月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

123.蜘蛛の伝説と天神-筑紫へ-(月刊「祭」2019.7月4号)

2019-07-03 05:22:37 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
前回、源氏伝来の蜘蛛の血も、鬼の腕も悉く、「北野」に行き着いたことを書きました。そのことにより、膝切、髭切は蜘蛛切、鬼丸と名前を変えました。鬼も蜘蛛もなぜ北野に落ちたのかがわかるのは、頼義の代のことです。

頼義は二本の刀を受け取り、奥州に乱の平定に向かいます。九年間戦いののち、安倍貞任、宗任の軍にに打勝ちました。貞任の首を取り、宗任は捕まえて都に戻ります。貞任が九尺五寸(約288センチ)の大男であるのに比べると、宗任はずっと小さく六尺四寸(約195センチ)でした。。
頼義の宿にいましたが、見に来たものはこうとい梅花を一枝手折ってこうといました。
「宗任、これはいかに(感じるか歌を読めという意味?)」
宗任取はこう答えます。

我が国の梅の花とは見たれども大宮人はいかが言ふらん
(我が国でいうの梅の花のようだけど、都の人はなんというののだ?)
となんとも素朴な歌を読みます。
すると皆しらけてぞ帰りました。
宗任は筑紫へ流されてしまいますが、子孫繁昌して松浦党になったとのことです。



多可郡糀屋稲荷 森本屋台の菅公遊歩の場

梅の花で歌を読んだこと、筑紫に流されたことは菅原道真を想起させます。ただ、道真は見事な歌を歌うものの不遇の死を遂げます。宗任は流された地ではあるものの、天寿を全うしました。
このような対比が平家物語劔の巻には組み込まれているようです。



↑大阪天満宮だんじり 筑紫天拝山の菅原道真