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我々日本人の血には、狩猟民族であった頃の生活の残像が、脈々と流れているようだ。
春が到来し、山の木々も芽吹き、山菜が芽生える頃、そわそわしてくる人も少なくない。
独特の風味を持つ山菜は、食卓に季節感をもたらし、春を味わう喜びを提供してくれる。
世界的にも稀なほど四季がはっきりとした日本に住む私たちは、その四季折々の自然を楽しむことにより、心豊かな生活を送ることが出来る。
今年も出かけた山菜採りの様子はブログで綴ったが、《マッキーの山登り:幼児の初めての山登りが山菜採り!?》、採れた山菜の料理について、今回のブログで報告しよう。
今回採ってきた山菜は、モミジガサ・ハナイカダ・ミツバ・山椒の若葉の4種類だった。
モミジガサはおひたしやごま和え、モミジガサとミツバは卵とじ、ハナイカダは天ぷらなどに料理して、山菜の味覚を味わった。
どちらかと言えば、山菜料理は素材の風味を活かすために、シンプルな料理がベストだろう。
ハナイカダの天ぷら
ミツバとモミジガサの卵とじ
お弁当のおかずになったモミジガサのおひたし
山菜採りで持ち帰った山椒の若葉を佃煮に仕上げ、それを使ったお茶漬けをいただくことは、私にとってこの時期の楽しみである。
それは、単なるお茶漬けではなく、気に入った抹茶茶碗を使っていただく、特別なお茶漬けだ。
山椒の若葉は、葉柄から葉だけを摘み取り、酒と醤油そして少々の味醂で煮詰めて佃煮を作る。
今回は、山から採ってきた葉柄のついた状態のものを、圧力釜で数分炊き上げ、その状態から硬い葉柄を手で取ると、比較的簡単に葉と葉柄を分離できるばかりか、葉が柔らかくなるまで相当な時間を要したものが、短時間で済ますことができた。
今年使った茶碗は、唐津焼の中里重利の作品である。
唐津焼は、抹茶茶碗として、楽焼や萩焼と並び、趣きのある使い易い焼物である。
今回の茶碗は、草文と皮鯨の絵唐津で、釉薬の掛かりに変化があり、梅花皮風の景色も趣がある、使う楽しみのある器だ。
皮鯨(かわくじら)とは、口縁に一回り鉄釉で縁取ったもので、それを鯨の皮と脂肪との対比に例えた呼び方であり、器全体を引き締める役割をしているように思われる。
また、梅花皮(かいらぎ)とは、釉を厚く掛け過ぎたり、焼成不足のために釉が十分熔け切らず、鮫肌状に縮れたのもをいい、茶碗では、これをひとつの見所とし、井戸茶碗では、腰部や高台脇の梅花皮は約束ごととされてる。
不完全な結果として生じる状態を、完全なものよりも高く評価し、芸術の域まで高めることが、日本人は得意なようだ。
1989年 銀座黒田陶苑で購入した作品
土物である陶器は熱伝導率が小さく、日頃使う磁器の茶碗と異なり、手に持った感触は優しい。
土と釉薬が織り成す器の趣は、陶芸家の技と焼成の偶然性が高度に融合した結果により創り出される。
今回は濃いめの抹茶入り玄米茶をご飯に注ぎ、収穫量から比べ貴重なほど少なくなった山椒の葉の佃煮(下の画像)をその上にのせていただいた。
陶器の抹茶茶碗の他に、塗の漆器も趣があり、お茶漬けを美味しく頂くことができる。
下の画像は、根来椀を用いたお茶漬けであるが、やはり熱伝導率の小さい漆器は、手に優しい。
特別なお茶漬けは、手間を省いてどんぶりなどで食べてはいけない。
そのお茶漬けを口に含めば、
山椒のあの独特な香りと味覚が、
家に居ながらにして、
新緑の山里に住む、
世俗世界を離脱した隠者の世界に、
あなたを導くことだろう。
・・・ちょっと大げさな表現だったが、
「山椒の葉の佃煮」のお茶漬けは、
清貧の食事だが実に美味しい!
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