ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

燕京号にて

2010年05月08日 | 中国(1)天津→呼市
神戸から天津まで2泊3日、約50時間の船旅。
国際フェリーには、日本人や中国人だけでなく、欧米人も乗っている。
割合で言うと、2:7:1くらいか。
席は2等洋室。畳一枚ぶんもない二段ベットが窮屈に並ぶ。
乗客は80人ほどらしい。船のキャパシティよりはるかに少ない。
「燕京(ヤンジン)」とは、北京の昔の名前のようだ。

日本人の旅行者が数名おり、食事などを共にする。
自転車ユーラシア横断まではともかく、初海外でという暴挙を、
なかなか告白できない。

特に年下のK君は、すでに(自転車じゃないけど)
ユーラシア横断を達成している猛者だ。
先輩方にいろいろと旅の日常を教えてもらう。

恥ずかしがっても仕方ないので、状況を説明すると、
なんだか心配させてしまった。そりゃそうだ。

朝の嵐が嘘のように穏やかだ。瀬戸内の街の灯を見て船は往く。
午前1時、関門海峡を過ぎると、不安定だった携帯電話の電波は途絶えた。
漆黒の闇に浮かぶ航跡は、船の明かりが届くところまでしか見えない。
自分と日本を結ぶ糸が、一気に細くなった気がした。

旅立ち

2010年05月08日 | 出発前
午前3時20分、起床。ロクに寝られなかった。
重い体を引きずり、負けず劣らずずっしりと重い荷物を搭載していく。
予報では、昼前にかけて寒冷前線の通過による雨。突風や落雷に注意。
早速逆風吹き荒れる波乱の旅立ちかと思われた。

午前4時7分、長いキスの後、彼女に見送られて出発。
ほどなくして弱い雨が降り出す。
関西屈指の幹線・国道171号の夜明け前は、交通もまばら。
知った道を快調に飛ばす。

淀川を左手に望むころには、周囲も明るくなってきた。
早速、ヘルメットを置いてきたことに気づく。
この自分の抜けっぷりには、我ながら先が思いやられる。
そもそもノーヘルで171号は危険すぎる。
…のは分かっていても、戻ることはできない。
神戸港まで70km強。9時には出国手続きが始まる。
悪天候の中、5時間はギリギリだ。

茨木を過ぎたころから雨脚は強まる。横を走るトラックから、
文字通りバケツをひっくり返すような水を浴びる。
汗と雨もあわせて早くも全身ズブぬれだ。

ただ、そんな嵐は、追い風でもあった。
天候悪化直前の北東からの湿った強風は、重い自転車をことごとく西へ押した。

神戸市内で、船旅の食料と靴下を調達し、
午前9時18分、神戸港国際フェリー乗り場に無事到着。
旅のスタートラインに間に合った。

午前11時、船は特にアナウンスもなく、至ってあっけなく離岸した。
見送りの人もわずか数名。雨に煙る神戸の街が遠ざかる。
甲板から父親に国内最後の連絡を入れた。