ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

報告(ギブアップ)

2010年09月27日 | このブログについて
体力の低下からか、胃腸炎を発症しました。
負の連鎖を断ち切ることができません。
これ以上たくさんの方に迷惑をかけたくないので、
帰国を選択します。

多くのコメント、メール、本当にありがとうございました。
個別のお返事ができなくてごめんなさい。
また、カシュガルで出会った旅人の皆さん、
そして現地人の皆さん…
1ヶ月の療養生活は、決して孤独ではありませんでした。
だから、心は腐らず、いつも再出発をめざしていられました。
体がついてこなかった、それだけです。

今後のことは、追って報告させていただきます。

民族意識と運命と

2010年09月23日 | 中国(4)烏市→喀什


宿屋のユスフ、ムサジャ。
近所に住む大学生のアイパリ。
カバブ屋の店主。屋台のおっさん。
エイティガール寺院の前で出会った教師。





―概して陽気な彼らウイグル人は、仲良くなるとそっと語りかけてくる。

私たちには自由がない。
ウイグル人は、いつまで経っても豊かにはなれない。


―彼らの背負うものを垣間見る。

漢語なんて使いたくないんだ。
英語を話せるか?英語で話そう。

本当は、今こうやって君と話しているのもよくないんだ。
私たちは警察に連れて行かれてしまうんだ。

この子は私の一人娘だよ。
英語を教えているんだ。
少し相手をしてやってくれ。


奴らは私たちに漢字の名前をつけて、
私たちの町の名前を変えて、
私たちに漢語を覚えさせた。

私たちの土地ですき放題している。
私たちからあらゆるものを奪っている。



○市政府前の毛沢東像。
 4、5年前は老城だった場所らしい。


○これがまたでかいのだ。どうしてこんな人の神経を逆撫で
 するような真似ができるんだろう、この国家は。


―漢族の旅行者はこう言う。

漢族の生活レベルは高い。
私たちがこの地に入ってきたことで、インフラは整い、
少数民族の生活水準は向上した。

彼らには上昇の機会だって開かれている。
漢語は必須さ。その国の言葉やルールを学ぶことは当然じゃないか。

彼らはひがんでばかりいる。努力もせずに、不平、不満、悪口ばかりだ。
しっかり働かず、よく分らない行動ばかりして。信用できないんだ。
それなら、無理して少数民族を雇うより、漢族を雇いたくなるよ。
分かるだろう?

新疆に資源は多い。でも、彼らだけでそれを活かすことができると思う?


―もし自分がこの町に生まれていたら、何を思うだろう。

この町に、ウイグル人として生まれていたら?
漢族として生まれたら?

そんなことを思う度に、自らにある日本人としてのアイデンティティを探し始める。
アイデンティティなど意識せずとも生活していける、日本という国の特殊性を思う。


日本人の旅行者と、中国や日本の行く末なんかを話した。
「日本大和族自治区」なんてことになったらどうしようか、なんてことを笑って話した。
尖閣諸島の件を知って、いつまでも笑ってられないかもね、なんてことも真顔で話した。

日本が日本であることは、決して当たり前などではなく、
過去から続く各方面の絶え間ない努力と幾多の偶然によってのこと。

いわゆるただの不良社会人に甘んじている今の自分が、そんな大局に影響を及ぼすことなどできはしない。
だからこそ、何がどうなっても、沙漠のウイグル人のように生きたいと思った。
陳腐なナショナリズムを掲げるという意味ではない。
爆弾を積んで突撃する勇気でもない。
昨日隣町でテロが起こっても、漢族の客だろうが、日本人の客だろうが、ボることも出し惜しむこともせず、いつもどおりの最高にうまいラグメンを出し、うまいか?と聞いて回り、家族に囲まれて陽気に笑っている。





「そのとき」「そこに」生まれてしまった運命は受け入れるしかない。
人間は、その境遇を嘆きつつも、生き延びるしかない。
どうせ生き延びるなら、笑っていたほうがいい。


ま、漢族も逞しく、いや、かしましく?生きてるけどね…
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街が死ぬ?

2010年09月20日 | 中国(4)烏市→喀什
カシュガル市内には、至る所に「老城(ラオチェン)」というウイグル人居住区がある。
土壁が続く老城の路地は、複雑に入り組んでおりまるで迷路のよう。そして、角を曲がれば鮮やかな民族衣装を纏った婦人や子供とすれ違う。RPGの世界に迷い込んだような感覚になる。











老城はどこかトルファンの故城群を思わせる。
真夏でも涼しく、土やレンガなどこの地の材料で作られ続けてきた住居である。何百年も続いてきた生活の舞台である。それを粉塵に帰してコンクリート都市に作り変える作業が、今日も急ピッチで進む。



わずかに残された老城は「民俗風景区」として保存されている。そして、そこに入る観光客は30元の料金を取られる。これまでは何の変哲もなかった当たり前の風景、そして今も人が暮らすただの街に、入場料をとってやろうという神経。それも市や自治区当局でなく、民間の旅行会社がやるのだからやるせない。



急速に進む工事は耐震のため、老朽化対策のため…と宣伝されている。四川や青海で起きた大震災の悲劇を思えば納得できる。それでは、残る老城に住む住民たちにはどんな解決策が供されるのか。金儲けの道具として囲われた街に住む人間は、当局の言う「安全と文明」から取り残されるのか?
ウイグル人の生活習慣を破壊し、文化を断絶し、宗教を排斥するための再開発…ウイグル人にそんなふうに言わしめるこの大工事。真相は、一外国人などが知る由もない。


旅人同士の間で、「カシュガルは死んだ」という言葉を聞く。あちこちで上がる土煙、大量になだれ込む漢民族の移民と観光客を目の当たりにして、以前を知る誰かが言い放ったのだろう。

入場料をとる老城に住む子供たちは、観光客にお金をせびることを覚えてしまった。漢語の旅行書では、少数民族の写真を取るためには、お金を渡すよう指南されている。
「イークワイチェン!イークワイチェン!(1元ちょうだい)」そう言いながらの満面の笑みを見ていると、なんとも言えない気持ちになる。しかし、しばらく一緒に遊んでいると、じきにお金をせびることなんて忘れてしまう。カメラを向けると、とっておきのポーズを決めてくれる。国道沿いの村々の子ども達となんら変わらない笑顔。




○みんなでテレビを見ています


住民は町の変化に翻弄されながら、生きていくしかない。
何か重苦しいものを背負いながらも、生き続けるしかない。

街は、変化するもの。景観も人心も、とどまれるものではない。
他所から来た者が、ある一時期のことを切り取って「良かった」と言うのは勝手だ。
でも、彼らは途切れることなくそこで生活をしている。
カシュガルは死ねない。そこに暮らす人がいる限り。






「民族分裂反対」
「共創美好未来、感謝党中央」
漢字で大書された看板が、砂埃の中にかすむ。
宿で休んでいると、今日も老城を破壊する地響きが聞こえる。



おねだりするならお菓子になさい!
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悔しい、歯がゆい、カシュガル強制沈没

2010年09月13日 | 中国(4)烏市→喀什
キルギス行きの前に、タシュクルガンという町へ病み上がりのトレーニングに行った。キルギスは標高が高いので、高地での走行に慣れておきたかった。

行きは車に自転車を乗せて行く。日本人サイクリスト二人で、ウイグル人ドライバーに連れられて山道を300km。着いて初日は雨。2日目を迎える朝、再び高熱に襲われた。
たまたま出会ったもう一人の日本人旅行者に自転車を託し(シンジさん、無茶苦茶な状況でしたがほんまにありがとうございます)、一人バスで山を降りて、すぐにカシュガル一の大病院へ向かった。病院で使う単語など知っているわけもなく、とにかくジェスチャーと漢字で詳細な検査を要求。X線と血液検査の結果は肺炎。5日間の点滴を命じられる。13日の再出発は絶望。再び療養生活が始まった。

この間、ラマダンが明けた。年に2回の集団礼拝も、広場でのダンス大会も見逃した。その晩に現れた旅行者にパソコンを貸したら、強烈なウイルスに感染してそのまま使用不能に。持ち主も持ち物もボロボロ。災難もある程度なら笑いとばせるのだが、いい加減疲れてきた。





かれこれ一ヶ月近くこの町で、たくさんの旅人に出会い、一緒にご飯を食べたり、観光にいったりもした。でも、自分だけが一向に出発できないこのもどかしさは苦しい。走るのによい季節も、旅行資金もどんどん減っていく中で、家族からも帰って来いコールが飛ぶ。それを頑なに拒む自分のその意図も、実際はよく分らなくなってきていた。

2度とない大切なチャンス。大陸横断自転車旅。ここで帰ればその旅費は致命的。耐えるしかない。でも、本当にそれが正しい答えなのか?自分でもよく分らない。乾いた咳とぼんやりした頭にやられながら、今日も旅立つ人を見送る。そして一人病院に通う。







思えば体を壊した回数も多かった。続々とやってくる自転車乗りに比べると、体力、自転車のグレード、装備、語学力、経験…あらゆるものが劣って見えた。時期尚早だったか?背伸びしすぎたか?でも、自分には今しかなかった。どうしても、来年じゃなく、十年後でもなく、今だった。大切な人や、家族、自分の職歴…うん、やっぱり、今だった。

無理をするなといわれても、明らかに無理をしている。無理をしなけりゃ進めない、そんなの世の常だと思っていた。父に言われた「意地ばっか張って、それで取り返しのつかないことになったら、それこそ笑いもん」という言葉は響いた。でも、意地がなければ、ここまでこれなかった。

そしてなお、どうしてもここで終わりたくない。前に進めると信じたい。何のためにとか、誰のためにとか、今となってはそんなことどうでもいい。悶々としながら、ただ流れていく日々。歯がゆくて悔しくて、叫びたくなる。この単調なカシュガルでの毎日が、いつか何かの役に立つのか?動けない苛立ちをナンとともに噛み潰す。焦っていても仕方ない。でも、心穏やかでいられない。
まだ、走りたい。


日曜バザール探検&突っ込みツアー

2010年09月08日 | 中国(4)烏市→喀什
カシュガルといえば、バザール!
毎週日曜日はバザールの日。町から、村から、たくさんの人々が買い物に繰り出します。現代のシルクロード商人達の売っているものは、そのほとんどがメイドインチャイナになってしまいましたが、逆にそのお国柄を反映して突っ込みどころ満載です。
それでは、無駄に広大な売り場とウイグル人のマーケティングセンスを覗きに、バザールへ分け入ってみましょう…


○物を売ることを路上で叩き込まれるウイグル少年達


○バザールでの買い物風景


○スカーフ屋さん


○布屋さん。これはウイグルの伝統文様・アトラス


○ノート屋さん


○香辛料屋さん


○造花屋さん


○パンスト&靴下屋さん街


○袋屋さん


○って、そのゴミ袋福岡市のやん!!


○モップ屋さん


○シャンプーとピン球屋さん


○ガム・ペンとピン球屋さん
 ピン球好きやな!!


○ありがたいお言葉ポスター


○無理やり押し通る桃屋さん。いやいや、あぶないあぶない!


○ガシャーン!ガラガラバンバン!!やかましガシャン!いお盆屋さガラガラ!!ん


○ウエディングカード屋さん
 …ニッチやなぁ


○ナンの模様付け具屋さん
 …えらいニッチやなぁ


○スコップの先だけ屋さん


○一輪車の車輪だけ屋さん
 お前らニッチ過ぎやろ!


○金具屋さん


○ポンプ屋さん


○スカーフ屋さん再び


○アディダデュス?


○カッペキッズ??


○パンソネイク???


○パンソン?????
 ええ加減にせい!


○ラクダ電気。なのにマスコットは鳥。
 なんでやねん!


!エンドレス!
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街中みんなで断食…ラマダン

2010年09月05日 | 中国(4)烏市→喀什
ラマダン(ウイグル語ではラマザン)といわれる、イスラム教の断食月をご存知だろうか。
日本でもその名前だけは聞いたことのある人も多いのでは、と思う。




○多くの食堂は日中の営業を取りやめている。

断食、といっても一ヶ月間絶食し続けるのではなく(無理ですね笑)期間中毎日、夜明け前から日の入りまでの間一切の飲食を絶つというもの。教義で定められた以上、まずは従うことに意義があるのだが、その目的としては、大きく分けて二つ。ひとつは、飢えなどの欲望を制することによって、己が欲望の前に服従することを防ぎ、自制心を得ること。そしてもうひとつが、「飢え」を身をもって体験することにより、貧者の苦しみを思い、また満たされているありがたみを確認する、という修養である。

ラマダンは全イスラム教信徒(ムスリム)の義務である。また、ラマダン期間中は喜捨(貧しきものへの施し=寄付)が奨励されるほか、飲酒、喫煙、争いごと、性行為などは慎むべきものとされている。そして、このような厳しいラマダンを、同じときに世界中のムスリムとともに取り組むことで、ムスリム同士の一体感を生む、という作用もあるようだ。

とにかく、ラマダンはイスラム教徒にとっては特別で大切な期間なのである。

ちなみに、イスラム教は大陰暦を使用しているため、ラマダンは毎年少しずつ(太陰暦の一年は354日、すなわち11日ずつ)早くなっており、今年から真夏にぶつかってしまった。案の定、日中の街中には暑さと空腹でぐったりしたウイグル人があふれている。仕事は…?…それどころじゃねぇって雰囲気だ。

今年は世界的な猛暑で、戒律には非常に厳格な中東諸国でも、宗教指導者が場合によってはラマダンを免除する声明を出すなど、色々ニュースになった。太陰暦を使用する以上、ラマダンは春夏秋冬全ての季節にやってくる。日の短い冬が楽なのは言うまでもないが、地球上のどこに住んでいようとも平等に負担が与えられるというのは、それはそれで良く出来たシステムだと思ったりもする。


○ナン屋やお菓子屋は営業を続けていたりする。
 もちろん、その場で堂々と買い食いするのは控えるべきだ。

一方で、肉体労働者や学生、妊婦、病人、旅行者などは免除され、飲食は可能(病人は回復後に断食できなかった日数を改めて断食する)。当然異教徒である漢族は通常通りの生活を営んでおり、彼らの経営する飲食店も開いている。

なんだかんだで、新疆はじめ中央アジアは世俗化が進み、真面目にラマダンに取り組む者も現在では少ないと聞いていたし、現に国道沿いの自転車旅ではあまり意識することもなかったのだが、カシュガルは結構やっている人が多い。そして、ビールを飲んだり、タバコを吸っちゃったりもするウイグル人に、そんな敬虔な面をみせられると少し安心もするのである。


○ラマダンが解かれる夜市は連日大盛り上がり。


断食明け間近、夕方の屋台街を散策。


○「ウプケ・ヒスィプ」
 羊の腸に米と香辛料を詰めたものが「ウプケ」、羊の肺に小麦粉を詰めたものが「ヒスィプ」。これをトマト味のスープで煮る。見た目「うぷっ」って感じですが、味はあっさり。屋台街の名物料理。
 後ろには羊の足と頭を煮る屋台が。ウイグル人は羊を「骨以外全て」食べる勢いです。




○ポロという名のピラフ。もともとは手でつかんで食べる料理で、漢語では「抓飯」と書きます


○総菜屋さん。モロ中華の影響を受けているような…


○お菓子屋さん


○生クリーム屋?


○あんこ屋!?


ラマダン期間中は、夜間の食いだめのため通常のシーズンより食糧消費量が増えるというのは有名な話。
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