朝153-72-73夕方182-73-66今十時半134-61-63どうして夕方高いのだろう、夕方本当は190あった、何回か計り直してこの数字、朝六時半にお茶のスイッチ、布団にもぐり八時半までうとえとする、朝飯終わり山本に薩摩芋買に、帰り木村屋により弁当買う、帰って十一時、一時間前の漢方薬を飲む、昼から明治の綿会社の出資者探しに、まず末実さんとこ、過去帳書き直したと言っているし見せてもらった、最初が文政で始まる、二百年ほど前、藤原姓になっていた、内容全然知らない、墓石と比べたら少ない墓だから直ぐに解ると思うけど過去帳に書いてある名前しか知らない、それも過去帳の中でしか知らない、口だけ達者で中学卒では仕方ないか、夕方森に電話していて突然切れる、慌ててAUに飛び込む、長押ししたから電源切れたとの事、長押ししたら電源繋がりますだ、一時間無駄にした、明日はリハビリの後修理屋に行きぶっつけられた左ドアの写真取ってくる、保険屋が金出さなくても相手に請求する、代車はリッター七キロくらいしか走らないし、JAは女の子が前から写真一枚撮っただけ、俺は早く直してもらわないと油代も倍掛かっている、中古のドアが無ければ新品でも構わない、JA事故係の対応遅すぎる、事故から何日経っている、先月二十六日の事故、まだ修理に手を付けられない、相手の事など考えないで自分の成績だけ考えている、早く直してくれと修理屋に明日言っとく。
朝125-53-76夕方166-64-67今十時半137-63-62最近午後から右目の痺れひどい、おまけに頭まで痛くなるし、右目の中が変で何かある感じ、この痺れ寝ている時は無し、目も何ともない、十二月東京に行っている時女子医大で検査してもらうか、月曜日東京女子医大に聞いてみる、この前取ったPSAを聞きに行ったが西先生休み、このところよく休むから午前中電話してくださいとの事それではと木下モータに行く、保険屋十二万しか出せない、それで何とか修理できませんかと言っているがドアは中古でもよいから一応前の状態にしてください、と頼む、中古にしても十七、八万一寸かかる、あまりこのドア無いからな、との返事、いいですよ無ければ新しいドアにしてください、私は被害者、保険屋ではなく相手に請求しますから、月曜日証拠の写真取りにきますと木下に言った、保険屋を相手にしないで当事者と話す、ダメなら裁判に持って行く、証拠が揃っているから簡単に出来る、保険屋は全労済とJAどちらもお役所仕事、連絡なし、やっと昨日保険十二万しか出ません、と言ってきた、先月の二十六日から何日経っているのか、昼間暖かかったが夜になるとやはり寒い、冷暖房完備の家に暖房付けても一部屋だけ暖める訳にはいかない、家全体を暖めなければ効果ない、家はカラカミ、襖で仕切られていて襖きれいに閉まらないときている、せいぜい冬はコタツに入るしか方法ない、中二階の窓が開いている昔はこれで過ごしていたのである、夏風通しを良くするための窓か。物置だから風が必要だったか。築九十年では仕方ない。
朝115-63-70夕方142-65-67今十時半121-57-63今日は変だよ、正常だ、渡谷さん心臓順調と言ったので十日ほど前昼から胸何回も苦しくなり夜三豊に飛び込むと心電図一か所可笑しいところ有ると言われた、二三日前の心電図では前と同じと言われたと言ったら変な顔していた、悪い所はない、唯大動脈瘤の化石があると言った、循環器が見逃していたのだろう酷い医者だ、脳腫瘍の手術は三か月過ぎているのでしても良い、七月の頭のCTには何もない、これは脳梗塞を見つけるためのCTだからと言って七月に取ったCTを見ていた、今度は六か月後の来年五月十八日十時、JAの事故係昨日何回も電話あり、今日三時半ごろ電話すると保険から十二万しか出ません、保険法で決まっていますと何度も言った、一度会って話ししたいと何回も言ったので二十二日十四時に家に来ることに、十二万しか出ないと言ったので相手に話すといったら大変なことになりますよと何回も言った、保険から出ないのならぶっつけた本人が出すのが筋だと思う、困るのは保険で直せますといい保険に加入させた全労済だろ。俺は関係ない元通りにしてくれれば良い、もう代車も修理屋から借りているよ。二十七日の夕方夫婦で謝りに来たときトヨタは代車出さないといっていると言ったら旦那代車代くらい出しますといった、明日は二十間前に取ったPSAの値を西先生に尋ねに行く、
朝164-72-66夕方167-65-69今十時半150-67-63寒いから高いか、今朝八時に起きる、朝飯終わり朝の薬飲んだのは九時、九時半に木村屋に弁当買に、昼飯食べて風呂に入る、一時半すぎ役場に、森川さんと合資会社の出資者の住所一緒に調べてあげると言ったので役場二時、役場に少し早く着いたので左奥に山下君が居たので呼んで山下姓三人居たのでこの中に知っている人居ると聞くとこれ曾祖父、何処に住んでいたと聞くと石屋の前あたり、森忠の裏の方、森川さん来て戸籍係と面倒な話しをしていた、昨夜嫁はんと話しをしていて四郎平は嫁はんの曾祖父で古かやから源さんきの間辺りに住んでいた、合資会社の営業所解る、、孝治が尚武さんか末実さんかの所だろうとの話しで、支所で一つも調べず帰る、森川さん忘れた振りをして解っている人を何度も聞き直す、石川森太郎があるから欲しいのだろ、思い切って昔の事を小学生の時広い所に家がぼっんと一つありその前に堀があった、火事で焼けてのと聞いた、昔の藤田屋を知っているとは思わなかったのだろう、曖昧に言葉を濁し返事しない、出資金六十円では一寸まずい、倉敷から帰り日曜くらいに尚武さんに聞きに行く、夜ネットで陳旧性心筋梗塞の文字を見つける、倉敷中央病院の手術説明書の前にこの字があった、倉敷で渡谷さんに聞いてみる、前の退院後一月目に行った時身体の状態何にも言わなかった、手紙で高石さんに知らすだ、主治医だから退院一月後の心臓の状態を患者に知らすのが主治医だろ、退院の時左の指まがららないと言ったら同意書があるだけ、一寸言い方が酷いのではないか、録音機が要るかもしれない病院か。
朝125-60-78夕方158-67-68今十一時123-63-64十時すぎから書いたブログ消える、書き直し、十時半に木村屋に弁当買に、昼から三豊に行く、森川さんと会う、明日二時に役場で会う事に、森川さん祖父さんの名前が合資会社の出資者にあるから調べて資料ほしいから手っだってくれると思う、森川さんに渡ってもよい、誰かが知っていて西原、加地みたいな宣伝に使う人に渡るよりもよい、高石さん心電図前と同じ、心配しなくてもよい、血圧どうなっている、最近高い病院でも155もあります、家でも朝はよいが夕方は高くなります、次に一年分の手帳持ってきます、次の診察日三週間後、何か心電図が変だから四週間にしないで短くしたと勘ぐる、倉敷に手紙書いてくれる、薬一週間余分もらう、脳腫瘍の事言わず、とぼけているか忘れている、俺が自分でしらべるよ、右目痺れ段々酷くなっている、何かあると思う、十八日の倉敷で七月に取ったCTは何にもないですかと尋ねてみる、あそこにも頭の写真何枚もある、先に書いたブログどうして消えたのか、ちゃんと保存おした、が変なところに変わりブログが消えた