iijiのブログ(JOPベテランテニス、山行、浅草などの写真録)      

★定年後の余暇を、テニス・山行・囲碁・浅草周辺の行事・美博鑑賞・日常の出来事などを紹介します。

第68回中国ベテランテニスと散策 2024.9

2024-09-13 10:21:43 | JOPテニス遠征と散策

2024.9.6(金)~12(木)

山口県周南市のゼオンアリーナ周南庭球場で開催

JOPグレートC、男子80才シングルス32ドロー、結果は優勝

試合前に、赤穂市や広島市内、宮島、岩国の錦帯橋などを巡るために車で出かける


ゼオンアリーナ周南庭球場 オムニコート18面

 

周南緑地運動公園  周南市人口13.5万人 旧徳島市周辺の化学企業が多く大規模な運動施設が整備される 

女子ダブルス70才、75才、50才決勝

光市 萩の平からの周防灘  50km先雲の中に大分国東半島


☆熱痛症アラートが発令された3回の試合

千葉は途中棄権、東北は室内コートと休憩時間の延長、中国は通常の進行で、シングルスの80才、85才の開始時間が11時に指定、実際は暑さが強くなる12時過ぎになり約2時間ほど走り回るキツイ試合だった。休憩や高齢者配慮などは地域協会により運営が変わる。

☆気温が高いと、急激な走りは息苦しく、筋力が衰え、反射神経や応答反応が遅くなり、集中力が低下し単純なミスショットが増える。初戦の試合は、2日間の車移動と暑さに慣れずに苦戦した。

 赤穂、広島、岩国散策は次号に続く

コメント

妻籠宿散策 (全日本ベテラン後)3 2023.10

2023-10-12 18:36:15 | JOPテニス遠征と散策

2023.10.6(金)

中山道の馬籠宿に続き、妻籠宿を訪ねる


昭和40年代に、江戸時代の町並みと景観を保存       川は木曽川の支流(蘭川)

中山道 妻籠宿の町並み

長屋住居を解体し1戸分に復元 屋根に載せる石(本陣の屋根も同様)       江戸庶民の旅籠(木賃宿)としての雰囲気がある

妻籠宿の町並み

妻籠本陣(島崎家) ・・庄屋、本陣宿場、会所(問屋場)の三役を兼ねる

会所 公用の旅客に人馬、荷を運ぶ人足を提供

妻籠本陣模型(江戸時代) 左側建物は、大名などの宿泊施設  右建物は家人住居や問屋場(物資の運送や中継取引の宿駅・伝馬所

籠を乗り付ける玄関式台  隣の板間 

台所・囲炉裏                            土間

 上段の間の隣、東の間                       中庭・手洗い・縁側

上段の間、大名・旗本・勅使が泊まる 8畳の間               上段の間専用

島崎家系図 鎌倉時代三浦一族の島崎重綱が東山道の山中に移り、長男が馬籠に次男が妻籠を切り開く  矢印は島崎藤村

帰路の木曽街道 須原から糸瀬山1886m  雲の中に木曽山脈(中央アルプス)の空木岳・南駒ヶ岳


☆藤村の父は17代続いた本陣(旅籠)・問屋(伝馬所)・庄屋(村役人)の3役を務め、諸大名のなど通行で、多い時は2000人の人足や200匹の荷馬を手配や、村民の管理など庄屋の多忙な人生を送る。馬籠・妻籠を散策し、当時の生活ぶりが描き出て楽しく散策してきた。

☆帰路・・前にテニス帰りに御嶽山を登り、28年ぶりに木曽街道の景観を楽しんだ

   名古屋→中津川IC→落合→馬籠→妻籠→大桑町(中山道)→木曽福島→木曽町→伊那IC→諏訪SA→東京

 

コメント (2)

馬籠宿散策 (全日本ベテラン後)(2) 2023.10

2023-10-12 12:02:14 | JOPテニス遠征と散策

2023.10.6(金)

テニス大会を終え、一度は訪ねてみたかった木曽路「馬籠宿」「妻籠宿」散策に帰路を選んだ。

島崎藤村、長編歴史文学の傑作「夜明け前」に感銘を受け、幕末の動乱・中山道の本陣・庄屋での苦労、主人公(青山半蔵)の生涯の地を訪ねる。


 木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である・・・小説

 

落合宿  ここから木曽路の山間に入り、馬籠宿へ行く

中山道と落合宿本陣   背は、恵那山(2129m) 

◇・・馬籠宿・・◇

木曽路の入口、馬籠宿 全長600m 天保14年(1843)本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口717人    本陣跡(藤村記念館)

馬籠宿南端入口、桝形付近(海抜580m) 600mの石畳の坂道が上に続く

坂道の途中に、藤村記念館。馬籠宿本陣跡(明治28年大火で焼失)       焼け残った本陣隠居所

記念館内庭  昭和25年藤村堂を再建                  旧本陣時代からの井戸

本陣近くの島崎家菩提寺。永昌寺(小説では万福寺) 1558年創建       恵那山を望む、島崎家代々の墓がある

新しい島崎家の墓地  右端が島崎藤村(春樹)                                     鎌倉時代 三浦一族が北条に滅ぼされ移り住んだ先祖代々の墓碑

中山道の高札場付近(650m)の馬籠宿  村から川を挟んだ正面に恵那山

馬籠宿の北端の高札場  正徳元年(1711)5月、奉行竹腰山城守・・、人売買かたく停止す・・、博奕の類一切禁制・・、毒薬、キリシタンの禁止・・

春樹・・島崎藤村


☆本陣(島崎家)、隣家の大脇氏が40年間書き残した克明な日記を基に、島崎家の人間群像を描き出した「夜明け前」藤村晩年の大作に触れてきた。

☆東山道、宿場の本陣が、山の中腹で坂道にあるのは馬籠宿だけではないか思う

次号・・妻籠宿散策

コメント (2)

河北町散策(東北ベテランテニス) 2023.8

2023-08-27 20:03:53 | JOPテニス遠征と散策

2023.8.18(金)

試合開始時間が12時なので、午前中に河北(かほく)町の「紅花(べにばな)資料館」を見学する。


 

紅花資料館(元名主の住居 約3000坪) 

紅粉の蔵

紅花資料館 (近代的な建物)

紀元前2500年エジプトからシルクロードを経て朝鮮から日本へ、3世紀には栽培(纏向遺跡から発見)   慈覚大師が東北を歩き伝えたとされる

紅花 7月開花 葉にはトゲがある   山形県の県花・河北町の町花

紅花の花びらを乾燥                     紅染めや口紅の加工技術は京都にあり、山形は紅餅に加工して送る  

大石田に集められた紅餅は酒田積荷問屋へ、酒田から敦賀、京都へ    山形盆地の紅花の産地

紅花を使った生地・織物 

谷地八幡神社 寛治5年(1091) 源八幡太郎義家創建

河北町 道の駅付近から 葉山(1462m)   左手雲の中に月山


☆最上川と結びついた山形盆地は、江戸期は京の文化で繁栄したが、明治期から大きく産業の転換を求められてきた。

☆河北町には何度か訪れているが、蔵屋敷が点在し静かで落ち着いた街並みを見せてくれる。

コメント

大江町左沢の散策(東北ベテランテニス)  2023.8

2023-08-26 11:57:21 | JOPテニス遠征と散策

2023.8.14(月)~16(水)

1962年5月、63年5月に、月山スキーに出向く折、山形経由でJR左沢線(あてらざわ)を利用し、バスに乗換え志津に到着した。

周辺を散策した想い出から、テニス試合の宿として滞在して散策する。


大江氏の築城、楯山城跡から左沢の町並みと最上川

江戸期の最上川、酒田と山形、米沢を結ぶ舟運の要衝地、川港として栄えた左沢 

JR左沢線  山形から45分で終着駅  60年前は1両のディゼル

JR左沢駅前 バス発着場

江戸時代左沢領内の豪商が軒を並べた原町通り   称念寺に芭蕉の句碑「五月雨や集めて涼し最上川」

青苧(あおそ) は左沢が中心生産地 高級織物の糸となり、武士の裃(かみしも)、奈良晒、小谷縮などに使われた。

明治以降養蚕が盛んになり衰退する

紅花や青苧(あおそ)で栄えた江戸期の豪商屋敷 

川港として栄え、京の優雅な文化が運ばれてきた 

左沢獅子踊り 雨乞い、悪魔退散、所願成就の祈祷として、千年以上前の奈良の流れを汲む      60名の奴行列                 

最上川

旧最上橋と船着き場   花火の会場座席

美しい3連アーチの旧最上橋

第101回大江夏祭り 灯ろう流しと花火大会 

山形県内最古の花火大会、4000発の花火に近在から多くの人が集まる


☆響き渡る大轟音の花火は、身体全体を震えさせ、夏の気分を十分満喫させてくれる

☆最上川舟運の歴史を残し、京文化のロマンが感じられる。

☆川港として賑やかに栄えたが明治以後、紅花や青苧(あおそ)が化学染料・繊維で衰退、りんご、ぶどう、サクランボ、洋なしなどの果実生産に変わる。

河北町散策は次号

 

コメント