古代日本の歴史を謎解き

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投馬国 水行二十日の謎

2018-07-21 21:18:04 | 歴史
先の投稿で、邪馬台国は九州北部で間違いないと投稿しましたが魏志倭人伝に紹介される 投馬国(五万余戸)の否定地です。
「魏志倭人伝」 の信ぴょう性(投馬国)
では
・投馬国=ズマ国=出雲国
・投馬国=舟形の埴輪が出土自した西都原古墳群(後の肥国)
・或いは、関門海峡を通過後、瀬戸内海へ、安芸、吉備など(大阪湾も可能性がありますが、奈良は無理です)
のいずれではないでしょうか。
・松浦半島から長崎(西)へ回り、有明海へ熊本、鹿児島の東シナ海側
の可能性もありますが、こちらは
邪馬台国が、南へ水行十日陸行一月(松浦半島、或いは博多湾から陸行で南へ移動)していますので
西周りの航路は知らなかったのではないでしょうか。
交易の中心は、伊都国、奴国(福岡)で、東方向、南方向しか考えていません。

しかし、水行二十日の問題が

帯方群(現在のピョンヤン辺り)から末盧国(松浦半島)までがちょうど水行十日です。
仮に博多湾を中心にピョンヤンまでの半径で円を描くと
・日本海側を東へ水行十日進むと、石川県と通り過ぎ、新潟(佐渡島)まで
・東シナ海、或いは周防灘を南へ水行十日進むと沖縄になって今います。
もし、奴国(博多湾)を出発そして水行二十日であれば、更に二倍ですので
東は青森、北海道
南の場合は、台湾となります。
この距離ではありません。(途中にもっと他の国々が紹介されて当たり前です。)
倭国を周旋すること(めぐりまわれば)五千余里ばかり
の範囲をはるかに超えてしまいます。
周旋五千里の倭国は
添付の図の緑色の線
宮崎の場合は、青色の線 となります。

考えられる事
・大陸の船は水行1日で1000里
・但し、末盧国、奴国、伊都国、不弥国までであった。
・倭国(博多湾)からは倭船を使って移動。
・手漕ぎの小さな倭船は、水行一日100~200里程度(十分の一程度)であった。
これなら、日本海側の出雲、周防灘を経由して宮崎が十分な範囲になります。
他にも一日で進める距離が少ない理由に
・関門海峡などの水流の影響で待ち時間がある。
・湾岸だけでなく、河川を上流へ上る航路があった。
陸行がありませんので、湾岸或いは、海から河川を利用してたどり着ける地域である事は間違いないです。


国の大きさ(人口)も
邪馬台国(7万戸)=>投馬国(5万戸)=>奴国(2万戸)の順番ですの、投馬国は、邪馬台国と同等規模の国です。
投馬国の特徴として、
官を弥弥(耳)という。副(官)を弥弥那利(耳成・耳垂か)と云う名前があります。
官(吏)をまた卑狗(彦)といい、副(官)を卑奴母離(夷守)と云うん前が多い中
全く違う名が登場します。異なる文化を持つ土地であったでしょう。
日本神話で登場する、天照大神と素戔嗚
兄弟でありながら、仲が悪く天照大神は素戔嗚を高天原から追放
遺跡類から見ても弥生時代には、出雲に大きな国はありました。
同様で近畿の飛鳥も同じですが、問題は
大陸の魏が、そのことを知りえたかどうかです。
大陸へ伝わる情報の順番は
1、九州北部(玄界灘側)
2、出雲(山陰の日本海側)
3、宮崎、瀬戸内海(山陽)の国々
4、最後に近畿ではないでしょうか。
投馬国は、出雲の様な気がしてならないのですが、如何でしょうか。


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1 コメント

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水行二十日の謎 (y、永瀬)
2019-05-10 18:29:11
南水行二十日の謎
 時の九州内倭国の「唐津湾、博多湾、伊万里湾」面と「有明海」の北面には、渡来人体制国で埋められており、中国移民の「倭女王・卑弥呼」は、「伊都国」の糸島に常駐して倭王権を振るいました。「末盧国」から「伊都国」への案内は獣道を歩かせて方向感覚を狂わせています。倭国内国々の紹介では、大陸と同じように倭国は広大な広さがあると錯覚を誘っている気がします。

博多湾面 ~ 水行二十日 ~ 宇土半島先端の三角港まで
 出航地点が、「奴国、不弥国」紹介の後からですから博多湾面と想定します。博多湾面から九州北岸を西航し、西岸に着いたならば南下して橘湾から宇土半島を国内とする「投馬国」に着きました。

 「投馬国」は、緑川に囲まれた領土範囲と三角港を形作った「宇土半島先端、大矢野島、維和島、戸馳島」を国内にします。三角港は、周り中を島で囲まれていて時化時の避難港として安全最高だそうです。


「投馬国」の宇土半島 ~ 水行十日、陸行一ヵ月 ~ 筑紫平野の「邪馬壱国」
 三角港から島原湾、有明海を航行し、吉野ケ里遺跡のある「邪馬壱国」まで十日。宇土半島に上陸し、熊本平野から有明海沿岸を歩いて筑紫平野に沿った台地の「邪馬壱国」に到着するのに一ヵ月。

この行程説明の中に何があるかというと、倭王権者がいます。
 「投馬国」に「官;弥弥。副官;弥弥那利」がいます。「官;弥弥」は、「倭女王・卑弥呼」の倭国と戦争中の「狗奴国王」です。

 「伊都国」の糸島に常駐して倭王権を振るう「卑弥呼」体制をせん滅状態にして、倭王権を獲り、栄誉体制名の「官;弥弥」を名乗り、「投馬国」に駐屯している「狗奴国王」です。

 「副官;弥弥那利」は、「邪馬壱国」の官として表記された四官です。四官の内の三官は、倭国内を統一した「倭国連合統一三ヵ国盟主王」で本来の倭王権を持っています。残りの一官は、韓半島内「狗邪韓国王」の子孫です。

 四官を渡来人体制が拘束して「邪馬壱国」内に軟禁し、「邪馬壱国」の「卑弥呼」が代行倭王を務めました。「卑」の漢字は、代行倭王を意味しています。

 「狗奴国王」が「邪馬壱国」を攻め滅ばし、軟禁されていた四官を収容した時に、代行倭王権が発生しました。この際の「狗奴国王」名が「卑弥弓呼」となります。

 もう一つ「南」表記示唆が、倭女王に服さない「狗奴国」です。倭王権を持ち「投馬国」に駐屯している「狗奴国王(弥弥)」の母国です。


「狗奴国」の比定。
 「狗奴国」の国位置を説明するのが難しいのです。私は、国名に対して地形読みします。そして、国の位置を比定しますが、説明すると長くなりすぎ、それでも理解していただけないと思っています。

 国名に対する地形読みの結果だけを書きます。
「狗奴(クナ)国」… 
① 高地内を流れる、遠賀川、彦山川面成合広がりを国内にする。
② 関門海峡面九州内陸地の玄界灘、周防灘面内陸を国内にする。

「奴(ナ)国」に対しては、
 博多湾面陸地広がりを国内にする。

「末盧(マツロ)国」に対しては、
 半島海水面に 唐津湾、名護屋浦、外津浦、仮屋湾がある。
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