月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

124.重い?重くない?青蓮院杉戸絵の祇園舁き山(月刊「祭」2019.7月5号)

2019-07-04 20:42:31 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●杉戸絵に描かれた祇園山鉾
祇園会の山鉾は屏風や本などに描かれてきました。そして、一年中祭り気分を味わいたいという思いがあったのかどうかは分かりませんが、修学院離宮では杉戸絵にも描かれています。
ただ、修学院離宮は宮内庁管轄の建物で手続きが事前申し込みが必要で、じつはまだ行ったことがありません。
しかし、杉戸絵の山鉾は他にも見ることができる場所があります。それが青蓮院です。青蓮院は祇園社の北の知恩院の北にあり、さらにその北には、少し前に記事で書いた祇園感神院新宮である粟田神社があります。いわば、祇園信仰圏ともいうべき京都東山三条四条間の寺院ですので、杉戸絵があるのもうなづけます。




●青蓮院の杉戸絵
調査済みの可能性が大ですか、青蓮院杉戸絵の制作年代を描かれた山鉾から考察してみました。
手がかりにしたのは長刀鉾の杉戸絵ですが、撮影禁止だったので撮影していません。
長刀鉾の形状は下の横山崋山が描いたものと類似点の多いものでした。

屋根を見ると鯱ができておらず、鯱ができたのが化政期だときいているので、それより以前、遅くとも1800年代前半となると思われます。

長刀鉾と山一基が撮影禁止場所にあります。
そして、霰天神山と白楽天山が撮影可能な廊下にあったので撮影しました。



●重い?重くない?
ここで、さてここで考えたいのは、山からどのような信仰をもっていたか?とかではありません。美術的にあれこれ言ったり、民俗学の主流となってるような話題もしません。表題にある通り、重いか重くないかです。

この絵を見る限りでは舁き棒にあたる部分がほとんどありません。しかも二本の棒同士の幅は本体幅よりも狭くなっています。
もし、これが本当の当時の長さならば凄く担ぎにくかっただろうと思われます。また、昔の人は力が強かったというのも、うなづけます。

こちらを見ると、8人で担いでいます。楽しそうに担いでいますが、高い位置に重い人形や作り物があるので、少しでも左右に傾くと、重く肩にのしかかっていたのではないでしょうか。

祭をする人の視点で昔の山を見ると新たな発見があるものですね