神戸から天津まで2泊3日、約50時間の船旅。
国際フェリーには、日本人や中国人だけでなく、欧米人も乗っている。
割合で言うと、2:7:1くらいか。
席は2等洋室。畳一枚ぶんもない二段ベットが窮屈に並ぶ。
乗客は80人ほどらしい。船のキャパシティよりはるかに少ない。
「燕京(ヤンジン)」とは、北京の昔の名前のようだ。
日本人の旅行者が数名おり、食事などを共にする。
自転車ユーラシア横断まではともかく、初海外でという暴挙を、
なかなか告白できない。
特に年下のK君は、すでに(自転車じゃないけど)
ユーラシア横断を達成している猛者だ。
先輩方にいろいろと旅の日常を教えてもらう。
恥ずかしがっても仕方ないので、状況を説明すると、
なんだか心配させてしまった。そりゃそうだ。
朝の嵐が嘘のように穏やかだ。瀬戸内の街の灯を見て船は往く。
午前1時、関門海峡を過ぎると、不安定だった携帯電話の電波は途絶えた。
漆黒の闇に浮かぶ航跡は、船の明かりが届くところまでしか見えない。
自分と日本を結ぶ糸が、一気に細くなった気がした。
国際フェリーには、日本人や中国人だけでなく、欧米人も乗っている。
割合で言うと、2:7:1くらいか。
席は2等洋室。畳一枚ぶんもない二段ベットが窮屈に並ぶ。
乗客は80人ほどらしい。船のキャパシティよりはるかに少ない。
「燕京(ヤンジン)」とは、北京の昔の名前のようだ。
日本人の旅行者が数名おり、食事などを共にする。
自転車ユーラシア横断まではともかく、初海外でという暴挙を、
なかなか告白できない。
特に年下のK君は、すでに(自転車じゃないけど)
ユーラシア横断を達成している猛者だ。
先輩方にいろいろと旅の日常を教えてもらう。
恥ずかしがっても仕方ないので、状況を説明すると、
なんだか心配させてしまった。そりゃそうだ。
朝の嵐が嘘のように穏やかだ。瀬戸内の街の灯を見て船は往く。
午前1時、関門海峡を過ぎると、不安定だった携帯電話の電波は途絶えた。
漆黒の闇に浮かぶ航跡は、船の明かりが届くところまでしか見えない。
自分と日本を結ぶ糸が、一気に細くなった気がした。