【タイ山岳民族の村に暮らす】

チェンマイ南西200キロ。オムコイの地でカレン族の嫁と綴る“泣き笑い異文化体験記”

【途方にくれて】

2007年03月15日 | アジア回帰
 とりあえず、脳腫瘍の疑いは晴れた。

 病院専属通訳のAさんに付き添ってもらい診察室に入ると、脳専門医の診立ては“虚血性脳障害”ということだった。

 具体的にいえば、脳の右側の血管の一ヶ所で血流障害がおこり、それが原因で腫れた細胞が視神経や感覚神経を刺激して“複視(モノが二重に見える)”や頭痛、めまいなどを引き起こしているというのである。

 私が「血栓ということですか?」と訊くと、Aさんは「そうですね。何かの原因で血が流れなくなって、小さな脳梗塞を起こしたということでしょうね。通常だと脚部や咽喉の血管で発生した血栓が脳に流れて脳梗塞を起こすらしいですが、それは高齢者の場合で、彼女はまだ若いですからねえ。4~5年前に心筋障害があったという話なので、心臓のポンプ機能障害が原因で流れが止まったということも考えられます。とにかく、まずは原因を突き止めるために放射線科と循環器系の医師とチームミーティングをしたいので、少し時間をくださいということです」

 おだやかな表情の脳神経科医がベンに向かってタイ語で説明し、それをかたわらで訊きながらAさんが随時、ある時は医師に質問しながら日本語に換える。

 普段、ほとんど日本語を使わないので、反射的に英語で医師に質問したくなるが、英語の医学用語が聴き取れない場合混乱がおきる可能性があるので、頭の中で英語を一度日本語に置き換えてAさんに質問する、というややこしいコミュニケーション形態になってしまった。

 いったん待合室に戻ると、ベンが「通訳を頼んだの?お金が高いのに・・・」と口をとがらせる。

 彼女は今朝から、お金の心配ばかりして笑顔を見せることがない。

「私ね、クルマを売ろうと思うの」
「どうして?」
「家の建築費が足りないから、お金を作って爺ちゃんにプレゼントしたいんだ」
「ベン、家よりもまずはキミの健康だろう?」
「分かってるよ。でもね、今は家がないから爺ちゃんも叔母の家に居候だし、ベンも弟の家の床下やクルマで寝ていて、ぐっすり眠ることができないの。だから、体にも悪いでしょ」
「それはそうだけど、まずは今の病気の原因をきちんと調べなきゃ、いくら家を建てたって安心して眠れないだろう?俺はキミの病気を治すためなら、いくらだって応援するって何度も言ってるだろう?俺の言ってること、ちゃんと理解できてるか?」
「理解できてるよ。でも、もしもあなたがベンを助けてくれるのなら、病気じゃなくて家の方にお金を使ってほしい」
「病気を放っておけば、キミは歩けなくなるかもしれないんだぞ」
「・・・・」

 やれやれ。
 気持ちは分かるが、この堂々巡りにはまったく疲労困ぱいだ。
      *
 ベンが、顔をしかめた。
 頭痛に襲われたらしい。
 話が込み入ってくると、このところベンはすぐに右手でこめかみをおさえる仕草をしながら顔をしかめる。
 ストレスは、禁物なのだ。

 気分を換えようと、家づくりに話を向けた。

「ところで、柱立てのあとはどんな具合に工事が進むんだい?」

 家の話になると、ベンの表情は頭痛を忘れたように生き生きしてくる。

「今のところ、柱と床、壁の材木は揃っているから、次は床上の居間と寝室の工事を始めるって。でも、屋根と台所とトイレの建材がまだ足りないの」
「屋根材がないのか?雨季になったら、まずいなあ・・・」

 しかし、屋根材も揃わないうちに、どうして柱立てなんかするんだ?

 そう言いたいが、ぐっと言葉を呑み込む。
 
 ここは、日本ではない。
 “不可思議の国”、タイランドである。

「それでね、寝室は5部屋考えてるの」
「5部屋?」
「うん、床上にジイちゃんバアちゃん、チチハハ、ベンの寝室で3つでしょ。床下にキヨシや友だちや親戚が泊れるよう2つ作るの」
「でも、俺が泊まったら“霊仏陀”に叱られるだろう?」
「ううん、寝室が別々なら大丈夫。でも、ご飯やお酒は家族と一緒だよ。この間実家で作ったベンの料理、おいしかったでしょ?」

 確かに、初めて食べるベンの手料理(タイの一般的なアパートには台所がない)はそれほどの辛味もなくマイルドな味がした。
 日ごろ、高齢の祖父母むけに気を使って作っているから、日本人の舌や胃にも優しい。

 ベンも、戒律が厳しい村の中に微妙な関係の私をなんとか迎え入れようとあれこれ考えてくれているらしい。
 少し前までは、敷地内に私専用のちいさなログハウスを建てることを考えていたのだが、それは木材不足で断念したようだ。

 ノートに絵を描きながら、「庭には花を植えて、池には魚を飼って。チェンマイの空気は汚いけど、田舎の空気はきれいでしょ?朝起きて、窓をあけて山並みを眺めながらきれいな空気を胸いっぱいに吸い込むの。ああ、それだけでベンは幸せ」

 うっとりした表情での夢語りを聞いていると、もう私も何も考えず村での暮らしを始めたくなる。
 貧しくても、毎朝ベンの手作りタイフードを食べる暮らしは、それだけで心豊かなことだろう。

 だが、現実には解決しなければならない問題が山ほど残っている。
       *
 ベンがまた呼ばれて、心臓の超音波検査を受けることになった。
 検査の結果、心臓には問題ないことが分かった。

 再び、脳神経医のもとで説明を受ける。

「循環器系には問題がないので、今のところ梗塞の原因は不明です。そこで、いろんな原因を想定しながら一カ月ごとに薬を変えていきます。そして、経過をみながら半年後にもう一度CTスキャン(タイ語ではエックスレイ・コンピュータ)を撮って、もしも患部が増大していれば腫瘍としての生体検査も考えなければならないでしょう。ですから、今後眼科医にいく必要はなく、そちらから出た薬も整理しましょう。過労は禁物なので、よく眠れるよう安定剤も数日分。とにかく、無理をしないよう安静に暮らすよう心がけてください」

 待合室に戻り、通訳のAさんが資料を手にタイ語と日本語であれこれと補足説明をしてくれた。

 ベンもその優しい人柄に安心したのか、目の手術を控えた友人ノンのことなどもしゃべっている。

「25歳の若さで糖尿病性の眼疾患というのも珍しいですねえ。おそらく、遺伝性でしょうけど、何万人にひとりという病気なんでしょうね」とAさん。彼のおかげで、ノンの病名も知ることができた。

「ベンもこの年で脳梗塞というのは、かなり珍しいケースでしょうね。よりによって、彼女とその友人がふたりともこんな珍しい病気にかかるなんて・・・」
 
 日本人どおしの気安さから、ついつい、愚痴ってしまった。
 やはり、私もまごうことなき日本人のひとりである。
       *
 病院の近くの“センタン(セントラルデバート)”で、昼食をとった。
 食欲がないらしく、紫色の炒め飯のようなものを半分近く残して強引に私に食べさせた。

「あなたは痩せすぎ。12月にはよく食べたけど、今年になってあんまり食べないから心配」と言いながら。

 食事が終わると、店内をぶらぶら歩きながら洋服をチェックする。
 病院にいるときから、ズボンがきついとしきりに気にしていたのだ。

「医者のすすめでたくさん食べて、薬ばかり呑んでいたからすっかり太っちゃった、ほら、きつきつでしょ」

 ベンに限らず、タイ人は歩くことが大嫌いだ(ショッピングは別)。
 数百メートルの距離でも、クルマやバイクを使う。
 もちろん、体力を消耗する自転車に乗っているタイ人などめったに見かけない。

 このところ、クルマで実家とチェンマイを往復し、疲れ果てては数日寝込んでしまうベンはすっかり太ってしまった。
 病気を抱えたいま、「ダイエットしろ!」とは冗談でも言えない。

 日本人とタイ人でありながら英語でコミュニケートする私たちの会話に「なぜ?どうして?」はつきものだが、頭痛をかかえるベンに込み入った問い掛けをするのも、難しくなってきた。

 もちろん、叱るのはタブーだ。

 腫瘍に関する不安はひとまず消えたが、これからは病状とともにコミュニケーションに対する不安もつきまとう。

 一難去って、また一難。

 診察のあとに、ベンは辞書を開き「どうすればいい?」という言葉を指差したが、その問いはいま誰あろう、私自身が痛切に発したいものにほかならない。

 

 


 
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