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古代道セミ(江戸への道)に!

 サンプラザ市原で催行の第58回セミナー「道標が伝える市原の主要な江戸水道」を聞きに行きました。江戸時代の地図から久留里街道(西・中・東往還)と現存する道標についてです。今回の調査では新たに一基発見されたところもあり意外と笠森街道が利用されていたようでした。成田参道から千葉寺から笠森参道から清澄寺の道です!その理由は江戸に出向くときに養老川を渡らないで行ける道であったようです。川渡しは参勤交代(近場の藩は二年・一年交代)には五艘の舟渡を作るために渡し場には10日前に準備伝達していたので久留里藩には負担が大きかったようです!

   

また、参勤交代には五街道を必ず利用する義務があったために千葉県(上総)からはワザワザ江戸を遠回りして一寸だけ利用する面倒なこともあって直接「行徳」に出られるよう嘆願書が出されたようです。今では考えられない道の利用がなされたようで半分居眠りも出ましたが勉強になりました。

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