古代日本の歴史を謎解き

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空白の四世紀と朝鮮半島

2018-04-30 13:42:16 | 歴史
台与の時代を最後に大陸の歴史書から姿が消えてしまう倭国ですが
実は、朝鮮半島の当時のことが紹介されています。
七枝刀 と 広開土王碑です。
当時の朝鮮半島は、三国時代
高句麗 大陸が乱れる中、勢力をまします。朝鮮半島全体の支配に力を入れます。
百済  中国大陸との交易で栄えた国です。魏など黄河地域の国と倭国を結ぶ交易の拠点でした。
新羅  朝鮮半島の西側で三国中では、弱小国、倭国に支配され鉄が安い価格(わずかな穀物と取引)で日本へ輸入されます。
任那  朝鮮半島先端、倭国支配の入り口です。

七枝刀は、百済が倭国に献上した刀、奈良県石上神宮に奉納されており国宝です。
一説では、物部氏の倉から発見されとなっています。重要なのは、刀に掘られた文字
「泰和4年(369年)によく鍛えた鉄で七枝刀を造った。
倭国と百済はかなり有効な関係でした。

現在の北朝鮮にある広開土王碑(好太王碑を読むと
そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が391年に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。
396年 広開土王みづから、倭の「臣民」となった百残を討った。
399年 新羅に倭兵が侵入したと聞いて新羅の救援を約束した。
400年 新羅救援のため5万の兵を派遣し、逃げる倭兵を追って任那加羅まで追撃した。
404年 倭の水軍が帯方界にまで侵入したので、広開土王みづから兵を率いて倭に壊滅的打撃を与えた。
4世紀に高句麗が力をまし、倭国の軍人を追い出し、百済を支配した。
と解釈できます。

地理的な関係を考えると
・百済、任那と友好的な関係は、九州の筑紫
・新羅を武力で支配したのが、山陰の出雲ではないでしょうか。
台与の国づくりも思うようにいかなかったようです。

高句麗の支配が増す中、大勢の朝鮮人が倭国へ移住します。
その朝鮮人を巧みに取り入れ活かしたのが、大和王権です。
奈良盆地の一角に百済人の住居を作り、漢字など文化を取り入れます。
出来上がったのが飛鳥文化です。
大和朝廷(飛鳥時代)」と朝鮮文化は密接な関係があります。
高松塚古墳の壁画

も朝鮮半島の影響がかなり強いです。



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