カナダ 隠居生活

今まで世界をさまよい、2010年50歳、カナダにケアギバー 留学し、就職。2015年次女と念願の永住権獲得。

国境のない医師団 MSF

2013-03-21 23:25:16 | 日記
 日本でも毎月寄付していたがウエブサイトにMSF Canadaを見つけ毎月15ドル寄付することにした。ニュースレターが来るので英文を読むのにお勉強にもなるし。
 MSFはフランスの医師が5人集まり、赤十字の医療援助では活動に幅が広がらす限界がある。何か始めようと知恵を絞り始まった。この集団に出会ったのは29歳。会社の次長にくっついて小型飛行機に乗ってケニアの東部、ソマリア国境近くの難民キャンプを訪れたときだった。飛行機で一緒になったフランス人医師。いろいろ話を聞いて、緊急事態が発生し要請されると勤務している病院を数ヶ月休んでやってきるという。24時間以内に出発可能で所属先の病院も承諾している。これがわが国日本にはありえない。外務省が緊急援助隊なるものを行っているが、協力的な病院はほとんどないかもしれない少なくとも私の時代は人手不足で行くんならやめてほしいみたいな。。
 難民キャンプは暑い砂漠の中にあった。MSFの看護師、医師、マネージャーら5~6名いたと思う。気になったのは若い看護師の挑発的な服装。フランス人にとって普通かもしれないが、モスリムのソマリア人にとってちょっと刺激的だ。短パンに胸の大きく開いたTシャツ。いただけない。
 難民キャンプを目指し何十キロと歩いてきた人々。ついたとたん息絶える人もいる。熱い砂漠の中にオアシスのようにMSFは根を張っていた。しかし話によると、緊急時はいいが難民キャンプも数ヶ月を超えると今度は人々をいかに自立させていくのか、、え?パスポートないのにどうやって?と思うが結局自国に帰れないしかといって自由にケニアにもはいれなし、ほかの国に移住ということになる。カナダにも沢山ソマリア人がいる。エチオピア人もいる。。内戦が生んだ悲劇の民族たち。家族ばらばらになっている人も多いだろう。そんな人々を受け入れられるカナダの器が好きだ。現に娘が通っていた学校にシリアから移民した子供がいた。

 いつかはMSFに参加しまた援助の道に戻りたいものだ。それまで健康と気持ちの若さ??を保たなければ。。。。のんびりビーチは数週間で飽きるだろう。この性格ではね。
 

Identity

2013-03-21 11:58:44 | 日記
 次女のフェイスブックによると、過去の黒人差別社会の時代映画を見て、自分の中の黒人としての血が騒いだようだ。不思議なもので日本人として生まれ育っても外見同様心にもルーツが入り込んでいる。娘は生まれたときから父親が好きだ。しばらく夫が不在していたとき、日本から夫の国に出かけたが、1歳にならない次女は飛行機の中でヨチヨチ歩き、見知らぬ黒人の男性を父と思いついていったものだった。フィリピンにいたときも半年振りに夫が来ると肩車されとろけるような笑顔。本人は覚えてないだろうが、そんなことがあった。その人たちが差別を受け彼女は相当ショックであったろうと思う。現実まだどこかでいろんな差別は続いていることと思う。日本では平等が美しい、、と随分教え込まれたが外に出ると、まったく平等ではないしその上に社会は成り立っている。しかし心のあり方は平等である。寿命も平等である。
 カナダはほぼ全員ハーフなので差別的な事柄の排除は画期的にすすんでいる。すべては自分の力、資格や語学力がものを言う世界である。マルチカルチャーの国なのでその辺しっかりしておかないと大変なことになる。
 
 私からみると、次女は次女なのである。これから自分らしさに磨きをかけ自信を持って一人で生きていく知恵をつけていかなければならない。その為にはよい職業を選び人生を楽しんでほしいと思う。