北京に着いた。さすがに大都会。人も車もその量は京都の比ではない。
あてにしていた安宿は満室。あると思っていたユースホステルもない。
天津でトライした大学生寮をたずねるにはかなり距離がある。
この日は天津を9時に出発していた。
国道104号線は昼すぎまで強い向かい風。
思うように距離が伸びず、天安門広場へは9時前に着いた。
街は夜を迎えている。
言葉の壁を感じていた。
出る前から分かっていたが、現実になるともうお手上げだ。
何か買ったり、礼を言ったりすることはできても、
道を尋ねたり、自分の境遇を説明することは難しい。
逆に何かを尋ねられると苦笑いするのみ。
きっと助け舟を出してくれている人もいるのに、それに乗れない。
歯がゆい。悔しい。
たまに英語ができる人に出くわしても、
自分の英語力の低さに落胆…。
流暢に英語で語りかけてくれる中国の人々を目の当たりにすると、
一人のアジア人として、日本国民として、自分が不甲斐なく思える。
夜の首都北京は、日本の大都市同様、たくさんの街灯や
きらびやかなネオンに照らされ明るい。
焦りからか、最後の持ち駒のユースを探す途中、道に迷った。
助けてくれたのは日本語ができる中国の人だった。
正確な現在地と、目的地へ至る最短ルートを、
日本語と英語を交えて的確に示してくれた。
何とかチェックインし、ベットに倒れこんだ。
天津から147km、走行時間8時間以上。時計は10時を回っていた。
あてにしていた安宿は満室。あると思っていたユースホステルもない。
天津でトライした大学生寮をたずねるにはかなり距離がある。
この日は天津を9時に出発していた。
国道104号線は昼すぎまで強い向かい風。
思うように距離が伸びず、天安門広場へは9時前に着いた。
街は夜を迎えている。
言葉の壁を感じていた。
出る前から分かっていたが、現実になるともうお手上げだ。
何か買ったり、礼を言ったりすることはできても、
道を尋ねたり、自分の境遇を説明することは難しい。
逆に何かを尋ねられると苦笑いするのみ。
きっと助け舟を出してくれている人もいるのに、それに乗れない。
歯がゆい。悔しい。
たまに英語ができる人に出くわしても、
自分の英語力の低さに落胆…。
流暢に英語で語りかけてくれる中国の人々を目の当たりにすると、
一人のアジア人として、日本国民として、自分が不甲斐なく思える。
夜の首都北京は、日本の大都市同様、たくさんの街灯や
きらびやかなネオンに照らされ明るい。
焦りからか、最後の持ち駒のユースを探す途中、道に迷った。
助けてくれたのは日本語ができる中国の人だった。
正確な現在地と、目的地へ至る最短ルートを、
日本語と英語を交えて的確に示してくれた。
何とかチェックインし、ベットに倒れこんだ。
天津から147km、走行時間8時間以上。時計は10時を回っていた。