ブギーナイツの館 - 青春の蹉跌から超暇人への道までを記すブログ

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80年代 その4

2014-02-15 01:34:44 | 80年代
本願寺月光蟲です。

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1986年、13歳童貞。
ゲームセンターは不良のたまり場と一部の早すぎたオタ、そして音楽やグラフィックに最先端を感じるサブカル(今は死語)人間で溢れていた。
オタが少し増えた理由はこの数年前のファミコンのブームがあったからだろう。

元々ゲームセンターは男子、特に小学生、そして草食系中学生にとっては鬼門であった。
だが、当時のサブカル少年はオタと違う理由でゲーセンにいたように思う。
そう、ゲームがまだまだカルチャーとして認識されていなかったのである。
そりゃそうだ、私が小学生の頃は不良のたまり場であり、しかもゲームセンターは外から中が見えない。
窓ガラスや自動ドアは何故か黒くて。
だが、「恐いお兄さん」がたまってる場所なわけだし、危険だと本能で察してはいるが大人への階段にも見えた。

クラスではファミコンが席巻。
雨が降ったらファミコンだったのが13歳になる頃は快晴でも皆ファミコンになっていた。

だが、一部の気合の入ったオタク、そして勘違いしているサブカル男子は「ファミコンなんて子供だぜ」などとうそぶいていた。
と、女性には笑われるかもしれないし年齢の問題もあるので説明しておくと、この時期のゲームセンターは今のプレイステーション1位の画面と機能であった。
それに比べクラスでは皆ファミコン。そりゃ最先端を選んだわけです。
ですが、時代が悪かった。
とにかく不良のたまり場で、時代も悪かったのか、私たちの数個上は尾崎豊ばりに校舎の窓ガラスを割り、先生を普通に殴ってた世代であった。
今の時代は陰険で嫌な時代とも言うが、当時は「隠そうともしない暴力性」が男子を席巻していた。
どっちもどっちである。
陰険も嫌だけど、大っぴらに暴力をふるう先輩は半端なく恐いものだ。

だが、、クラスでファミコンに熱中する男子を白けた目で見て、なおかつ「時代の最先端」に惹かれた一部のボンクラは対策を講じてゲーセンへ。

靴下に千円札を入れようとすると「それもばれる」と同級生。
そうだ、金を取られる時かならず「ジャンプしろ」からはじまり「靴下の中もみせろ」と。
当時の不良は金の隠し場所もわかっていたのであった。

友人は靴を改造し、靴ベラはずしたとこにくぼみをカッターで入れ、そこに金を入れていた。
13歳のお金だし大金ではないが、400円とかでも貴重なお金であった。
似たような13歳は違う学校同士でも話すようになり「あそこのゲーセンはとにかく恐い」「あそこのゲーセンはまだマシ」などと教え合っていたが、そんなものあてになるわけがなかった。
そう・・・・・・不良は中学生の段階で暴走族に入っていたし、暴走族に入らずとも二人乗り三人乗りは当たり前で、13歳がいける距離のゲームセンタなど簡単に移動が可能。
こちらは自転車小僧・・・どこに行っても不良がいて「お金ないです」と。
だが「お金ないです」とか言ってたとこでゲームをしに行ってるわけで20分もしたら「誰が金持ってんだ?」と聞いてくる。
しかも不良とはいってもせこいんだよ、50円とか取ろうとすんだよな。

そんな時代、どうしてもやりたいゲームがグループにできたのだ。

コナミが出した「サラマンダー」というゲームだ。



ファミコンの時代にこの画面である。いかにゲーセンのゲームが素晴らしいかわかるだろう。







余談だが少し後に出たファミコンのサラマンダーはこういうへぼい画面になっていた。




ゲームセンターで不良にびくびくしつつも「サラマンダーやりたい」という気持ちも抑えきれなかった。
不良がいなくてもゲーム代もないからして・・・母親の財布とかから皆500円とか千円札とかを抜いて帰宅部だけでゲーセンに通う日々。

毎日のように通うと何故か不良のターゲットは変わっていったのである。
「家で居場所がないガキ」だと思ってたらしいが、実は違う。
私の世代から「ゲームしたって不良じゃねえだろ」という意識であり「ゲームしに行くのが何で悪いの?」と普通に思ってたわけです。

不良にも絡まれなくなり、ゲーセンではサラマンダーに燃え、楽しい日々を過ごしていたが終わりが訪れた。

グループの1人が母親の財布から2万円も盗んだやつがいて、それを学校にちくりやがったのだ!!!
その2万円、何故だか「みんなでゲームしたり買い食いをした」とかそいつが嘘ばかり並べてさらに事態は悪化し、結局ゲーセンに再度行くなと学校からも親からも厳重注意を受けたのだ。

しかし・・・・・・・・反省したとみせかけて2週間後にはゲーセンに復帰。

私の人生でゲームに燃えたのはこの時期含め3回。
だが、この80年代は今思うと不良との戦いだけでなく、ゲームというよりもデジタルのかっこいい波に惹かれていたわけで。
こういうドキドキ感は今もうないし、今からこの先何が出て来ても驚かないような年齢だし驚いてもすぐ冷静になるんだろうなあ。



90年代に入り、ゲーセンは急激に普通のアミューズメントになっていった。

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