イエス、エルサレムの大祭礼に行く!!
イエス、初めて最高法院(サンヘドリン)との出合い。その聡明さを発揮する。当時のユダヤ教はバビロンの偶像崇拝を取り入れており、盛んに燔祭(はんさい)に動物の犠牲(いけにえ)が用いられていた窺える。これは史実と一致する。それを目の当たりにして、イエスの驚きが窺える。
現代において、あるいは当時からも極端な例は、人間をも生け贄に供える悪魔教の萌芽が想像される。
<遅ればせながら、つながっているこころ様より拝借させて頂いた>
イエスはその必要性を鋭く衝いている。祭司は応えられない。神を見失っているからである。罪を外に求め、贖いを自らの責めとせず、犠牲(いけにえ)によってあがなえると他力信仰が巣くっていることが分かる。本来の宗教が堕落している姿である。
最高法院(サンヘドリン)のヒレルは、良い奴である。迫害をした首長とは違い、イエスの鋭い質問にたじろきながらも、非凡なイエスの聖の姿に驚く。サンヘドリンに留まり、教学を受ける。イエスがどのようにして確かな情報を得て成長していったかが、初めてよく理解出来る。
ユダヤ人の大祭が行われた。イエス、ヨセフ、マリヤ、その他多数の親族がエルサレムにのぼった。時にイエス十歳。
そしてイエスは者が小羊や鳥をほふって、これを神の名に於いて祭壇に焼くのを気をつけて見守っていた。彼のやさしい心はこの残酷なしぐさを見ていたく驚いた。彼は祭司に尋ねた。「このように鳥獣を屠(ほふ)るのは何のためですか。なぜ神の前にその肉を焼くのですか。」
祭司は答えた、「これはわれわれの罪に対する犠牲であって、神はこれをなすようにわれらに命じ、この犠牲によってわれわれの罪が消えると言われた。」
イエス、「神はいつ罪が何かの犠牲によって消えると言われたか教えて下さい。ダビデは神が罪をあがなう犠牲を要しないこと、寧ろ罪に対する供物
(そなえもの)として燔祭(はんさい)をその顔の前に供えるのが罪なりと言って居りませんか(詩四〇.六)。イザヤもそれと同じことを一言って居りませんか。」
祭司、「君はどうかしてるよ。君はイスラエルのすべての祭司以上に神の律法を知っているのか。ここは子供がえらそうなことをしゃべるところじゃない。」
しかし、イエスはこの叱責を気に止めず、最高法院(サンヘドリン)の首長ヒレルに行って言った、 「先生(ラボニ)、お話したいことがあります。
わたしは、過越(すぎこし)の祭礼の行事について気が気でありません。わたしは神の宮は愛と親切のやどるところと
思っていました。あなたや、彼処(かしこ)で人々が殺している小羊の鳴き声や鳩の悲鳴をお聞きになりませんか、あなたは焼肉から来るいやらしい臭気を嗅
(か)ぎませんか。人間はやさしく正しい筈(はず)なのに、どうしてこんなに残酷なのですか。
血と焼肉の犠牲を喜ぶような神は、わたしの父神てはない。わたしは愛の神を見出したい。先生、あなたは賢明です、屹度(きっと)どこで愛の神を見出せるか、話して下さることが出来る筈です。」
しかし、ヒレルは子供に答えられなかった。心は同情にかき乱された。彼は子供をひき寄せ、その頭に手を置いて泣いた。彼は言う、「愛の神がいますから、一緒に行こう。共に手をつないで行って愛の神をさがそう。」
イエス、「なぜ行くのですか。わたしは神がどこにでもお出でになると思っていました。わたしどもは心を清め無慈悲(むじひ)とすべての悪念をのぞき去り、そして心のなかを愛の神の住み給う宮とすることが出来ませんか。」
堂々たる最高法院(サンヘドリソ)の先生は自分が全く子供で、自分の前に一層高き律法のラボニが居るような気がした。彼は心中密か思った、「この子こそ確かに神の送り給うた予言者だ。」
それからヒレルは子供の両親をたずね、イエスが自分と一緒にいて、律法の教訓や宮の祭司のすべての課業を学ぶようにさせたいがどうかと尋ねた。両親は承諾した。そしてイエスはエルサレムの聖き宮のなかに留まり、ヒレルは毎日彼を教えた。
毎日教師は却ってイエスから多くの人生の責き教訓を学んだ。
子供は一年間ヒレルと共に宮に残り、それからナザレのわが家に帰り、そこで大工となって父ヨセフと共に働いた。
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第五部 イエスの幼少時代と初期の教育
第十八章 イエス、エルサレムの大祭礼に行く。犠牲(いけにえ)を供える人の残酷なるを見て悲しむ。ヒレルに訴え同情される。一年間宮に留まる。
1)ユダヤ人の大祭が行われた。イエス、ヨセフ、マリヤ、その他多数の親族がエルサレムにのぼった。時にイエス十歳。
2)そしてイエスは者が小羊や鳥をほふって、これを神の名に於いて祭壇に焼くのを気をつけて見守っていた。
3)彼のやさしい心はこの残酷なしぐさを見ていたく驚いた。彼は祭司に尋ねた。「このように鳥獣を屠(ほふ)るのは何のためですか。なぜ神の前にその肉を焼くのですか。
4)祭司は答えた、「これはわれわれの罪に対する犠牲であって、神はこれをなすようにわれらに命じ、この犠牲によってわれわれの罪が消えると言われた。」