さて、先投稿神武東征は古墳時代の西日本を知る手がかりの続きです。
前提
・4世紀(古墳時代)の近畿は(*国名は仮名です)
大阪国・・・堺など大阪湾南側の国(長髄彦)
和歌山国・・紀伊半島(高倉下)
近江国・・・日本海側の国
明石国・・・大阪湾でも瀬戸内海側
奈良国・・・唯一、盆地内陸部の国(忍坂:土雲、磯城のエシキ(兄師木)、オトシキ(弟師木))
などに分かれていた、最大勢力は大阪国で、奈良国は弱小国の集まりであった。
・15代応神天皇から25代武烈天皇は大阪国の王(古墳が堺市に集中している天皇)
・銅矛文化圏 と 銅鐸文化圏 は相なじめなかった。
・もちろん、神武天皇は存在しない、紀元前660年の即位も作り話
・神武東征は、古墳時代(4世紀)の言い伝えを天皇家が利用して作り上げた。
それでは始まりです。
1.神武東征は目的地は奈良ではなかった。
九州朝廷は造船(船)と航海の技術を得た。
卑弥呼の死後、九州朝廷は瀬戸内海の国々、安芸、吉備などと友好関係を広げた。
2、近畿の大阪国は、その権力を古墳づくりと朝鮮半島出兵へ民の労働を費やしたため、武烈天皇で破綻した。
ナガスネビコ(長髄彦)は大阪国の末裔(武烈天皇派閥の一族)
3、明石まで影響力を伸ばした九州朝廷と日本海側の近江国が手を結び、継体天皇を推薦する。
継体天皇は、近江から朝鮮人を奈良に移住させ、朝鮮人の地域を作り大陸の文化(漢字、政治、仏教)を取り入れ新しい国づくりを始める。
新体制に協力的な蘇我氏と朝鮮人の起用に反対する物部氏の対立も始まる。
4、近江、奈良国連合は和歌山国と争うことになる。(タカクラジ(高倉下:尾張氏の祖先)は和歌山国の王)
和歌山国でも意見が分かれて分裂、近江、奈良、和歌山の連合国が出来る。
5、連合国がナガスネビコ(長髄彦)の大阪国を攻める。近畿が統一される。
6、近畿連合国が出来て、大陸の史記をもとに、倭国をヤマトと呼び、大和朝廷の支配が始まる。(飛鳥時代)
「古事記」の上巻 日本神話は、天照の九州、素戔嗚の出雲の弥生時代 と 神武東征は古墳時代の
歴史(言い使え)をまとめています。
中巻には再び近畿の古墳時代の歴史が登場します。
・既に完成していた沢山の古墳群
・朝鮮半島で倭の五王が紹介されている。
無視で出来なかったので天皇家の歴史(応神天皇~武烈天皇)に加えています。
つまり、神武東征は、古墳時代から継体天皇の即位までの歴史です。
となると、次の疑問が
・初代神武天皇から15代応神天皇とは一体、誰だったのか?
Ans 多くは架空の人物、初代神武天皇即位を紀元前660年に設定したため
継体天皇即位507年まで(507年-紀元前660年=約1070年)に16人の架空の天皇を挿入した。
一人平均70年ほど即位した計算になります。
或いは、25代武烈天皇までの25人で計算すると即位平均 約40年
・継体天皇は応神天皇の直系の子孫なのか?
Ans 応神天皇が大阪国の生みの親とは限らない、近江国と大阪国を結びつけるために挿入された架空の人物の可能性もある。
・天皇家の祖 天照大神 と 継体天皇 の関係は?
Ans 「古事記」は平安時代に天皇政治が確立した後に作成された史記
最も優先させたのが、大陸の史記「魏志倭人伝」など
次の優先順位は、継体天皇以降、文字として残っていただろう史実
次の優先が、各地に言い伝えとして残っていた史実
これらを組み合わせて、諸国を敵に回さず、天皇家の正当性を作り出すと云う大技を成し遂げています。
大陸の史記で紹介されている
倭国、邪馬台国、女王卑弥呼は外せない存在しない。
倭という漢字でヤマトと読み、女性の天照は必須
平安時代でも多くの人が知る継体天皇も外せない存在
近江の実力家 継体天皇 の先祖が、九州の祈祷師一族 の可能性は少ないと思います。
・卑弥呼の死後の邪馬台国は?
Ans 邪馬台国は一度は滅んだでしょう、
次に13歳の女性 台与 を女王としてまとまったのは九州 豊国の事
玄界灘側の筑紫も朝鮮半島の交易に力を入れる。豊国、肥国、熊襲国を侵略する必要はなかった。
前提
・4世紀(古墳時代)の近畿は(*国名は仮名です)
大阪国・・・堺など大阪湾南側の国(長髄彦)
和歌山国・・紀伊半島(高倉下)
近江国・・・日本海側の国
明石国・・・大阪湾でも瀬戸内海側
奈良国・・・唯一、盆地内陸部の国(忍坂:土雲、磯城のエシキ(兄師木)、オトシキ(弟師木))
などに分かれていた、最大勢力は大阪国で、奈良国は弱小国の集まりであった。
・15代応神天皇から25代武烈天皇は大阪国の王(古墳が堺市に集中している天皇)
・銅矛文化圏 と 銅鐸文化圏 は相なじめなかった。
・もちろん、神武天皇は存在しない、紀元前660年の即位も作り話
・神武東征は、古墳時代(4世紀)の言い伝えを天皇家が利用して作り上げた。
それでは始まりです。
1.神武東征は目的地は奈良ではなかった。
九州朝廷は造船(船)と航海の技術を得た。
卑弥呼の死後、九州朝廷は瀬戸内海の国々、安芸、吉備などと友好関係を広げた。
2、近畿の大阪国は、その権力を古墳づくりと朝鮮半島出兵へ民の労働を費やしたため、武烈天皇で破綻した。
ナガスネビコ(長髄彦)は大阪国の末裔(武烈天皇派閥の一族)
3、明石まで影響力を伸ばした九州朝廷と日本海側の近江国が手を結び、継体天皇を推薦する。
継体天皇は、近江から朝鮮人を奈良に移住させ、朝鮮人の地域を作り大陸の文化(漢字、政治、仏教)を取り入れ新しい国づくりを始める。
新体制に協力的な蘇我氏と朝鮮人の起用に反対する物部氏の対立も始まる。
4、近江、奈良国連合は和歌山国と争うことになる。(タカクラジ(高倉下:尾張氏の祖先)は和歌山国の王)
和歌山国でも意見が分かれて分裂、近江、奈良、和歌山の連合国が出来る。
5、連合国がナガスネビコ(長髄彦)の大阪国を攻める。近畿が統一される。
6、近畿連合国が出来て、大陸の史記をもとに、倭国をヤマトと呼び、大和朝廷の支配が始まる。(飛鳥時代)
「古事記」の上巻 日本神話は、天照の九州、素戔嗚の出雲の弥生時代 と 神武東征は古墳時代の
歴史(言い使え)をまとめています。
中巻には再び近畿の古墳時代の歴史が登場します。
・既に完成していた沢山の古墳群
・朝鮮半島で倭の五王が紹介されている。
無視で出来なかったので天皇家の歴史(応神天皇~武烈天皇)に加えています。
つまり、神武東征は、古墳時代から継体天皇の即位までの歴史です。
となると、次の疑問が
・初代神武天皇から15代応神天皇とは一体、誰だったのか?
Ans 多くは架空の人物、初代神武天皇即位を紀元前660年に設定したため
継体天皇即位507年まで(507年-紀元前660年=約1070年)に16人の架空の天皇を挿入した。
一人平均70年ほど即位した計算になります。
或いは、25代武烈天皇までの25人で計算すると即位平均 約40年
・継体天皇は応神天皇の直系の子孫なのか?
Ans 応神天皇が大阪国の生みの親とは限らない、近江国と大阪国を結びつけるために挿入された架空の人物の可能性もある。
・天皇家の祖 天照大神 と 継体天皇 の関係は?
Ans 「古事記」は平安時代に天皇政治が確立した後に作成された史記
最も優先させたのが、大陸の史記「魏志倭人伝」など
次の優先順位は、継体天皇以降、文字として残っていただろう史実
次の優先が、各地に言い伝えとして残っていた史実
これらを組み合わせて、諸国を敵に回さず、天皇家の正当性を作り出すと云う大技を成し遂げています。
大陸の史記で紹介されている
倭国、邪馬台国、女王卑弥呼は外せない存在しない。
倭という漢字でヤマトと読み、女性の天照は必須
平安時代でも多くの人が知る継体天皇も外せない存在
近江の実力家 継体天皇 の先祖が、九州の祈祷師一族 の可能性は少ないと思います。
・卑弥呼の死後の邪馬台国は?
Ans 邪馬台国は一度は滅んだでしょう、
次に13歳の女性 台与 を女王としてまとまったのは九州 豊国の事
玄界灘側の筑紫も朝鮮半島の交易に力を入れる。豊国、肥国、熊襲国を侵略する必要はなかった。
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