イエス、ひとりの小児信仰の大なる教訓を伝える!!
信仰の力。
信仰は心の裡なるものである。其処此処にある対象物とか、時とか、場所を問うものではないはずである。その事を幼子の言葉は、強烈に指し示している。で、イエスは驚嘆し、思わず抱き上げた。
<こういう季節その④:記事には無関係>
イエスは驚嘆したのではない。見抜いていたはずである。が、驚嘆した。それはその事を群衆に悟らせるために、驚嘆したのであろう。
ともすれば、人間は他力に走り、外に信仰の対象を求める。そうではない。心の裡
にその本質がある。何故そうなるか? 心の裡は目に見えない。神は決して見えないのである。見えないものを信仰すると言うことは難しい。空気も見えない。
それがあるから、人間は生きていける。既に、生きていると言うことは信仰しているからである。
信仰なんて必要ない。ともって生きている人は多い、しかし、本当にそうであろうか。生きていると言うことは、無意識の裡に、日夜、自律的に活動しているからではないか。これは否定出来ない。生きると言うことは、紛れもなく信仰あるが故である。
イエスいやしの泉のかたわらに立つ。信仰が治療の主因なること、また、人々は信仰によっていやされることを.説く。ひとりの小児信仰の大なる教訓を伝える。
いやしの泉と呼ばれている泉がペルセポリスの近くにあった。人々は、一年の一定の時期に、神が下って来て、この泉水に霊験を授け、その時これに入ってからだを洗えば、病気がなおると考えられていた。
泉のほとりには、多くの人々が来て、聖なる神が来て泉水に効能の現われるのを待ち構えていた。めくら、足なえ、つんぼ、おし、そのほか精神病患者などが集まっていた。
イエスは彼らのまんなかに立って叫んだ、「生命の泉を見よ。こんなききめのない水をあなたがたは神の特別な祝福だ とあがめているが、治療の力はどこから来るか。なぜあなたがたの神は、その賜物にそんなに不公平なのか。なぜ今日この泉を祝しながら、明日は全くその祝福 を取り去るのか。
力ある神なら、毎日ききめある水を満たし得る筈だ。
聞け、あなたがた、病める人、悲しむ人々よ、この泉のききめは何も神の特別な賜物ではない。信仰にはこの泉水の一滴一滴のききめがある。この信仰の泉水で洗えば元気になると心をこめて信ずる者は、洗えば元気になり、そしていつでも洗えます。
神を信じ自分自身を信ずる者は、即刻この泉に身を入れて洗うがよい。」
すると、澄んだ水に身を投じて元気になった人々が多かった。それから、人々はわれさきにとやって来た。彼らは信仰にはげまされ、水のききめが無くならぬうらにと、先きを争って水にとびこんだ。
その時、イエスはいかにもかよわそうな元気のない気の毒な女の子がひとり、怒濤の勢いでやって来る群集から離れていて、誰もこの子を泉に入れようとする者のないことを見た。
イエスは言った、「あなたは、なぜじっとして待っているの? いそいで泉に入って洗って、丈夫にならないのか。」
女児、「急がなくてもよいのです。わが天の紳さまのおめぐみは、小さなコップで量られません。神さまのおめぐみに は間違いはありません。そのききめはいつまでも変わりませんもの。信仰の弱い人たちは、信仰が弱くなるのを心配して急ぎます。そしてみんないやされたので す。この水はわたしにも屹度ききめがありましょう。
それで、わたしは、ゆっくりゆっくり行って泉のめぐみの水にひたることができます。」
すると、イエスは言った、「えらい魂を見よ、彼女は信仰の力をみんなに教えるために地上に来た。」
それから、イエスはこの女の子を抱き上げて言った、「何を待っていますか。呼吸する空気そのものが生命の香気で一杯です。信仰で生命の香気を吸って元気になりなさい。」
女の子は信仰によってこの生命の香気を吸って元気になった。
人々はこの目前に見聞したことに全くびっくりした。彼らは、「この先生は屹度健康の神様が肉体となったに相違ない」と言った。
イエスは言った、「生命の泉は小さな水溜(みずたまり)ではない。天が広いように広いものだ。泉の水は愛である。信仰が力である。生きた信仰によって生きた泉に深くとびこむ者は、身の罪を洗い清めて完全になり、罪から解放されます。」
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第八部 ペルシャでのイエスの生活と行動
第四十一章 イエスいやしの泉のかたわらに立つ。信仰が治療の主因なること、また、人々は信仰によっていやされることを.説く。ひとりの小児信仰の大なる教訓を伝える。
1)いやしの泉と呼ばれている泉がペルセポリスの近くにあった。
2)人々は、一年の一定の時期に、神が下って来て、この泉水に霊験を授け、その時これに入ってからだを洗えば、病気がなおると考えられていた。
3)泉のほとりには、多くの人々が来て、聖なる神が来て泉水に効能の現われるのを待ち構えていた。
4)めくら、足なえ、つんぼ、おし、そのほか精神病患者などが集まっていた。
5)イエスは彼らのまんなかに立って叫んだ、「生命の泉を見よ。こんなききめのない水をあなたがたは神の特別な祝福だとあがめているが、