室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

今日から甲子園

2008-08-02 15:51:45 | Weblog
今日から夏の甲子園
高校野球は好きで、子供の頃からけっこう見ている。もちろんTVで。
小学生の頃は、「大きいお兄さん達がやっている」と思って見ていたのが、段々年が近づき、同年代になり、追い越してずいぶん経つが、ずっと見ている。

甲子園まで出て来られるような選手は、小学校時代からリトル・リーグ、シニア、そこで推薦者と出会ったりして甲子園に出場可能なレベルの高校に入る・・という、大抵それなりのルートを経て出て来ている。去年は、”特待生”問題が話題になった。行き過ぎは問題だが、ある程度は仕方ないんじゃないかな・・。

今日の開会式を見ていて気がついた事がいくつかある。
”君が代”のアレンジが新しかった。和音付けが、今まで聴き馴染んでいるものと変えられていた。大会旗返還の時の”勇者よ、いざ”も今までと編曲を変えていたようだ。殊に”君が代”の編曲を新しいものにするには多少の勇気が要ると思われるが、90回の記念大会ということで出来たのかもしれない。強制される傾向の強い”君が代”を、爽やかな編曲で壁に穴を開けるように演奏されたような気がして、私は、なかなか良いと思った。

選手達がグランド中央に整列すると、大人が開会宣言、励ましの言葉などの祝辞を述べるのは、ずっと続いてきた伝統だ。昔は、その間、微動だにせず静聴していたものだ。私が小学生だった頃は、朝礼で校長先生のお話の間、”休めの姿勢”で足を軽く開いていても、もじもじしたり、横や後ろを見たりすると注意されたし、高学年はそんな事を注意されたりしない事を誇りにしたものだった。今日のTVを見た範囲では、さすがに私語は無いがぴしっと整列しているとは云えない。先日、市川昆監督が撮影した”東京オリンピック”をBSで放送しているのを部分的に見たけれど、所々映る観客席の観客たちの行儀の良さに驚いた。あの頃の日本人は、ああだったのだ。

今は情報社会で、効率よく、無駄なく、先輩や経験者の言動を学ぶ事ができる。いつの頃からか、日本人もずいぶんと”自己肯定型”が増えて来ている。選手宣誓をした選手にアナウンサーがインタビューをしているのだが、アナウンサーは「緊張しました」という返事を待っているのに対して「観客がいた方がやりやすい」という返事が返ってくる。宣言文の中では、今まで応援してくれた周囲の人々や、歴史を築いてくれた先達への気遣いをしつつ、インタビューではツッパリの部分もあるかもしれないけれど、弱気は見せない答えをする。いつの頃からか、こういう傾向が続いている。

比較的、大人に支配されている高校野球の中での時代傾向の変化も、面白い。しかし、明日の事を考えずに白球を追いかける無限のエネルギーだけは、いつの時代も変わらない。

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