ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

回想(2)

2010年10月16日 | 出発前
来る日も来る日も、朝から晩遅くまで働いて、時には鼻血を出してぶっ倒れ、それでもいただけるお給料に心から感謝して、謙虚に素直に、巡り来る一日に感謝して生きていたんだ。足るを知るべしと言い聞かせ、別段贅沢もせず、コツコツとお金を貯めて、地に足つけて生きていこうと決めたんだ。そうやって得られる「安定感」が、幸せのひとつの姿だと信じて。実際、なんだかんだで不自由のない暮らしなのだから。



物心ついたころから失われた10年が始まっていたおれたちに、明るい未来なんて想像できないんだ。今より良くなっていく明日なんて、どう見繕っても、どこにも見えやしないんだ。だから、今目の前にある毎日を大切にしたいんだ。でも、それすら危うい日々の生活。
大学を出て、名もない毎日が繰り返され、職場と部屋との往復だけの暮らし。昨日何食ったかも思い出せない。まぁ、20代はそんなもんだと言い聞かせ。

そして、今の世界は良くない。世の中が良くない。地球が危ない。だから、自分のこの暮らしも仕方ない。いや、仕事があって、食いっぱぐれないだけマシな方。生きてるだけでありがたい。そんな風に思いながら過ごした。或いは、思わされていた部分も、あるかもしれない。
でも、このままで、おれは果たして彼女と幸せになれるのか?たとえ二人が幸せになれても、周りが不幸なままだったら、その幸せは長続きするの?二人が幸せであるためには、その周りにもっとでっかい幸せがなきゃいけないんじゃないの?…

そのために、おれは何ができる?
世界に対して、世の中や地球に対して、何ができる?何をしてきた?



世界が地球がって言うけども、結局そのつかみきれないモノを、見たふりをして見れていなかったのは自分。
ディスプレイの向こうに見えるのは、セカイじゃなくて画素なんじゃないの?

つーか、世界なんて飛び出して見なきゃわかんねぇだろうが。


恵まれた環境に生まれた、分別をわきまえないモラトリアムの延長戦。現実逃避。えぇーそれで結構。
所詮どこまでも凡庸ないち一般人として、おとなしく立派な社会人になるべく己の勤めを果たしてりゃいぃんだよ。そうすりゃ結婚も親子も、会社の人間関係もみんなすんなり行くんだよ。そんなの分かってんだよ。
でも、見ようと思えば見れるんだ。手を伸ばせば、届くところに世界はあるんだ。
そんな境遇にある人間は、世界の中でもごくわずか。それだけは分かってる。
おれはただ、デキるビジネスマンになる前に、胸張って「生きてる!」と叫べる人間になりたいんだ。
自分の欲求に蓋をして、夢をあきらめることを覚えさせたくないんだ。
この無機質な毎日に、無抵抗に溺れていく自分を見ているのが怖いんだ!



えぇい、開き直れ!
所詮、おれは何も持っちゃいない。あるのはただどこまでも広がっていく選択と行動の自由。それそのものが稀少で尊い「チャンス」以外の何ものでもない。たとえ後ろ指差されようが、馬鹿扱いされようが。

この旅は、現実逃避というより、現実の別の側面を照らす、別の見方を探る体験への欲望なんだ。
先を明るく見通すことのできない現実を、正面から受け止めるんじゃなくて、もっと別の捉え方が、攻め方があるんじゃないかっていう視点を磨く、チャンスなんだと思う。
だって、おれたちの知ってる世界なんてちっぽけで、きっと全体の何万分の一も分かってなくて。でも、もしかしたら、その中にこもって考えるから、暗い側面ばかりが強調されるのかもしれないじゃない。
向かってくる敵を討つために、グローバリゼーションの波に呑まれるときに、おれたちがすべきことは、今起こってることを知ること。
そして、「知る」ということは、そう簡単なことではないと思うんだ。



世界が世界はなんて屁理屈こねる前に、まず世界を見ろよ。その目で見ろよ。えらそうに働いてるフリしてんじゃねぇよ。何いっちょまえに大人になった気分でいるんだよ。人生なんてそんなもの…なんて浮かない顔して言い聞かせ、分かったつもりで凝り固まっていくのか?そのキリキリと痛むトゲを、見ないように、ごまかしながら歩むのか?歩み続けられるのか?
そんなんで結婚して子供作って、お前はその子に何を語れる?何を託せる?

この人と幸せに生きたい。
でも、このまま進むのが幸せと思えない。
その気持ちを胸に旅立つのなら、そう思う自分を信じるしかない。
きっと答えは見つからない。そんなもんはどこにも用意されていない。
旅路の果てに自分が紡ぐ言葉、踏み出していく歩みが、「とりあえずの答え」なんだ。
それで充分。旅立つ理由は、それだけで充分。


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