のことが頭から離れない。
ベンもそうだったらしく、帰り道でまたまた「明日、病院に行きたくない」と言い出した。
昨日の“柱立て”の様子を携帯カメラで見せながら、こんな話を続ける。
「柱が立ったとき、爺ちゃんが幸福そうに笑ったの。私もママも、本当に嬉しかった。でも、まだ材木が足りないんだ。病院に行くと、どうしてもお金がかかるでしょ。月に一回の検査だけでも、大変なお金よ。今は家族のために、一日も早く家を完成させたいから・・・」
「でも、ベンの病気がひどくなったら、爺ちゃんや家族を助けられなくなるんだぞ。それに、まだ悪い病気と決まったわけじゃない。念のために早めに検査して、何も問題がなければそれでみんながハッピーになれるじゃないか」
「でも、問題があったら?私、手術はいやだ。そのためにお金使うくらいなら、家を建てて家族を幸せにしたい。ベンは死んでも、構わないんだ」
「ベン、キミは本当に死んでもいいのか?キミが死んだら、家族が一番悲しむんだぞ」
「分かってる。分かっているんだけど・・・」
おそらく、ベンの頭の中も解決のつかない堂々巡りなのだろう。
考え過ぎがストレスを生み、そのストレスが患部を刺激して頭痛やめまいや吐き気をもたらす。
私は溜め息をつきつつ、運転に集中するよう心がけた。
話したいことがあったのだろう。
行きがけにベンは、今夜は私の部屋のテレビで自分の部屋では見られない洋画を観たいと話していた。
ところが、チェンマイ市内に入ると「疲れちゃった。アパートに帰ってひと休みしてから電話してもいい?」と言い出した。
1月中旬から、ベンのアパートには高校生の従姉妹が同居していて、私は立ち寄ることができない。
なんでも、従姉妹の両親は海外に出稼ぎに出ており数人の友だちとアパートを借りていたのだが、夜遊びがひどくなったためにベンの母親がベンに“監視役”を命じた。
ベンは叔母(従姉妹の母親)から金を預かり、使いすぎないよう毎日100バーツを手渡さなければならない。
タイミング的には、ベンが村の“霊仏陀”から私の存在を叱責された頃と重なっており、私はむしろ母親が従姉妹にベンの監視役を命じたのではないかと深読みしている次第なのであるが・・・。
ともかく、ベンはアパートに戻り、私は自分の部屋でパソコンに向かった。
2時間ほどして、電話が鳴った。
「少し横になり、シャワーを浴びて薬を飲んだら少し楽になったわ。キヨシ、私やっぱり病院に行きたくない。病院に行けば、あなたにも絶対に経済的な負担をかけることになるから・・・」
受話器の向うで、辞書をめくる音がする。
こちらも、ノートをめくって習ったばかりの単語や言い回しを拾い上げる。
英語にときおり織り交ぜるたどたどしい日本語とタイ語は、通じることもあれば通じないこともある。
お互いに言い直させてみたり、誉めあってみたり。
そんなことをしているうちに、ノンのアパートにピー(幽霊)が出る話になり、ベンはピーの泣き声を真似たり、ピーの原因となった数年前の飛び降り自殺の様子などを見てきたように解説する。
大笑いしながら、知りあった当初はいつもこんな愉快な話をしては笑いあっていたことを寂しい気持ちで思い出す。
祖母が余命を宣告され、ベンが実家の建て替えを決意した1月末頃から、ベンは冗談を言う余裕すら失ってしまった。
実家から帰ってくるベンをイライラしながらチェンマイで待つことしかできなくなった私は、眠りを失い、酒量を増やすばかりだ。
今日の温泉ドライブは、束の間の安らぎだったわけだが、明日はどんな結果が待ち受けているのか。
おそらく、今夜も眠りは浅く短いだろう。