室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

十代の自殺

2006-11-26 14:26:33 | Weblog
いじめを苦にした自殺が多発している。まるで流行の様に!
マスコミが騒ぐから教育関係者、議員連中も「何とかしなくちゃいけないんじゃないの?」とバタバタしている。が実際は無策だ。いじめが問題なのか?自殺が問題なのか?自殺の流行が問題なのか?親が悪いのか、先生が悪いのか、教育制度が悪いのか?喧々囂々やっている。いじめも色々なケースがあるだろう。同じ言動、行為でも受け取り方はヒトによって違うし、周囲の反応によってコンプレックスがアドバンテージに転換できる場合もある。尊厳に関わるレベルのいじめ、犯罪に関わるレベルのいじめは、制度を整える事で取り締まる事は可能だろう。しかし、からかい程度であれば取り締まりは、逆に不健全だ。タレントが自殺した後に真似して自殺が続いた事があった。極少数、そういう事をするヒトは居るものだ。しかし、それを差し引いてもこの処の10代の自殺は多過ぎる。
 私も後から見れば”いじめ”られたのかと思える経験が2度ほどある。初めのは、小学校低学年の時。殆どの女子が赤いランドセルを背負っていた時代に、私のランドセルは黒だった。「女なのに黒いランドセルだ」と云われ、ランドセルをバーン!と叩かれた。家に帰って「学校どうだった?」と母親に聞かれ、そのままを話した。母は「私の育った東京は戦前でも黒いランドセルだったのよ。都会の子は黒なのよ。」その次に同じ事を言われた時に「都会の子は黒なんだって」と言い返せた。すると今度は「白髪がある。お婆さんみたい」と云われた。そう云われた事を母に話すと「頭の良い子は大人のように白髪があるの。だから良いのよ」と云われ、その次に云われた時に言い返せた。同様の事がいくつかあった。その内に、云っても面白くなくなったらしく、その子たちは何も云わなくなった。
 中学1年の時にも、クラスの男子たちからのからかいがエスカレートした事があった。「や~い、強気おんな!」などと云われ、休み時間、放課後など、特定の何人かの子が囃し立てに来る日が1週間か10日位続いた。私は母に話し、担任の先生に言ってもらった。担任の先生は帰りのホームルームの最後にその子達の名前を呼び「おい、○○、××、変なからかいを言うの、やめろ。以上だ。」とさっぱりおっしゃった。その後「先生にいいつけた~」としばらくは囃し立てられたが、その内に収まった。親と先生に助けられた。
 自殺に関して10代の頃の自分を思い出すと、私も一時自ら命を絶つ事を考えた事がある。いじめを苦にしてではない。人生の辛さとは関係なく、ただ漠然と『このまま生きていくと純粋ではないオトナになってしまう。このまま生き長らえて良いのか?純粋なまま、美しい汚れない人生を完結したい』という思いにとらわれたのだ。ヴァージンという意味合いではなくて、精神的な純粋さに憧れを持っていたのだ。一種の美学が死への憧れに通じる事はあるのだ。でも私は自殺しなかった。試みもしない。到底そんな勇気はない。それに日々変化に満ちた毎日が楽しかった。楽しいだけではないが、生きていく事への興味の方が遥かに勝っていた。明日、明後日への期待感があれば、もっと続けて生きていたいのが当たり前だ。
 私がとても気になるのは、命の軽さの問題だ。ゲームではゲームオーバーになるまで2回死ねる。3回目に死んで終了になる。これが生命観を軽くしてはいないだろうか?ヴァーチャルだと分かっていても、実感が伴わなければ、理解していないのと同じだ。ゲームを野放しにしていていいのだろうか?アメリカでさえ、TVにしても、映画でも一部のゲームでもチェック機関が入って取り締まっていると聞く。学校や教育機関のシステムにも改善の余地はあるかもしれないが、システムで縛って、自由な発想や理念を持つ教育者を潰していく方向に行かないか心配だ。少し話はそれるが、国旗、国歌斉唱の取り締まりを厳重にしろと首相に迫る桝添洋一議員のような存在は、ファッショを連想させる。そんな事を話し合っている間に、青少年の心理分析をもっと重視して、ゲームの影響を注視するべきではないだろうか?ゲーム会社の献金がモノを言っているのだろうか?

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