健康診断の結果、預貯金残高の状況、家庭環境、その他いろいろ考慮の結果、再出発含めた旅の続行は不可能と判断した。
判断したけど、果たしてそれでいいのか、葛藤が波のように押し寄せた。
時々、意味もなく、このままどこにも行けなくなってしまうんじゃないかと、たまらなくなった。不安定な日々を過ごした。
彼女に会いに、5ヶ月ぶりに京都へ行った。
久々の再会は、やはり少しぎこちない。
最近の仕事の様子なんかを話をして…、いや、それだけを話して、後は間ができる。
夜。少しずつお互いのスタンスを明かしていく。
旅に出たい気持ちは消えていない。でも、再び旅に出ることはもう難しい。
結局どっちとも決めあぐねて、相も変わらず悶々としていた。悶々としながら、旅はもう終わるだろう、と告げた。
彼女が、何を言っていいか分からないと言いつつ、少しずつ口を開く。
悔しいね。旅は終わってないね。
私は旅の期間を限定したつもりもないし、一時帰国を挟んでまた出発することも禁止してなんかいない。
だから、ここで泣きついて止めたり、自分の気持ちを出しすぎて、再出発をためらわすようなことはしたくない。
これは、貸しとか、借りとかじゃなくて。
私はこの旅を、認めたんだから。
私に悪いと思うことで、あなたの本当にとりたいと思う行動を変えないで。
そう言われて、こちらもいよいよなんと言っていいのか分からなくなった。
自分のことなのに、自分の気持ちを整理し切れていない状況が失礼にも思え、でも、どうすることもできないでいた。
理性的に考えたら「旅行中止」以外の選択肢はなかった。
しかし、心の中には、たとえこの身体が壊れ元に戻らなくても行ってしまいたい!という、衝動という名の魔物が暴れ狂っていた。
その魔物が、彼女の一言ひとことで少しずつ溶けて行く、そんな気分だった。
間が開き、再び彼女の言葉がゆっくりと続く。
でも、結婚したら行っちゃだめとも言ってない。
今行かず、また時機が来たら…ということではだめなのかな。
そんなことがができるんだったら、私はそのほうがいい。
あの時行っておけば…って後悔することがあって、それを事あるごとにボヤかれても、私は一生ボヤかれ続けたほうが、本当は嬉しい。
結局、自分を送り出してくれたのはこの人であり、帰るのはこの人の元。
どんなに世界広しと言えど、どんなに隅々まで探し回っても、そこまで言ってくれる人はここにしかいない。帰るところがあるからこそ旅に出られのだという事を、改めて思った。
旅は誰にでもできる。
でも、この人と出会い、ここまで日々を重ねてこられたのは自分だけ。恋人に限らず、それは自分を囲むあらゆる人に当てはまるのだけれど…
出発の日、テールライトが見えなくなるまで見送っていたときのこと。
その日一日、仕事が手につかなかったこと。
でも、一日ずつ、帰って来る日が近づいていると思い直せるようになったこと。
奴は大丈夫なんだと信じられたこと。
そんなエピソードの一つひとつが、挫折の苦しみを、無事に帰って、またこの人に会えたということに対する素直な喜びに変えていった。
もし、彼女を含め、今回の旅を見つめてくれた沢山の人たちに対して、いや、今まで一緒に過ごしてきた身の回りの多くの人たちに、感謝の意を表すならどうすべきか。何はなくとも、再び生活を切り開いていくことだと思った。働いて、生きて、家族を設けて、みんなで幸せになるために努力をする。その姿を見せることが一番のメッセージじゃないかと思った。
あの大地で、誰もがそこに向かって生きていた。あれこれ複雑なことを考えることなく、まっすぐに、純粋に、家族のために、ただ一生懸命だった。その姿が、とても「自然」に見えたんだ。その姿が、まぶしかった。理屈じゃない、思想でもない。それは、本来人間が備えている内なる望みのように思われた。幸せって、与えたり与えられたりするものじゃなく、一生懸命な毎日の中で、自分の中から自然に沸き出る感情なんだろうな、と思われた。
旅の続きをやるだけが大切なわけじゃない。
遠くへ行くだけが旅なのでもない。
再出発「できない」と考えるんなじゃなくて、また状況にあわせて考えればいいということにして。楽なほうに流れるとか、ご都合主義と捉えるのではなく、優先順位を踏まえ、考えに幅を持たせたということにして。自分を責め立て、追い込んでいくのではなく、もっと自然に、しなやかに考えてもいいんじゃないか。
旅をすることは難しい。でも、今の自分のおかれた環境や、関係を築き、得てきたことのほうが、はるかに尊い奇跡。だからこそ、時にはそれを「大切にすること」も必要。手入れしたり、温めたり、思ったりすることも必要なんだ。
卑屈にならず、前向きに、もう一度、この国で生活を組み立ててみよう。
まだ見ぬ新しい家族を作ってみよう。大切な人たちに囲まれながら!
「結婚しよう」
彼女は、ただうなずいていた。
目には、涙が光っていた。
ポルトガルへの道はまだ半ばですが、今回でブログ更新を終了します。
途中の挫折。心身へのダメージ。社会人としてのキャリア上のブランク。
この旅は、取り返せない損失を私に与えました。
それでも、旅に出たことへの後悔は1mmもない。全くない。これだけは断言できます。
途中で諦めざるを得なかった悔しさと惨めさは消えません。しかし、たとえ中国一国だけだったとしても、遠く離れた地に暮らす人々と触れ合った体験、まぶたに焼きつく絶景の数々、そして、今も肌に残るユーラシアの風の感触は、同じように消えることはありません。そして、そんな旅の空の下に出会った人の縁、考えたこと、少しは広がった視野や日本人としての意識は、何ものにも替えがたい宝です。
長く無難に生きるだけが人間の使命じゃない!自らの意思に従い、リスクを振り切り、レールを外れ、流れに逆らった経験も、そんなことできる自分のアホさもパワーも、いつか何かの糧になる。というか、しなきゃいけない。そんな奴がいたっていいじゃない。本当に何も、後悔はしていないのです。
今後は、年内を目処に親サイトへ細かい走行データ、かかった費用等を掲出します。
中国~中央ユーラシア方面に自転車旅行を計画中の方、参考にしてください。
親サイトからは直接私へメールが送れますので、質問等あればお気軽にどうぞ。
また、ブログの感想等いただけると非常にうれしく思います。
たった半年、短い間でしたがお世話になりました。
そして、ありがとうございました。またどこかで、お会いできることを願って!
再見!
~ユーラシアの風~
2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記
(完)
判断したけど、果たしてそれでいいのか、葛藤が波のように押し寄せた。
時々、意味もなく、このままどこにも行けなくなってしまうんじゃないかと、たまらなくなった。不安定な日々を過ごした。
彼女に会いに、5ヶ月ぶりに京都へ行った。
久々の再会は、やはり少しぎこちない。
最近の仕事の様子なんかを話をして…、いや、それだけを話して、後は間ができる。
夜。少しずつお互いのスタンスを明かしていく。
旅に出たい気持ちは消えていない。でも、再び旅に出ることはもう難しい。
結局どっちとも決めあぐねて、相も変わらず悶々としていた。悶々としながら、旅はもう終わるだろう、と告げた。
彼女が、何を言っていいか分からないと言いつつ、少しずつ口を開く。
悔しいね。旅は終わってないね。
私は旅の期間を限定したつもりもないし、一時帰国を挟んでまた出発することも禁止してなんかいない。
だから、ここで泣きついて止めたり、自分の気持ちを出しすぎて、再出発をためらわすようなことはしたくない。
これは、貸しとか、借りとかじゃなくて。
私はこの旅を、認めたんだから。
私に悪いと思うことで、あなたの本当にとりたいと思う行動を変えないで。
そう言われて、こちらもいよいよなんと言っていいのか分からなくなった。
自分のことなのに、自分の気持ちを整理し切れていない状況が失礼にも思え、でも、どうすることもできないでいた。
理性的に考えたら「旅行中止」以外の選択肢はなかった。
しかし、心の中には、たとえこの身体が壊れ元に戻らなくても行ってしまいたい!という、衝動という名の魔物が暴れ狂っていた。
その魔物が、彼女の一言ひとことで少しずつ溶けて行く、そんな気分だった。
間が開き、再び彼女の言葉がゆっくりと続く。
でも、結婚したら行っちゃだめとも言ってない。
今行かず、また時機が来たら…ということではだめなのかな。
そんなことがができるんだったら、私はそのほうがいい。
あの時行っておけば…って後悔することがあって、それを事あるごとにボヤかれても、私は一生ボヤかれ続けたほうが、本当は嬉しい。
結局、自分を送り出してくれたのはこの人であり、帰るのはこの人の元。
どんなに世界広しと言えど、どんなに隅々まで探し回っても、そこまで言ってくれる人はここにしかいない。帰るところがあるからこそ旅に出られのだという事を、改めて思った。
旅は誰にでもできる。
でも、この人と出会い、ここまで日々を重ねてこられたのは自分だけ。恋人に限らず、それは自分を囲むあらゆる人に当てはまるのだけれど…
出発の日、テールライトが見えなくなるまで見送っていたときのこと。
その日一日、仕事が手につかなかったこと。
でも、一日ずつ、帰って来る日が近づいていると思い直せるようになったこと。
奴は大丈夫なんだと信じられたこと。
そんなエピソードの一つひとつが、挫折の苦しみを、無事に帰って、またこの人に会えたということに対する素直な喜びに変えていった。
もし、彼女を含め、今回の旅を見つめてくれた沢山の人たちに対して、いや、今まで一緒に過ごしてきた身の回りの多くの人たちに、感謝の意を表すならどうすべきか。何はなくとも、再び生活を切り開いていくことだと思った。働いて、生きて、家族を設けて、みんなで幸せになるために努力をする。その姿を見せることが一番のメッセージじゃないかと思った。
あの大地で、誰もがそこに向かって生きていた。あれこれ複雑なことを考えることなく、まっすぐに、純粋に、家族のために、ただ一生懸命だった。その姿が、とても「自然」に見えたんだ。その姿が、まぶしかった。理屈じゃない、思想でもない。それは、本来人間が備えている内なる望みのように思われた。幸せって、与えたり与えられたりするものじゃなく、一生懸命な毎日の中で、自分の中から自然に沸き出る感情なんだろうな、と思われた。
旅の続きをやるだけが大切なわけじゃない。
遠くへ行くだけが旅なのでもない。
再出発「できない」と考えるんなじゃなくて、また状況にあわせて考えればいいということにして。楽なほうに流れるとか、ご都合主義と捉えるのではなく、優先順位を踏まえ、考えに幅を持たせたということにして。自分を責め立て、追い込んでいくのではなく、もっと自然に、しなやかに考えてもいいんじゃないか。
旅をすることは難しい。でも、今の自分のおかれた環境や、関係を築き、得てきたことのほうが、はるかに尊い奇跡。だからこそ、時にはそれを「大切にすること」も必要。手入れしたり、温めたり、思ったりすることも必要なんだ。
卑屈にならず、前向きに、もう一度、この国で生活を組み立ててみよう。
まだ見ぬ新しい家族を作ってみよう。大切な人たちに囲まれながら!
「結婚しよう」
彼女は、ただうなずいていた。
目には、涙が光っていた。
ポルトガルへの道はまだ半ばですが、今回でブログ更新を終了します。
途中の挫折。心身へのダメージ。社会人としてのキャリア上のブランク。
この旅は、取り返せない損失を私に与えました。
それでも、旅に出たことへの後悔は1mmもない。全くない。これだけは断言できます。
途中で諦めざるを得なかった悔しさと惨めさは消えません。しかし、たとえ中国一国だけだったとしても、遠く離れた地に暮らす人々と触れ合った体験、まぶたに焼きつく絶景の数々、そして、今も肌に残るユーラシアの風の感触は、同じように消えることはありません。そして、そんな旅の空の下に出会った人の縁、考えたこと、少しは広がった視野や日本人としての意識は、何ものにも替えがたい宝です。
長く無難に生きるだけが人間の使命じゃない!自らの意思に従い、リスクを振り切り、レールを外れ、流れに逆らった経験も、そんなことできる自分のアホさもパワーも、いつか何かの糧になる。というか、しなきゃいけない。そんな奴がいたっていいじゃない。本当に何も、後悔はしていないのです。
今後は、年内を目処に親サイトへ細かい走行データ、かかった費用等を掲出します。
中国~中央ユーラシア方面に自転車旅行を計画中の方、参考にしてください。
親サイトからは直接私へメールが送れますので、質問等あればお気軽にどうぞ。
また、ブログの感想等いただけると非常にうれしく思います。
たった半年、短い間でしたがお世話になりました。
そして、ありがとうございました。またどこかで、お会いできることを願って!
再見!
~ユーラシアの風~
2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記
(完)