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古代日本の歴史を謎解き

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弥生時代の祈祷文化を復興した大和朝廷

2019-01-02 13:42:07 | 歴史
先の投稿で、現代の神道(神社制度)は平安時代以降に仏教と対抗して出来ている。
と紹介しました。
・石器時代、縄文時代
 自然崇拝(山や川などに精霊が宿っている:アニミズム)
・弥生時代(祈祷師の登場)
 大陸文化の伝来で、祈祷の建物、道具を使った祈祷師(卑弥呼など)が登場します。
 身に見えない精霊に
 神の声を聴く
 未来を尋ねる
 希望を伝える
・古墳時代
 先祖崇拝(力のある大王が大きな古墳を造り祀られます)
・飛鳥時代
 仏教と漢字が伝来
 神仏習合
・平安時代
 大和朝廷が日本を統一
 神仏分離へ、大王は大和朝廷
 仏教に対抗して
  日本神話の成立
  ・天の世界「高天原(たかあまのはら)」
  ・地上の世界「葦原中国(あしはらのなかつくに))」
  ・あの世の世界「黄泉の国(よみのくに)」三つの世界観
  天照大神様を頂点とする神社制度の成立
  天津伸、国津伸に分かれて多数の神々の名前が登場する。
現代に至る

まあ、大まかにこんな流れではないでしょうか
この神道(神社)に、弥生時代以前の情報が残っています。
1、建物
  朝鮮半島から伝わった仏教で建てられた多数の寺院
  周囲を塀で囲み、四方に鬼門を配置。
  仏像を安置する本殿や五重の塔などが配置されます。
  平安時代でも高貴な人が住む建物は弥生時代に伝わった高床式住居
  多くの人々は、まだ堅穴式住居です。
  壮大なスペースに建てられて寺院は神秘的だったはずです。
その様な時代に出来た神社は
1、建物
  本殿、拝殿などで、神明式(伊勢神宮など)では高倉式の建物を採用しています。
2、鳥居
  境内の入り口に鳥居と参道を配置して、神聖なる地域と分けています。
  その鳥居が、弥生時代の環濠集落の出入り口に似ているのです。
  以下は、吉野ヶ里遺跡の環濠集落の写真です。

  勾玉は縄文時代以前からありましたし
  剣、鏡は弥生時代に始まります。
環濠集落は、古墳時代に姿を消します。
しかし、大和朝廷には、この弥生時代以前から続く祈祷文化が残っていた。
としか考えられないのです。
4世紀ごろに始まる古墳時代です。
5世紀の始め頃には、大阪の大仙陵古墳など大型の古墳が造られますが
大和朝廷の力が強まると同時に古墳は造られなくなり
墓守もなく荒れていきます。
仏教など大陸文化の伝来が原因でしょう。
平安時代、日本を統一した大和朝廷
天皇家の正当性を証明する為に作り上げたのが
・壮大な日本神話の世界
・天照大神様を頂点とする天皇家の血統
・古代日本から伝承されていた祈祷をベースにした神道と神社
ではないでしょうか。