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竹本さんに聞きにゆくがよく解らない

2011-11-03 22:45:58 | 日記・エッセイ・コラム

朝138-64-66夕方170-72-66今十時二十分113-59-66風呂に入ってから低くなった、八時過ぎに朝起きて慌ててゴミをだした、十一時ごろ木村屋に昼飯買に、帰って竹本さんに昼過ぎに行くから明治の知らない合資会社の出資者の名前教えてと電話、一時過ぎに行く、竹本さんで解ったのが四人くらい、途中で中村さん奥さんを見舞いにくる、中村さんが良く知っていた、理由は暮れになると常一さんによく金の相談に人が来ていたそれを隣の部屋で聞いていたので知っているとか、また庄やんのこと、共同店、まちやの屋号、宝田の事、風呂屋の事など一諸に話す、帰ると三時すぎ、録音機持っていけば良かったと思う、四時過ぎからパソコンの前、背中寒くて敵わずお茶を四五杯のむ、やっと背中暖かくなる、パソコンの時左胸少し苦しくなった、立ち上がると治る、祖父の数太郎綿屋では一番だった、五男で転げ込んだ財産、叔母と二人で使いまくり、家屋敷を売ってしまった、それも祖母名義の財産を勝手に遺産分割書を偽造して自分名義にして人に売っている、その息子、嫁がぼろ、その子供もぼろ、石川家も終わった、都も平気で何億の借金を相続した、住むとこ無いから事務所が必要、何処も差し押さえられない、都夫婦息子が呑気に住んでいる、


関谷の綿屋の事

2011-11-03 18:01:44 | うんちく・小ネタ

午後から竹本さんに聞きにゆく、西原の庄やん石川数太郎に頼み込んで働かせてもらう、それで仕事覚えて綿屋になった、そこに中村さん来て庄やん背は小さかったが中々の伊達男だった、数太郎はんの所で働いていた、それから綿屋をやり始めたと言った、よく風呂に入りにきていたといった、また関谷に共同店が昭和の初めまであった、今のスーパーみたいな店か、宝田佐吉、源さんの親箕浦から牛一匹つれて関谷にきて数太郎のとこで働き、数太郎から金借りて田圃だった所に家を建てた、横内丈吉 善左衛門さんの所いま東京に行っているとこ、横内興市も解るが今日は五軒くらい出資者の家わかる、田辺関谷に一軒松尾の横にあり十一号線で取り壊しといったが知らない、あのあたり全部知ってと思っていたが思い出せない。