古代日本の歴史を謎解き

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『三国志』の魏志倭人伝

2018-04-30 09:37:25 | 歴史
弥生時代を知る手掛かりが大陸の史記『三国志』に書いてありました。
『三国志』漢が滅んで、魏、蜀、呉 の三国に分かれて争っていた時代の歴史書です。

三国で、洛陽に都をおき黄河流域(朝鮮半島に近い)北東部の国が 魏 です。
魏書で、中国より東部の地域を
烏丸,鮮卑,夫餘,高句麗,東沃沮,挹婁,濊,韓,倭人に分けて記述されていて
倭人について記述した部分が「魏志倭人伝」
「魏志倭人伝」の内容を歴史の順番で紹介すると
1、西暦57年漢の光武帝が「漢委奴国王」の金印を倭国へ送る。
  奴国は、博多湾にあった国で、この金印が実際に発見され国宝になっています。
2、倭国大乱の時代が100年ほど続いた。
  (多分、漢が滅んで権力のバランスが崩れた)
3、卑弥呼が女王に推薦される。(西暦180年ほどと思われる。)
4、西暦237年、卑弥呼が魏の皇帝に貢物を贈り、「親魏倭王」の金印を贈られる。
  (残念ながら、こちらの金印は見つかっていません。)
5、西暦249年、卑弥呼が死亡する。
5、男王が立つが国が乱れる。
7、13歳の卑弥呼の宗女 台与(トヨ)が女王になる。
  国の治め方を草しく説明、台与も20人の倭国大夫率(視察団)を出したりした。
  『晋書』266年、倭の女王の使者が朝貢したとの記述があります。
弥生時代後期から古墳時代が紹介されているわけです。
この『三国志』は、西晋の陳寿により3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)に書かれ
中国では正史として重んじられています。
つまり、卑弥呼の時代には「魏志倭人伝」も完成していませんし
当時の日本には漢字も伝わっていません。
最初に「魏志倭人伝」など大陸の史記(歴史書)呼んだのは
後の飛鳥時代の大和王権の時代位でしょう。


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