古代日本の歴史を謎解き

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「魏志倭人伝」 の信ぴょう性(卑弥呼の年齢)

2018-04-30 11:48:10 | 歴史
「魏志倭人伝」ですが
帯方群から伊都国、奴国までの道程は、日数、水行陸行と方法、距離と詳しく記載されています。
しかし、その南に位置する21国は
(奴国が博多湾なので陸地は南ですので)
その国々の名前だけになってしまいます。
不弥国 奴国より東に百里
南(行)して投馬国(とまこく)にいたる。
水行二十日である。
投馬国(とまこく、或いはずまこく)も南へ水行20日ですので、かなり離れた場所にある海側の国
としかわかりません。
大陸の役人や商人が行き来できたわけではないので仕方ないですね。
特に、女王 卑弥呼は180年ほどに女王になり、すでに長大(老婆)
249年に死亡ですので、女王の座に役70年、40歳で女王なら110歳まで生きていたことになります。
卑弥呼90歳の説もありますが、当時の寿命を考えるとかなり無理があります。
・当時の食事が自然食であった。
・よく噛んで食事をしていた。などが長寿の理由の様です。
一方、卑弥呼は祈祷の館から外に出ていません。
運動不足が長寿につながるだろうか?
「親魏倭王」の金印を受ける。
外交の最前線に90歳を超えるだろう老婆の卑弥呼?
大陸に、不良長寿の仙人が住む東の島と考える信仰がまだあったのかもしれません。

結局、私がたどり着いた結論は
卑弥呼複数説 卑弥呼は一人ではないです。
初代 女王 卑弥呼の死後、卑弥呼の宗女らに女王職 卑弥呼が受け継がれた。




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