ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

険悪、日中草の根交流

2010年05月22日 | 中国(1)天津→呼市
夕方、ルームメイトのシンガポール人、テゥン君と共に食事に出る。
彼は英語と中国語のバイリンガル。
店の主人に、どこから来たのと問われ、彼は自分の故郷を、
そして私を日本人だと紹介した。
すると、主人はぶつぶつと、彼だけに話しかける。
他の客は、それを聞き、くすくす笑っている。
  
とても居心地の悪いディナーだった。
会話の端々に「リーベン(日本)」と聞こえた。
自分(達)のことを言っているのは、充分わかった。

食後、部屋で飲むお茶を買い、あわせて会計をした。
後で聞くと、わずかながら日本人だからと食事料金もぼられていたらしい。
(これは自分でしっかり数えていなかったのも悪いが)
一方、テゥン君も会計後にお茶を買おうとすると、主人はお金はいいと、
受け取らなかった。


外に出ると、テゥン君は少し熱っぽく英語で語った。

中国人の中でも、特に中高年の人は今も戦争のことを忘れていない。
南京であったことは、知っているだろう?
シンガポール人も、戦争を忘れることはない。
占領はシンガポールが5年、中国が15年。
大陸は、それだけ傷跡が深いのだろう。
僕をはじめ、若い人は日本人に対しニュートラルな人が多い。
どうか気を悪くしないでくれ。

後で詳しく聞いた。店の主人は、こう言っていたそうだ。
中国人は60年経ち、日本人の罪を許した。
しかし、この遺恨は、永久に消えないだろう。

どうしてそのとき(ぼられたとき)抗議してくれなかったのかと、
テゥン君に詰め寄ることなどできなかった。

テゥン君には、なんとかこう伝えた。
日本人も、戦争について学ぶ。しかし、それは十分ではない。
日本人の中でも、それぞれ理解に差がある。
これは日本人にとってとても難しい問題だ。

…なんと嘆かわしく、そして、どっちつかずな、いかにも日本人的な答えなんだ。

日本での、中国に対する歴史の総括は、右派左派、タカ派ハト派の枠組みの中で
翻弄され、結局統一的な見解などありはしない。
教科書は事実を淡々と(その事実がこちらの国での事実と食い違ってるのだが)
羅列するに過ぎない。私たちは、それをテストの点を取るために暗記するに過ぎない。
だから、彼らと論戦なんか出来るはずもなく、そもそも意見すらまとめられない。

どう処理していいか分からない、このもどかしさ。
初夏の宵。薄暗い街。生ぬるい風が、肌を伝う。


(補足)
二日後にチェックインした、中国人系アメリカ人にこのことを話したら、
「未だにそんなこと言ってんのか!もう60年も前のことじゃねぇか!!」と大笑いしていた。
「君がやったわけでもない。我々は平気でベトナムにも行くし、平気で彼らと握手するよ!」
「実は、多くの中国人は、日本人と知ってもとても親切にしてくれます」
「だろう?そんなに気にすることじゃない。」
…事実、あからさまに嫌な態度をとられたのは、先の一度だけ。
こうして記事にするとインパクトが大きいけど、
朝克さんや肖君やほかの多くの人も「気にしてないよ」と言う。

彼らのためにも、決して反中感情を煽りたくはないことを記しておきます。