ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

お休みのお知らせと今後の予定

2010年08月31日 | このブログについて
カシュガルについて体がどうもだるかったのですが、ついに先週末高熱が出ました。この旅初の病院に通っています。
このため、今週いっぱいブログをお休みします。

旅行再開・キルギス入国についてはラマダン明けの祝日・国境閉鎖期間をはさむため、9月13日を予定しています。

現在の症状は熱+のどの痛み、咳です。こちらの医師の診断は「風邪」です。キルギス入国後首都まで約1000kmの間、医療機関が期待できないので絶対完治!しばらく様子を見ます。

ご心配をおかけしますが、記事の更新はしばらくお待ちください。

民族と旅人の十字路

2010年08月31日 | 中国(4)烏市→喀什
異国情緒あふれる「カシュガル」というこの町の名は、古いペルシャ語で「玉(宝石の一種)の集まるところ」という意味。名前のとおり、古くから交易で栄えた地だ。町に住むウイグル人の割合も、これまで通ってきたどの町よりも圧倒的に高い。いよいよ中国らしくないところにやってきたと思う。

そして、カシュガルでもユースホステルに泊まっている。いま中国では、豊かになりつつある人々が自分の足で大陸を歩きはじめている。一昔前は自分の省を出るなんて外国に行くくらいの感覚(今でもそういう人がほとんど)だったそうが、それも少しずつ変わってきている。現に青海湖では全国の大学生サイクリストが集結していたし、西の果てのここカシュガルにもバックパックを担いだ学生や社会人が毎日訪れるし、沈没(あまり宿から出ず、何をするでもなく長期滞在)している者すらいる。



そんな中、日本人や欧米人も負けてはいない。1週間ほどの間に日本人は8人、欧米人はもう無数にやってくる。
特に欧米人はサイクリスト割合が高い。ある日、15人のサイクリストが一堂に会した。中庭に並ぶ大量の自転車は壮観!




○全員サイクリスト!
 小さい女の子はすぐ後ろのカナダ人夫婦に連れられてきました。
 そのすぐ後ろの黒人は私。
 結構背高いんですが(184cm)埋もれてますよね。


カシュガルからは、北はキルギス方面、西はパキスタン方面、東がアクス方面へ天山北路、南がホータン方面へ西域南道と、まさに十字路状に道が延びている。カシュガルは、今でもそこを行きかう商人達の交易の場であり、縦横無尽に駆け回る旅人やサイクリストたちのオアシスでもある。


○自転車も個性的。リカンベントの試乗会


○三輪リカンベント(仰向けに乗ります)


○内装14段!


○誰かが着くたびに愛車チェック!おっと、これはバイク。

初の日本人サイクリスト、コージさんにも遭遇。彼の旅は中国横断なのでここがゴール。先行しているようこ&ひろさん(右ブックマーク参照・彼らはウルムチまで鉄道)と同じフェリーで上海に渡ってきたとのこと。世界は意外と狭いのかもしれない。


カシュガルが近づくに連れ、春にヨーロッパやトルコを出発したユーラシア横断組ともよくすれ違うようになってきた。



彼はフランス人Florian Bailly。天津から燕京号で神戸、東海道経由で東京まで。
ソーラーパネルでパソコン、ビデオカメラなど全ての電力をまかなう。自転車のアシストも可能。何で日本がゴールなの?と聞くと、「地図の端っこだから」…なんだ、同じ理由だ(笑)。そして、自転車に貼ってある日の丸国旗を指差して「これ、太陽でしょ?今回の旅のテーマにぴったり!」



映像作家の彼のホームページ。フランス語。
実は8月22日に登場してました。
http://www.florianbailly.com

日本で彼を迎えてくれる人を募集してみます。英語で意思疎通できます。
是非彼のビデオに納まって日本を紹介してあげてください。っても有名観光地を案内する必要はなく(英語のガイドがありますので)、おうちに靴を脱いで上がってもらって、畳の部屋で日本茶を出してあげたら大喜びすると思います。
私レベルのクソ英語でも何とかなります(実証済)
興味があったら親サイトから直メールください。


カシュガルサイクリングターミナルよりお届けしました
にほんブログ村 旅行ブログ 大陸横断・大陸縦断へ
旅行ブログ

最後の難関

2010年08月28日 | 中国(4)烏市→喀什
アクスを出発。カシュガルまで500kmを切った。いよいよ中国の旅もラストスパートだ。景色はコルラから1000km以上ほとんど変わらず、右手に岩山、左手に沙漠。なのだが、この岩山が曲者だ。毎日夕方になるとなにかと突っかかってくる。


まず、つむじ風。
夕方になると山に雲がわき、天候が不安定になる。



そして、こんなんが度々自分の前後を横切っていく。巻き込まれたらどうなるのか?怖すぎて体験する気にならない。どこかへワープさせられるのか。


次に砂嵐。
例によって、夕方になるにつれて不穏な空気が漂いはじめる。



岩山の上を真っ黒な雲が覆う。そして、雷が鳴り響く。夕立は確実かと思われた直後、





雲と山の間から砂がこぼれ始める。最初意味が分からなかったが、見る見るうちに砂が迫るではないか。ととととりあえず逃げるしかない!
爆風とともに砂が吹きつけ、目を開けていられない。たまたま見つけた鉄道作業員の車に避難。彼らは至って平常心。きっと日常茶飯事&そんな危険な事態でもない、ということか。




そして暴風。


○あーあーあー。
翌日も夕方になると岩山に雲がわく。そして、山の上から風が吹き付けてくる。
トルファン盆地の悪夢がよみがえる。
凶暴な風は地表付近の砂を巻き上げて、地吹雪ならぬ地吹砂。


○ひゃー…
かまわず進む。
しばらくすると風向きが変わって、砂が戻ってくる。馬鹿じゃないの。


○ぐふぉっ…
そしてタイミングよく雨が降ってくる。しかし雨じゃない。泥だ。巻き上げられた砂を含んだ茶色の雨がビシバシと、痛いほどに…。
この日は見かねたウイグル人道路作業員のクレーン車にかくまわれる。


最後は雷雨。



またまた夕方になると山には暗雲が立ち込める。ほとんど日課のようになってきた。今日はなんだ!と迎撃体勢。なんか鬼教官がやってくる放課後の部活みたいだ。


○木が全部この形で固まってる。

最後のメニューは雷雨+爆弾風。向かい風と追い風が交互に現れる。自転車も急加減速を余儀なくされる。これが膝にくる。ガクガクブルブルになりながらなんとか町にたどり着く。雨のほうは、爆弾ドライヤーのおかげで濡れても一瞬で乾く。


そうやってたどり着いたカシュガルだから感動もひとしおかと思われた。
が、街のシンボル・エイティガール寺院は「ついに姿を現した…」という感じでなく、不意に振り返ると「あ、これじゃん」というなんともあっけない登場の仕方。…まぁ、カシュガルは悪くない。




しばらく静養が必要です…。
にほんブログ村 旅行ブログ 大陸横断・大陸縦断へ
旅行ブログ

野宿で過ごす、沙漠の夜

2010年08月26日 | 中国(4)烏市→喀什
新疆に入ってから、安宿では宿泊拒否に合う確率が上がっている。(※)
一旦OKが出ても、後で「やっぱダメだわ」と撤回に来ることもしばしば。このため、否応なく高い渉外賓館に行かされる。仮に泊まれても安宿はたいていエアコンがなく、窓も小さく風が通らない。はっきり言って、寝苦しくて仕方ない。

というわけで、最近はテント泊にすることが増えてきた。この辺りは標高も1000mを超えているので、夜は涼しくて快適。地元の人もみんなベットを玄関先に出し、外で寝ている。幸い、コルラから先も都市間は相変わらず無人の沙漠地帯。


○ある朝。

さて、キャンプ地探しには独特の「嗅覚」がいる。うまい場所を見つけないと、一晩中「不安」そして「劣悪な環境」に悩まされる。

例えば、地面の傾斜。変なところに陣取ると、寝ている間に頭に血が上る。頭の向きを変えればいいのだが、お腹のところが一番高いとどうしようもない。地面の様子も大事。突起物がないか注意。蟻の巣の上は厳禁。テントを食い破られる。そして、雨が降ったとき、水がどう流れるかにも気を配る。(実際、沙漠でも突然降るので…)
野宿を予定している日は、一日中雲の動きを注視。

「獣」そして「害虫」も怖いが、一番出会いたくないのは「人間」だ。基本的には死角を探すが、その死角にたどり着くまでに見られたらアウトだ。沙漠は、人は少ないが死角も少ない。例えテントを張り終えていても、明るいうちに人に見つかれば場所を変える。

これらをの条件を満たす場所を見つけるため、暗くなりかけの30分くらいが勝負となる。地図でアタリをつけ、ひとつ手前の集落で晩飯を食べたり、買い物をしたりして時間調整をする。そして、ここと決めたら一気に設営。もたもたしている暇はない。

最後の敵は蚊だ。
沙漠の蚊はいつも何食って(吸って)るのか分からないが、とにかく大量にいる。油断すると集団で文字通り「ボコボコ」にされる。テントに逃げ込めればそこは「蚊帳」と同じ。群れを成す蚊の羽音がうるさいが、それも日没まで。あとは満天の星空を待つだけだ。

朝は気持ちよくていつまでも寝ていられそう…。
だが、日が差すとテント内は一転蒸し風呂に。こうなる前に撤収!出発!
今日もそうやって一日が始まり、一日が終わる。

(※外国人が泊まれるホテルは一応指定されているが、その規則の運用は徹底されていない)


○このあたり、土壌の塩分濃度が高いのか、地面は塩を吹いている。


○そして今日も日が暮れる。


そして今日も風呂に入れなかった。
にほんブログ村 旅行ブログ 大陸横断・大陸縦断へ
旅行ブログ

パンクはまだ2回。下痢はもう5回。

2010年08月23日 | 中国(4)烏市→喀什
今日は、すっかり仲良くなってしまった中国のトイレたちを、
写真では酷すぎるのでイラストでご紹介。

中国を旅する誰もが触れるベタな話題だが、北京からはるか新疆まで毎日
庶民の生活空間を間借りした自転車乗りのトイレコレクションは層が厚いぜ。
尚、食事中の方の閲覧はご遠慮ください。


◇エントリーNo.1
北京、東単の公共衛生間

天津ではホテル、廊坊では古い学校のトイレ並みの「文明厠所」
(厠所=中国語でトイレの意。ツースオ)にしか出会ってなかった私、
まだ心の準備が出来ていなかった。
入って仰天!
何で扉はおろか壁もないのよ!
人民とともにケツを出し、緊張しながら踏ん張ったのが懐かしい。
(もちろん露出の少ない?洋式を使った)
そして、中国3日目にして便器に紙を流してはいけないことに気付いた。
横に紙を捨てるバケツがおいてある。のに、紙は散乱している。


◇エントリーNo.2
河北省宣化県、食堂兼宿屋の厠所

水洗は水洗だが、ホースを使って自分でブツに狙いを定め、流し去るタイプ。
外の手洗い場に石鹸があったのが妙に嬉しかったが、早くもこれが最後となる。


◇エントリーNo.3
河北省杯来県、食堂の厠所

来た来た来た。これが田舎の標準型。
レンガ造り穴だけトイレ。
穴の下も巨大な穴。もちろんメンテナンスフリー。
正確に言うと、メンテする気がない。


◇エントリーNo.4
内モンゴル自治区興和鎮、食堂の厠所

穴。そして板が2枚。
もう、なんてゆーか、穴!


◇エントリーNo.5
内蒙ウランチャプ市集寧区、招待所の厠所

カーテンを開けると、だだっ広い空間に洋式が鎮座。
水タンク横のレバーはブっ壊れていて触ってもうんともすんとも。

で、横の箱の中には水、洗面器、浮き。
どうやら自分で汲んで流せってことらしい。
水位が下がると浮きが検知して水がたまる…っつーか、めんどくさっ!!


◇エントリーNo.6
内蒙バインノール市臨河区、招待所の厠所

10部屋もあるのに、トイレ兼洗面はたった一箇所。
歯磨きも洗髪もここで。
洗面台の水を流すと便器に流れていく。
髪洗ったら便器が泡だらけになった(笑)


◇エントリーNo.7
内蒙烏海市、食堂の厠所
行き着くところまで行き着いた。

近づいていくと、ところどころにブツと厠紙(トイレットペーパー)。
あとは推して知るべし。


◇エントリーNo.8
寧夏中寧県郊外、旅社の厠所
庭の外に連れて行かれる。
塀に沿って進むと、

要は、したら斜面を崩して埋めておく。
いつか斜面なくなるぞ。


◇エントリーNo.9
寧夏中寧県郊外、飯屋の厠所

あの回族のご飯屋さん。
トイレのつくり自体は普通だけど、良く手入れされていて嬉しかった。
生ゴミ、人間と家畜のし尿はまとめて菜園の肥料に。全てが循環している。


◇エントリーNo.10
甘粛省白銀市郊外、旅社の厠所
 
鍾乳洞か!


◇エントリーNo.11
青海省西寧市、駅前の公厠(公衆便所)

決まった時間に水が流れる。
もちろんその時間下流に居合わせると、他人のブツが大量に
足元を流れていく。
5角。…有料かよ!


◇エントリーNo.12
青海省倒尚河鎮、飯店兼宿屋の厠所
ない!と言われ、よその店で借りるよう指差される。
夜中にしたくなったらどーする!自分で探すことに。

裏庭を見て、この辺くせーな…と思い入っていくと…

ほらね、あるある!とズボンを下げる自分にウケる。
大丈夫か?おれ。


包頭の招待所では、ついに扉を閉め忘れて地元民とご対面☆
タバコをくれた。意味が分からん。


お疲れ様でした。
最後に、中国トイレ攻略3か条。
(1)紙は常時携帯すべし。弁当忘れても紙忘れるな。
(2)都市部ではホテルかファストフードを狙うべし。
(3)田舎では野糞の方が数倍快適。

以下補足。
(1)紙があるトイレは、100元近く出して泊まるホテルの自室だけです。
(2)人のことは気にしないので、トイレ使うためだけに入店しても
  なんとも思われません。(キレイだし無料。でも紙は無い!)
(3)基本的に田舎ではどこでしようと手は洗えないので、
  慣れるかウェットティッシュを携帯しましょう。
  (田舎での入手は困難。要持参)
  とにかく臭いもですが、大量の蝿が嫌なんですよね。
  ソレ触った汚い足でおれの顔に触れるな!!…あ"ーもう、野糞のほうがマシ!
  …ってそれできるのはドライバーと自転車乗りだけか。


今「日本のどこが好き?」と聞かれたら、
間違いなく「トイレ!」と答えるだろう…

にほんブログ村 旅行ブログ 大陸横断・大陸縦断へ
旅行ブログ

漢訳仏典の父・クラマジーバのふるさとクチャ

2010年08月21日 | 中国(4)烏市→喀什
「クマラジーバ」という人物をご存知だろうか。

時は4世紀。彼は現在の中国・クチャにあった「亀茲(きじ)」という国の王子様として生まれる。しかし、彼はわずか6歳で母に連れられ仏教の本場・インドへ仏学の旅に出る(どんだけスパルタな教育ママなんだ)。後に亀茲国は滅びてしまうが、彼は相手側の王朝に手厚く迎え入れられ、晩年は長安で仏典の翻訳をして過ごした。彼が仏典を漢訳したことで、仏教は中国の人々に受け入れられ、やがて日本へと浸透していく。(仏教はインド伝来なので原典はサンスクリット語。元々漢字だったわけじゃありません!)

そして21世紀の今、日本人が読んでいるお経の多くは、未だに彼がサンスクリット語から漢語に翻訳したものが多く含まれている。あるいは、後に玄奘(俗に言う三蔵法師)らによって訳し直しされたものもあるが、クマラジーバがそれらに影響を与えたパイオニアだったことには変わりはない。

ちなみに「三蔵法師」とは、佛典の経、律、論、この全3種類に精通した僧にのみ与えられる尊称とのこと。もちろんクラマジーバもこれに該当。したがって、「三蔵法師」は玄奘の別名というわけではないので、念のため。


10世紀までは仏教の国だったクチャの街は、現在イスラム教徒であるウイグル人の町になっている。


○街の一角に立つ庫車大寺。


○礼拝堂は木造建築






○ウイグル人のバザール。クチャのナンはデカいことで知られる


○亀茲国の城壁

亀茲国を偲ばせるものは今、この崩れかかった城壁と郊外に点在する石窟位しかない。その石窟も、イスラム教徒による破壊に遭い、顔の部分が徹底的にえぐられている。

郊外のクズル千仏堂の中に、飛天が琵琶を奏でる岩絵があるという。遠すぎて見にいけなかったが、そこに描かれているのは奈良の正倉院に保存されている琵琶とそっくりなんだと。こんなとんでもない中国の奥地から、仏教以外にも様々なモノが西へ東へと運ばれていった。


さて、いま世紀を超えて彼らの辿った道を自転車で走るが、単調な沙漠は辛くて私には仏門の境地はおろか、暑い、喉乾いた、疲れる、次の村にはいつ着くか?今夜は何食うか?、んでどこで寝るか?等々雑念ばかりが沸き起こる。昔の旅人は偉大だ。…でも、馬上で翻訳していたわけでもないから、やっぱり似たようなこと考えてたのでは?




最近はパスポートを見せないと日本人だと信じてもらえない。おいおい。
にほんブログ村 旅行ブログ 大陸横断・大陸縦断へ
旅行ブログ

ここらで一発、現代ウイグル語講座

2010年08月19日 | 中国(4)烏市→喀什
こんにちは…ヤフシムーシズ
ありがとう…ラハメット
さようなら…ホシュ
いくら?…カンチェプル
それ高いよ…バッキ・キンメッゲ
(写真など)許可を取る…ボラムドゥ?
私は日本人です…メン・ヤップンヤリッキ!

特に意味はないが、こんにちはの「ヤフシムーシズ」が「やくしましす」に聞こえる。
仲良し同士だと、短くヤフシムだけを発音しているが、
「屋久島ー。」「ぅえぃ、屋久島!」
このやりとりは笑えてしまう。

なんでもこの屋久島、「good」の意味が含まれているようで、自転車で天津から走ってきたことがバレるとみなさん「ヤクシ、ヤクシ!」と言って喜ぶ。

ちなみに、こちらの人々(男性)は挨拶のときには右手で握手する習慣がある。
うっかり左手を出すのはNG!要注意。

さて、彼らウイグル人も、少し日本語を知っている。
その内容は…
「ハイ!」「ハーイ!」
「モシモシ」
「コッチキナサイ」
「ワタシハ」
「ワタシデ」
「ヨーシ、ヨシ」
「バカー!」

…食堂で、
私「日本人です」
主人「ヨーシヨシ、バカー!」「ガハハハ!」
と言われたとき、なんて応戦すりゃいいか真剣に悩んだ。

犯人は、やはりテレビだった。



朝、別の食堂で飯を食ってたら、テレビの前の客が
「こっち来い!」としきりに合図する。
ちょうどコントが始まった。
旧日本軍服姿のウイグル人お笑い芸人が、さっきのカタカナ日本語をあの順番で読み上げる。支離滅裂。そして中国人(漢族)に扮した、こちらもウイグル人芸人に蹴りを入れてボコボコにしている。それを爆笑しながら見るウイグル人観客。

…彼らはそんなわけで日本人にとても優しい。



○ウイグル人の女の子。
 「もう、暑くてやってられないわね…」


ホシュ・エミセ!(では、さようなら!)
にほんブログ村 旅行ブログ 大陸横断・大陸縦断へ
旅行ブログ

またお知らせ

2010年08月17日 | このブログについて
いつも時間を割いてご覧いただき、ありがとうございます。

さて、新疆に入り、トルファンあたりからネットカフェの利用規制が厳しくなりました。本来外国人は利用できないので、規則に厳格になっただけとも言えますが、とにかく、ここへきてネットの更新が一気に難しくなりました。(これまではネット可能な宿でしのいでいましたが、それも厳しくなってきました)この状況は今後トルコまで延々続くと思います。

このため、
(1)これまでより更新間隔が開きます。
(2)記事のコメントへのレス、直接いただくメールへの返信が遅れます。
(3)ですが、まず生きてますのでご心配なく。

緊急事態の場合はネット以外の方法で日本へ連絡取ります。

なお、コメントは無条件で受け付けているため、いかがわしいサイトへの誘導なんかがついちゃうかもしれません。消すまでに時間かかるので、さらっとスルーしてください。記事自体は、最初の2週間は予約記事が流れますが、それ以降どうなるかは私にも分かりません。


(ブログランキングについて)
これ本当は毎日クリックいただけると都度ポイント加算されるみたいですが、更新されてないのにクリックを要求できるほど強気ではないので、押していただける方は(ありがとうございます)、気分で押してください。
にほんブログ村 旅行ブログ 大陸横断・大陸縦断へ
旅行ブログ

あと、クリック後最初に開く画面を「旅行ブログ」からサブカテゴリの「大陸横断」に変えときます。最近は2位あたりをウロウロです。


(以下雑談)
中国のネットは本当に怖いです。世界最高峰・最先端のweb監視システムが構築されています。監視要員だけで3万人を雇用。さらに、監視プログラムの開発更新には米国企業も多く入っています。要するに、本気で規制してます。なので、YouTubewoはじめGoogleの一部機能、FC2関係全て、Wikipedia、Twitter、多くのブログ、動画、日本の新聞社、とにかく色々見れません。GooBlogも、いつシャットアウトされてもおかしくないです。中国語で余計なこと書き込むと捕まります。日本でも殺人予告すれば捕まりますが、ここでは例えば集会の呼びかけとか、当局批判とか、そのレベルで捕まるみたいです。民主党をボッコボコに叩ける日本という国のありがたさを思わずにはいられない。それでも一向に良くならない日本という国の空しさを噛み締めずにはいられない。

それでは、中国最西端の都・カシュガルでお会いしましょう。



○世界で2番目に大きいタクラマカン沙漠が近い。タクラマカンとは、ウイグル語で
 「一度入ったら戻れない」という意味だそうです。
 現在はそこを突っ切る国道が2本ありますが、挑戦する気にはなりません。

噂の中国・下等列車の乗客になる(2)

2010年08月15日 | 中国(4)烏市→喀什
(つづき)
6時間ほど経ち、相変わらずカオスが繰り広げられる車内とガラス一枚を隔てた外には、DVDで見たままの景色が広がっていた。
夕暮れが近き、金色に染まる山々と草原。馬に乗った遊牧民に追われながら、無数の羊たちが草を食む。山の頂近くには氷河が見える。美しい。美しいけど、首を90度回すと「コレ」だ。何が飛び出すか分からないこの車内が妙に気になり、車窓に集中できない。


○イヤホンはお姉ちゃんと分け合う。

ちなみに、長くじっとしているとおしりが痛くなるので、自然発生的に席替えが行われる。このためか、近くの者同士はだんだん仲良くなってくる。食べ物の交換や荷物番はこの連帯感の中で自然に行われる。ウイグル人の中には漢語が通じない人も多いが、行きずりの日本人にも笑顔でアイコンタクトしてくれる。「硬座に乗ったら回りは全員盗賊と思え」なんて言われてたのが、なんだか拍子抜けだ。

9時間以上が過ぎた。暗くなって、晩御飯(またまたインスタントラーメン)を食べ終わると皆寝る体勢へ入る。…といってもここは寝台車ではない。安眠は創意と工夫、そして少しの勇気をもって勝ち取るしかない。座席の下に布を引くのは常套手段。硬座は消灯がないので、光から逃れるにも都合がいい。座席の上は上等なベッド。ただ、限りがあるので交代だ。女の人を膝枕して寝かせてあげるウイグル紳士が多かった。あとは、普通に席に座りながら机に突っ伏したり、2階建て車なので階段の踊り場に寝たり、階段そのものでうずくまったり、荷物置き場の隙間や荷物の上、何でもありだ。

そして、こっちの人は民族問わず「触れる」ことに寛容だ。隣の人にもたれかかったり、誰かの足の上に足を置いたり、僅かな隙間があれば密着してでも強引に座る。男も女も関係ない。日本だったらたくさんの人が捕まるだろう(笑)



○お仕事でカシュガルへ向かう漢族2人と夏休みで帰省するキルギス族学生。
 乗客同士の距離が近い。


さて、すっかり夜行と化した7556列車は、「各駅停車」なので相変わらず全ての駅に停まる。小さな駅では、この列車が唯一(要するに一日一本)のため、人の出入りはそれなりにある。

車内改札で一人ずつの行き先をチェックしていた車掌は、駅が近づくと降りる人を探して声をかける。ところが、車内はもう席もクソもないので、どこに誰がいるのかさっぱり分からない。だから駅名を全力で叫ぶ。そして、乗り込んでくる客とまた喧嘩だ。夜だろうがなんだろうが怒鳴るときも全力で怒鳴る。確かにうるさいのだが、不思議なことに慣れると気にならない。

そういえば公安の巡回も一回あった。人民の身分証を全員分電子端末に記録する。ICカードになってるようで、差し込むと瞬時に写真も含めて情報が記録される。立派な管理体制だ。国民総背番号すら拒絶する日本はまだまだ国民優位だと思う。学生証は投げて返してたが、日本のパスポートはちゃんと手渡してくれた。カメラと現金の入ったミニショルダーを見て「いいもん持ってんじゃねぇか」と言われただけだ。


出発から13時間。1時を過ぎ、窓の外にはやっとコルラの街の灯が見えてきた。
起きている周りの乗客も「もう着くね」なんて気にしてくれていた。車掌も声を掛けに来た。「コルラの人あと3人いるんだけど…」もちろん、知る由も無い。程なくして絶叫のコルラコール。アラームは要らない。

かくして、1時22分。なぜか定刻どおりにコルラ到着。漢族とウイグル人にそれぞれの言葉でさよならを言い、13時間半の旅は終わった。
コルラ駅はこの時間、ウルムチ行きとカシュガル行きの列車が行き違う。真夜中でもホームには大きな荷物を抱えた人が溢れる。30分ほどの停車の後、新たな乗客を迎えた列車は、再びそれぞれの目的地へ向けて動き出す。




[結論]
ウルムチ→コルラ間の移動は、バスのほうが3倍快適です(笑)。バスの所要時間は半分。椅子は大きく柔らかく、エアコンはばっちり効くし、飯も水も付くし。料金は倍(138元=約1800円)しましたが。そのかわり乗客との交流は皆無。
列車は切符を買うのが本当に大変です。まず窓口のある建物に入るのに荷物検査と身分証チェック。その後長蛇の列に並び、横入りを防ぎ、時に押しのけ、駅員に詰め寄り、希望の列車がないときの代替案をいくつも用意し…。考えただけでも疲れる。
バスなら当日ふらっと行っても余裕で買えました。荷物検査もゆるゆるだし。心なしか係員も親切な気も。日本人と分かると微笑みかけてくれるなんて、本当にここは中国か!と噴出してしまう。もちろん、どちらも路線や地域による差は大きいと思うので、新疆の事例ということで、参考までに。


長文失礼しました。
にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村