ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

黄砂の生まれるところにて…

2010年05月24日 | 中国(1)天津→呼市
朝克さんの運転で、車はところどころ舗装のはがれた、荒れた道をゆく。
道路の溝が深く、車が跳ねると天井に頭をぶつけそうだ。

ここはフフホト市から南西に直線距離で150キロ、オルドス市郊外のとある村。
広々とした草原の後ろに、一段高く砂丘が横たわっている。
日本に飛んでくる「黄砂」のふるさとでもある。




「つい10年前、ここまで(沙漠で)何もなかったんだ」と言われた場所には、
沙柳(さりゅう)と呼ばれる植物の茂みや、ポプラなどの木が、
しっかりと根を張っていた。




一方、去年はこんな様子じゃなかった、と嘆く箇所も。
砂漠化の魔の手は、一進一退を繰り返しているようだ。


ここオルドスは、十何年も前から有名な日本の大学教授が入って、
熱心に植林に取り組んできた地。
先日お世話になった任さんも、彼の名前を知っていた。
今では数多くの団体が、さまざまな手法で砂漠化を食い止めようとしている。
日本だけじゃない。韓国のJICAにあたる機関も入っている。




そもそも、この地は草原だった。定住して放牧と農業を始めたのは
この半世紀の間のこと。農民は貧しい。何とかして豊かになりたくて、
付加価値の高い地場産業を生み出した。
それが、私たち日本人も好んで愛用する「カシミヤ」の生産だ。

カシミヤは、カシミヤヤギの体毛からとれる繊維。
このヤギは賢く、食欲も旺盛。草を根っこから食べつくしてしまう。
ある意味、沙漠になりかけた瀕死の草原でも、彼らは生きることができる。
そして、草原の草は完全にはがされ、もともと乾燥しているこの地域は、
動く砂の波に飲み込まれていく。これが急激な砂漠化のひとつの要因だ。

地元の人たちの生活は農業と放牧である。
瀕死の草原を柵で囲って、木を植えていく作業…植林は、
ある意味彼らの生活の場を奪うことでもある。
そこから生じる摩擦もあるときく。
せっかく植えた木の芽をヤギに食べさせたり、農民自身が植えた木を切り、
薪にすることすらあると。

では、私たちがカシミヤを買わなければいいのか。答えはノーだ。
カシミヤを買わなければカシミヤの単価は下がり、ただでさえ貧しい彼らは
より多くのカシミヤを生産しなければならなくなるだろう。

朝克さんたちが考えている今の答えは、
ヤギと人と草原がバランスよく共存できる形、すなわち、多くの日本人が
パフォーマンスのようにする植林…外から高価な苗木を買ってきて、
それを何本植えたかを競う…のではなく、沙柳の様に、この地に自生し、
生育が早く、ヤギのえさにもなる植物で、沙漠化を食い止めること。
また、種や実が売れる種類の木を植えたり、畑で作る作物の品種を変えて、
農民たちの現金収入を増やすこと。
カシミヤに依存しすぎない生活をつくり、また、砂漠化を止めることが
彼ら自身の生活向上につながる仕組みをつくること。


一年にわたり走らせてもらうユーラシアの大地に、微力でも何か恩返しをしておきたい。
そんな気持ちから訪ねた沙漠・植林ツアーが始まります。



○砂漠になる前は、一面このような草原だった。
 一度砂漠化すると、食い止めることはできても
 決して元の状態には戻らない。


砂漠化の詳しいメカニズムや、日本人、現地人の活動について、
詳細はぜひ以下のホームページをご覧ください。

地球緑化クラブ
[http://www.ryokukaclub.com/]