「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの美術鑑賞:飯縄寺を中心に『波の伊八』の彫刻を訪ねて

2012年05月29日 | 美術鑑賞



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昨年の4月、美楽舎の例会にお招きし、『波の伊八』の彫刻に関する講演を、飯縄寺の住職・村田浩田氏にしていただいた。

ただ、参考資料及びネットで検索した画像で見るだけでは、『波の伊八』の彫刻の真価はわからない。

その時以来、私は『波の伊八』の実物の彫刻をみたいと思っていたが、この度美楽舎5月例会に参加し、千葉県いすみ市の飯縄寺と行元寺にある『波の伊八』の彫刻を鑑賞することができた。

今回の例会企画は、N氏とK氏だが、K氏が飯縄寺の住職・村田氏の高校の先輩という間柄から、飯縄寺では特別な計らいで貴重な経験ができた。

昨年の村田氏の講演については、以下のブログを参考にしていただきたい。

今回のブログでは、これ以上紙面が長くなるのを避けるため割愛した「飯縄寺縁起」および「波の伊八」の略歴について、参考になると思う。

マッキーの美術鑑賞:『波の伊八』の彫刻がある飯縄寺住職 村田浩田氏講演


5月27日(日)、東京駅前に午前8時に集合し、会員10名が車2台に分乗して上総いすみ市に向けて出発。

まず初めの目的地は、いすみ市荻原にある東頭山・行元寺(とうずさん・ぎょうがんじ)だった。



駐車場からしばらく切通しの参道を歩くと、木々の新緑に囲まれて、その朱色がいっそう艶やかに感じる山門が建っていた。

東頭山・行元寺は、849年慈覚大師により開山され、徳川家の庇護により興隆したという。




天台宗では、東国初の寺ということで、行元寺は山号を東頭山と称している。

この寺の見所は、波の伊八作の欄間・本堂欄間を彫った高松又八の作品五楽院等髄の「土岐の鷹」杉戸絵である。



本堂に入ると、正面の本尊を祀る古い構築物を囲むように増築された部分は、最近修復されて建立当時の極彩色の彫り物で飾られている。

それらの欄間彫刻は、彫物大工高松又八の作品である。

徳川家公儀彫物師であった高松又八の作品は、彫物の出来以上に、豪華絢爛な岩絵具による極彩色に目を引かれる。



次に案内の方に導かれ、生活の場の雰囲気を感じる本堂脇の書院へ向かう。

田の字型に配置された部屋を仕切るふすまの上の欄間に、波の伊八の彫刻はあった。

あくまでも書院のスケールの欄間は、一般家庭のスケールに近い。

無垢のケヤキに彫られた波濤と、その上に浮かぶように彫られた宝珠

限られた欄間のスペースを最大限に活かすように、伊八の波は躍動的に彫られている。

潮の流れは、活き活きとした精緻な多くの曲線で表現され、今まさに砕け散ろうとする波頭は生き物のように変化する。

その伊八の波は、九十九里の荒波を写実的に彫ったものだが、それは3.11の如く人生に降りかかる荒波のようでもあり、またその波濤に浮かぶ宝珠は、永遠の安寧を願うかのようである。

伊八の欄間から下へ目を移すと、部屋を間仕切る杉戸には、堤等琳の弟子である五楽院等髄「土岐の鷹」が、板絵として描かれている。

等髄と葛飾北斎が共に堤等琳に絵を学んだことを勘案すると、北斎が同派のこれらの作品を見るために上総の国を周遊する折、この寺を訪れたことは間違いない。

そして、偶然に伊八の彫刻に出会い、その波の表現方法や構図に影響を受け、葛飾北斎の名作、富嶽三十六景『神奈川沖浪裏』の、印象的な構図が誕生したと考えられる。



本堂を出るとその前に、葉書の名の元祖で、別名「手紙の木」と呼ばれる「たらようの木」(もちのき科)が生えている。

最後に寺の案内の方が、「葉書」に寺の名を書いて、幼児にプレゼントしてくれた。



行元寺を後にして、地元の方がお勧めする料理屋で、昼食を取る。

あじたたき丼・いわし丼・天丼・いくら丼が各自の前に運ばれ、談笑しながら美味しくいただいた。



食事後、今日のメインの目的地である、市内岬町和泉にある飯縄寺(いづなでら)へと向かう。

最近葺き替えられた室町期様式の茅葺屋根の山門(仁王門)は、寄棟造の屋根形状が緩やかに曲線を描き、その暖かいフォルムで訪問者を迎えてくれる。



飯縄寺住職の村田浩田氏の案内で、寺の見所を解説していただきながら巡った。

飯縄寺は、山門から本堂へ直線的に延びる参道で境内は左右分けられ、その参道に対し垂直に目に見えない結界により、空間が宗教上の濃淡に区切られ、各エリアに本堂・庫裡・鐘楼・池などがすっきりと配置されている。

本堂・山門以外に、最近修復された鐘楼は、四面に彫刻が施され一見に値する構築物である。



参道の突き当たりに、こぢんまりとしているが銅葺き入母屋の威厳ある本堂が静かに佇んでいる。

この本堂に施された彫刻はすべて伊八作品で、まず唐破風下の風雨に耐えた彫刻群が見事である。

正面には、烏天狗と大天狗の面が掲げられ、飯縄信仰により飯縄大権現が、本尊として祀られている。

また、このお寺は、大同3年(808年)に慈覚大師(円仁)が開いたと伝えられ、不動明王も本尊として祀られているので、神仏習合の寺であることが理解できよう。




今回は住職の計らいで、本堂内の彫刻群の撮影許可と、一般には公開していない本堂内奥の本尊安置場所に立ち入ることができ、中で本尊の解説と平成の大修理の際に見つかった天井画などの説明を受けた。

この寺のトピックとしては、護摩焚きの煤で図柄が判別できない状態になっていた秋月等琳(三代目堤等琳)作の天井画の修復が始まったことだろう。

行元寺の堤等琳の
弟子の五楽院等髄が描いた「土岐の鷹」の板絵、それに今回修復が始まった飯縄寺にある北斎と等髄の絵の師匠・等琳の本堂天井画などの存在を合わせ考えれば、北斎がこの地で多くの伊八作品を見て、躍動感ある「波」やその構図に影響を受けたという仮説は、真実の可能性が高い。

では、特別に撮影を許可された、本堂の伊八の彫刻を、画像を参考にしながら紹介しよう。



伊八壮年期の最高傑作とされる三面の結界欄間の中央には「天狗と牛若丸」、左右には「波と飛龍」を、見上げるようにして鑑賞できる。

その規模は、一般的な欄間の概念をはるかに超えた広がりと奥行きを備え、見る者を圧倒する。





この地には、牛若丸伝説が口伝され、それを題材に伊八は「天狗と牛若丸」を彫ったようだ。

その伝説とは、京の鞍馬山で大天狗から武術を学んだとされる牛若丸が、その大天狗から「奥州に向かうなら、飯縄寺を訪ねるが良い」と教わり、後の義経は、奥州に下る途中、この地に立ち寄ったというものだ。

寺社建築独特の天井の重層した組物(出組)に合わせるように、左右の「波と飛龍」の欄間形状は台形をしている。

その制約を受けたスペースを上手く活かしながら、自在にうねる波濤と、その上でダイナミックに躍動する龍は、流石に波の伊八と言われるだけに、中央の彫刻(天狗と牛若丸)に負けず劣らず素晴らしい出来栄えである。



また、左右の欄間の波濤は立体的で変化に富み、龍との構図的な変化も様式化しておらず独創的で、同様に独特なパースペクティブを用いた北斎が、伊八の作品に興味を抱いたとしても何ら不思議ではない。

それら三面の結界欄間の彫刻には、建立当時の彩色が薄く残っている。

欄間彫刻と言っても家庭や書院の欄間の規模を越え、一木から掘り出された3面の彫刻は、かなりの奥行きを感じ、装飾的欄間作品と言うよりも、一つの独立した彫刻作品として、人びとを圧倒する秀作である。







彫刻に、特に日本の寺院の装飾彫刻に興味のない方でも、充分に楽しめる伊八の彫刻作品群であることは確かであり、私たちが見学中も若い人たちのグループが境内を散策していた。



本堂の伊八の作品を鑑賞した後、庫裡に招かれお茶をいただきながら、寺宝の大太刀天海和尚の真筆の書を拝見した。

天海和尚は、一般的に徳川家康に重用された怪僧というイメージが定着しているが、いつかそのことについて研究してみたいと思わせる人物である。

また、飯縄寺は神仏混淆の寺であり、本地垂迹説に拠る神道信仰と仏教信仰の神仏習合についても、とても興味深く、ぜひ近いうちに調べてみたいと思う。



庫裡の濡れ縁から境内を眺めると、そこには心が安らぐ空間が広がる。

かつて神社仏閣は、人々の信仰の場であるだけでなく、やすらぎの場であり、出会いの場であり、血縁・地縁の絆を確認するといった機能があった。

こうした人びとの心と生活の拠り所としての役割を果たすために、その機能を演出する装置・仕掛けが、特に地元と密接に結びついた神社仏閣には存在するようだ。 





波の伊八が彫った作品群を充分に堪能した後、飯縄寺を辞し、私たちは近くの太東崎へ向かった。

芸術作品の鑑賞は、五感を存分に働かせ、注意深く見つめるためにかなり疲れる。

箱根卯木が咲く太東崎から、遙かに続く
青い海原や、なだらかに続く九十九里浜の海岸線の眺めは、美術品に接して緊張し興奮した神経を和らげてくれる。



飯縄寺では、一般観覧者と異なり特別に細部に亘り鑑賞できたことは、
「波の伊八」の彫刻の神髄に迫る貴重な体験であり、
江戸時代興隆した欄間彫刻芸術を知る得難い機会だった。




 

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2 コメント

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Unknown (美楽舎・浪川)
2012-06-02 12:38:31
素晴らしい小旅行でしたね。ご一緒でき、楽しませていただきました。
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Unknown (マッキー)
2012-06-02 17:06:47
コメントありがとうございます。
長めのブログを読んでいただき感謝します。
美楽舎の草創期は、あのように和気藹々とした雰囲気の例会が多かったですね。
では、また例会でお会いしましょう。
返信する

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