古代日本の歴史を謎解き

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「魏志倭人伝」 倭の国々 と 邪馬台国

2018-04-30 09:47:42 | 歴史
「魏志倭人伝」については
「邪馬台国の会」さんが詳しく紹介してくれています。
さて、当時の倭国の国々です。
倭人は、(朝鮮の)帯方(郡)(魏の朝鮮支配の拠点、黄海北道沙里院付近か、京城付近)の東南の大海のなかにある。山(の多い)島によって国邑(国や村)をなしている。もとは百余国であった。漢のとき(中国に)朝見するものがあった。いま、使者と通訳の通うところは、三十か国である。

漢の時代から交易があり、100余国があったが
今は、30国にまとまった。
女王国も紹介されているので
倭国大乱の後、卑弥呼が女王になった3世紀ごろ国々です。
出発地は 帯方群(現在のピョンヤン付近)
・狗邪韓国 朝鮮半島南端(今のプサン当たり) ここまで7000里(水行7日)
・対馬国  船で南へ一日
・一支国  壱岐、ここまで船で一日
・末盧国  松浦半島 ここまで船で一日(合計 1万里、水行10日)
・伊都国  糸島半島 陸路5日(5百里)
・奴国   博多湾の大国 伊都国より陸行1日(1百里)

ここまでは、ほとんどの学者さんが一致するところです。
ここで意見が分かれるのが、邪馬台国(女王国)
近畿説と九州説
 南(行)して、邪馬壹(臺の誤り)国(やまとこく)にいたる。女王の都とするところである。水行十日、陸行一月である
近畿説では、奴国を出発して東へ水行十日、陸行一月
九州説では、出発地 帯方群より南へ水行十日、陸行一月
既に、奴国水行十日、陸行6日かかっているので、博多湾からさらに南へ20日ほどの陸行

「魏志倭人伝」など大陸の史記に登場する「邪馬台国」
この否定地についても、今も諸説あり結論が出ていません。



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