室内楽の愉しみ

ピアニストで作曲・編曲家の中山育美の音楽活動&ジャンルを超えた音楽フォーラム

色々ありました・part 4

2007-05-29 01:25:35 | Weblog
色々ありましたよ。
【其の4・プログラム編】
今回の企画は、3月に西宮で行われた”オウルンサロ音楽祭in兵庫”の一環として、今年が没後50年に当たるシベリウスとコルンゴルトという2人の作曲家を取り上げて、プログラムが組まれました。

シベリウスは大作曲家の年表に名前を連ねる大作曲家。決して早熟タイプではないけれど王道を行く名作を数多く残し、60歳以降殆ど作品を発表せず、91歳まで生きておさらば。一方コルンゴルトは、神童と呼ばれたにもかかわらず、ハリウッド映画で仕事をした(現在のジョン・ウィリアムス等の映画音楽の基礎を作った)ことが、かえって評価を下げられる時代に生きて、最近再評価されてきている作曲家。25歳違いの、この対照的な作曲家は、シベリウスがウィーンに留学中に、出逢ったかどうかは定かではないけれど、シベリウスが日記の中に、まだ10代のコルンゴルトの作品に触れて「彼は若き鷲だ!」と書き残しているそうです。

いみじくも、二人とも、2つのヴァイオリン、チェロ、ピアノという同じ編成で作品を残しており、コルンゴルトの左手ピアニスト用の大曲をメインに、25歳のシベリウスの四重奏の方を全体のイントロダクションとし、その間に、双方の歌曲を入れて華やかに、しかも比較の妙を深める効果を持たせる、考えれば考える程、素晴らしいプログラムでした。(お客さまの中には「2つの音楽会を聴いたようでした」という方が結構ありました)

さて、初日の原ノ町に、私が遅刻して楽屋に入ると、楽屋も廊下もただならぬ気配。私の遅刻のせいか・・? と、ちっちゃくなっていると、「プログラムの順番が違う、と舘野先生が怒っていらっしゃる」と、メゾのゆかりさんが、青くなっていたのでした。ゆかりさんの出番で歌われるコルンゴルトの歌曲とシベリウスの歌曲。シベリウスの”アネモネ”を中心とした”6つの花の歌”の方は、1曲ずつが短く、可憐なイメージ。それに比べ、コルンゴルトは濃厚な”愛”をテーマとした曲で構成され、特に4曲目は、派手で華やかにして激しい”大盛り上がり”の曲なので、歌曲のコーナーだけを考えると、その曲に向かってクレッシェンド、と考えやすい組み合わせになっていたので、彼女はシベリウス、それからコルンゴルト、と考え、練習もしてきたのでした。ところが、舘野先生のお考えは、シベ、コル、シベ、コル。前日、主催マネージャーとの打ち合わせでゆかりさんがシベ、シベ、コル、コルの順に訂正したのが印刷が間に合って、当日のパンフがシベ、シベ、コル、コルになっているのをご覧になった舘野先生が「これは、違う!」とおっしゃったという事件になっていたのでした。

ゆかりさんは「ど~しよう!!」
とにかく練習をその順番でしていたので、そう言ってしまっただけで、他意はなく、申し訳ありませんでした、と立て板に水。先生に口を挟むすきを与えずに謝りまくり、先生はただ圧倒されて、一瞬のポーズののち「色々、行き違いはあったけれど、そういう事で、まとまりました」とゆっくりおっしゃいました。これを後でゆかりさんがご本人を前に仕草ごと真似して、のちのち、繰り返し繰り返し笑いました。

実を云うと、シベリウスの四重奏曲の楽譜を初めて見たときは、私が不得意なテクニックが満載の曲で「えらいこっちゃ!」と思いました。シベリウスの歌曲の中にも、出来れば別の曲にして欲しいな~という曲がありました。とにかくリズム練習を、繰り返し繰り返し、やりました。それまで、ピアソラ作品の編曲を3曲やっていて、14日に始まるリハまで1週間となって、やっと練習だけに集中できる環境になりました。それからツアーまで、そしてツアーが終わるまでの日々、内容を深めて行く作業が続きます。あそこまでやったのは、正直言って久しぶり。お陰で本気になって深めて行くのが、好きだし、愉しいと思いました。これをずうっっと続けたら、かなり上手くなるかもね。なんで、維持できないかしらねえ・・。

最後の本番「ピアソラによせるコンサート」の前日の打上で、主催者の加藤さんが舘野さんにご挨拶をなさいました。「明日は、宜しくお願い致します。」「はい」「ヤンネさんとの新曲をやって下さるんですよね」「いや、あれはやりません」「えっ?」

翌日、昼食後、ゲネプロに向かう車の中で、ヤンネが言いました。「お父さんが新曲をやらないって言った事、知ってるよね?加藤さんがすごく怒ってるって、さっき言われた。そうじゃなくても悪いと思ってるのに、そんなに言われたら、もうどうしたら良いか分からなくて、気持ちが下がってしまう。」彼も芸術家気質なのでしょう。悪いと思っているのに、という気持ちは良く分かります。しかも、板挟みになっている。「でも、リーフレットに『都合により、曲目変更をする事があります』と書いてあるでしょう?だから大丈夫よ。私は、今日、演奏するためにここに来ているんだから、私は、何も気にしないわ」

結局、本番で演奏前に、舘野さん自ら、お忙しくてやりきれなかった事、体調がすぐれない時があった事などお話になったようです。「先生のお辞儀なさる姿を見て、涙が出た」とゆかりさんは後で言っていました。でも、代わりに演奏なさった曲が大変感動的だったそうです。そして、その後のピアノトリオでのピアソラ作品の演奏は、愉しく、後半始めのジャズ・ハーモニカ足立安弘さんの演奏でバラエティの花を添えて頂き、この日の中心人物、乾千恵さんの画文集の一部の朗読と、その中からの3曲、そして一番の名作”アディオス・ノニーノ”をピアノ・カデンツ付きでフルサイズ演奏し、アンコールにヤンネのヴァイオリン・フィーチャーで”ジェラシー”を弾いて終了しました。素敵なヴァイオリンと、良く響く誠実なチェロとの共演、私は気持ちよくやれました。演奏を楽しめました。

毎日、素晴らしい響きの会場で、素晴らしい調律の素晴らしいピアノで、素晴らしい共演者たちと、素晴らしい芸術家の刺激と共に演奏できる、これ以上何も望めない環境の中で過ごさせて頂いた、中身の濃い日々でした。演奏後に「四季のぽぷりを編曲された中山さんですよね?」と声をかけて下さった方もありました。「ピアソラの編曲譜使ってます」という方もあり、嬉しかったです。そもそも舘野さんとの繋がりも、”リベルタンゴ”でした。ピアソラさんのお陰というのもありますが、出版の機会を与えて下さった関係者各位にも、改めて心から感謝します。今回の企画に声をかけて下さったヤンネ、企画を立ち上げて下さった小笠原さん、加藤さん、拙いピアノの参加を認めて下さった舘野さん、共演者の皆さん、スタッフの皆さん、関係者の皆さん、そして聴きにいらして下さった皆さんに、心から感謝申し上げますう。(すう~、というのは篠山弁)






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