イエス駱駝(らくだ)を提供される。巡遊歌人の教訓!!
巡遊歌人の教訓は、意味深である。読みようもあるが、1万年間誰が生きながらえよう。つまり、イエスは人を肉体として見ていないことに起因する。魂の永遠性を洞察したイエスならばこそ言える言葉である。
彼ら巡遊歌人は、永い転生の歴史の中で、繰り返し音楽に携わった魂であることを見抜いたのである。そうでなければ、こうした表現は出来ないし、こうして特段の扱いをする必要もない文章である。
<ふるいち まゆみさんの写真はいつも素敵だ、つい拝借:記事には無関係>
そして、イエスの富みに関する言
葉は、この世的に言うなら逆の発想である。与えよ、さらば与えられん、を彷彿させる言葉であるが、物質偏重の思いからは、決して相容れられない。イエスは
物質として人間を見てはいないからである。又、この世界も物質中心には見ていない。物質は無限の愛の変化したものであるから、愛を獲得するものは富む。愛
を獲得することは、即ち、与えることによって可能だと説いている。
しかし、これが最も難しい悟りでもある。
イエス駱駝(らくだ)を提供される。ラホールに行きアジャイニンの家に留まって教える。巡遊歌人の教訓。旅行を続ける。
イエスがカシミヤの谷を行く時、たまたま一団の隊商がそこを通りかかつた。一行は五叉(いつまた)川の地、手(ハンド)の町なるラホールに向っていった。商人たちはこの予言者の言葉を聞いていたし、レイでの力ある業を見ていたから、この再会を喜んだ。
彼らは、イエスがこれからラホールに行き、それからシンド河を渡り、ペルシャから更に遠く西方に行こうとするのに、乗物にする動物もないことを知ったから、鞍(くら)そのほかの装具の整った一頭の逞しい双峰駱駝(ふたこぶらくだ)を無料で彼に提供した。かくてイエスは隊商と共に旅することになった。
イエスがラホールに着くと、アジャイニンを初めほかのブラマ憎たちが、喜んで彼を迎えた。アジャイニンは数ヶ月前、ベナーレスで、夜間イエスに逢いに来て、その真理の言葉に接した僧侶であった。イエスはアジャイニンの家の客となり、アジャイニンに多くのことを教え、また治療術の秘法も伝えた。イエスは空気、火、水の霊を支配する方法を教え、赦免の秘義、罪悪の消滅を説明した。
或る日、アジャイニンはイエスと共に寺院の門口に居ると、一団の巡遊歌人と楽人がしばし庭先に留まって、歌ったり踊ったした。その楽の音(ね)は朗々として玉をころがすようであったので、イエスは嘆賞して言った、
「この土地の教養ある人々の間でも、ついぞこの荒野の無骨な子らに見られるような妙(たえ)なる音楽は聞いたことがなかった。この才能、この力はどこから来るか。彼ら一代の間だけでは、到底こんな音声美や、こんな韻律の法則にかなった知識を会得する筈がない。
人々はこれを奇才と呼ぶだろう。奇才など言うものはない。万事が自然の法則の結果である。この人々は若くない。かかる神聖な表現に富み、こんな純真な音声感触を演出するためには、千年の歳月でも足りはしないだろう。
一万年のむかしこれらの人々は和声法に精通していた。そのむかし彼らは忙しい人生の巷を踏みながら、鳥の妙なるメロディに耳を傾け、これを完全な形とし竪琴で奏でた。彼らは再び来て表現の多種多様な発表から更にほかの音調を学んだ。
これら放浪者は天のオーケストラの一部を構成し、完全円満な国土にあっては、天使すら喜んでその演奏を聴くだろう。」
イエスはラホールの一般民衆を教え、病人をいやし、そして人を助けることによって生活の向上に進む方法を示した。彼は言った、
「われわれは自分が手に入れて置くもので富むのではなく、唯一の所有物とは人にほどこすものだけである。もし完全な生活を送ろうとするなら、同胞のため、また下等な生活様式と思われている人々のために、自分の生命を捧ぐべきだ。」
しかしイエスはこれ以上長くラホールに滞留すること出来ないので、僧侶やほかの友人に告別の言葉を残し、駱駝に乗ってシンド河を指して旅立った。
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第七部 チベットと西インドでのイエスの生活と行動
第三十七章 イエス駱駝(らくだ)を提供される。ラホールに行きアジャイニンの家に留まって教える。巡遊歌人の教訓。旅行を続ける。
1)イエスがカシミヤの谷を行く時、たまたま一団の隊商がそこを通りかかつた。一行は五叉(いつまた)川の地、手(ハンド)の町なるラホールに向っていった。
2)商人たちはこの予言者の言葉を聞いていたし、レイでの力ある業を見ていたから、この再会を喜んだ。
3)彼らは、イエスがこれからラホールに行き、それからシンド河を渡り、ペルシャから更に遠く西方に行こうとするのに、乗物にする動物もないことを知ったから、
4)鞍(くら)そのほかの装具の整った一頭の逞しい双峰駱駝(ふたこぶらくだ)を無料で彼に提供した。かくてイエスは隊商と共に旅することになった。
5)イエスがラホールに着くと、アジャイニンを初めほかのブラマ憎たちが、喜んで彼を迎えた。
6)アジャイニンは数ヶ月前、ベナーレスで、夜間イエスに逢いに来て、その真理の言葉に接した僧侶であった。