朝139-62-68夕方144-67-73今十時143-66-62今外に出たから上がる、両目の奥が痛い、目を細めて観るになる、年賀状書いたから目が疲れたか、観音寺駅に行き十二月十日の東京行き岡山十時四十九分の指定席に変えてもらう、東京に十四時過ぎに着く、新宿までゆっくりと行ける、携帯のメールアドレス変えたい、変なメール日に二十通ぐらいくる、明日auに行き対策考える、何処から漏れたのか、俺に馬鹿みたいな話し持ってくるとは、明治三十年代の関谷の綿会社の出資者の黒田さん、黒田ユキノさんに電話して聞く、祖父の名前との事、明日土田系統に尋ねてみる、三豊から昨日電話入っていた、保険の事だろう、月曜日貰いにゆく、十月二十五日後期高齢者の検診に行ったが俺は採血されなかった、二三日前に三豊で採血したばかりでしないのだろうと考えていたが送ってきた用紙を見ると採血したようになっている、血液の数値が半分書きこまれている、市の健康増進課に電話月曜にしてやる、出鱈目をやったらいけない、午後三時から歩きだす、休まず歩き二十五分で回る、頭ふらふらも大分治った感じ、明治二十年代の和田浜の綿会社の資料と薦田先生家の関谷に建てた綿会社の資料二つ見つかるとよいが、見つかれば関谷の綿屋と豊浜の綿屋がお互いに出資していたことが解る、関谷にとって豊浜の綿会社の方が古いのだから関谷、関谷と言えなくなるか。