月刊「祭」

一番後を行くマツオタ月刊誌

月刊「祭」表紙

2020-12-31 09:33:00 | 各年、目次
「一番後ろ」を歩く、マツオタによるマツオタのためのマツオタ月刊誌
   月刊「祭」



はじめに
 本ブログおよび、「祭と民俗の旅」の文章・写真などの引用、参考は自由です。ただし、このブログに提供していただいた写真は、明記しておりますので、それの引用はご遠慮願います。また、引用、参考の際は、月刊「祭」を引用、参考した旨のご明記をお願いいたします。学生のみなさん、どしどし引用してくださいね^_^
 研究者のみなさま、学生さんのレポートとは比にならない影響力をお持ちのみなさまの明記なしの引用は本当に困ります。何卒よろしくお願いいたします。 
 昔の記事は多くがパソコンで作っており、スマホなどでの閲覧だと写真や図とその解説が合わない時があります。

 이불럭과 「祭と民俗の旅」의 문장, 사진을 인용,참고하기는 자유입니다. 하지만, 이불럭에 제공주신 사진도 있어서 그런 것을 명기하니까, 인용하기을 삼가 바랍니다. 인용,참고할 때는, 이웹사이트를 인용,참고했기를 명기해 주십시오.
 학생증들, 잘 인용나 참고해주시면 다행입니다^_^
  연구자 선생님들, 당신들의 영향력은 학생들의 영향력과는 비교할 수 없는 정도 큰 것입니다.인용이나 참고하실때는 “꼭” 명기하시기 바랍니다.


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264.祭の延期-京都祇園祭編-(月刊「祭」2020.3月2号)

2020-03-08 19:10:00 | 屋台、だんじり、太鼓台関連

 ●祭延期の歴史
 コロナウイルスの蔓延により、春祭の開催が危ぶまれています。中止か開催かの二択ではなく、延期や一部開催という選択肢を歴史から見ていきます。
 今回は祇園祭編です。






 2014年の祇園祭山鉾巡行は台風の接近により開催が危ぶまれました。しかし、その決断は「小雨決行大雨強行」という、激しい祭への意思を示したものでした。
 祇園祭は風流な祭と言われたり、神田囃子と比較してその音楽は都の貴族文化をのこした優雅なものだと言われたりします。しかし、その見解は「浅い」と言わざるを得ません。巡行自体が序破急を意識したものになっています。たしかにくじ改め前の囃子は穏やかなものかもしれませんが、山鉾は巡行終了間際の囃子はかなり激しいものになっています。


 このような「激しい祭」が、世情の流れに飲まれることなく、生き延びたのも柔軟な祭礼日変更の歴史があったからとも言えます。

●祇園祭山鉾巡行の日付変更
 ここ(祇園祭山鉾巡行の日付変更)は、名著・河内将芳「絵画資料が語る祇園祭 -戦国期祇園祭礼の様相-」(淡交社)平成27年の内容をかいつまんだものとなります。はっきり言えば、この記事より本を手に取られる方が有益な時間となることでしょう^_^;

神輿より一日遅れの山鉾巡行 
 現在の祇園祭では先の祭、後の祭、ともに山鉾の巡行が終わってから神輿が動きます。現在は7月の17日と24日が先の祭、後の祭になっていて、旧暦時代は六月の七日と八日でした。
 しかし、この頃は台風や大雨が頻繁な季節です。六月七日に大雨が降った時の祇園会の様子が 中原師守『師守記』康永四年(1345)六月七日と八日条にのこっています。この時は「山鉾」かどうかは分かりませんが、「山以下作物」とあるので、なんらかのものが作られて運行する習慣があったことはみてとれます。
 まず七日条を見ると、洪水により神輿がわたるための浮橋がらかけられなかったけど神輿は「舁渡」ったそうです。
 しかし八日条には
今日、山以下作物これを渡すとうんぬん、昨日雨により斟酌(事情などを、くみとること)、今日これを渡すとうんぬん
 とあり、大雨で神輿は予定通り七日に渡ったけど、おそらく大型と見られる「山以下作物」は次の日に渡ったということです。

●冬の祇園祭
 そして、名著・河内将芳「絵画資料が語る祇園祭 -戦国期祇園祭礼の様相-」(淡交社)平成27年には、冬の祇園祭についての記録が紹介されています。
 『康富記』文安六年(宝徳元年、1449)十二月七日条には、次のように書いています。
祇園神輿迎なり、さる六月、山門訴訟により延引せしむるものなり、例のごとく三基御旅所に出でしめたまう、桙(ほこ)山以下風流先々のごとく四条大路をわたるとうんぬん

 また、同年十二月十四日、つまり後の祭と思われるところには、「風流山笠桙已下三条大路を渡るとうんぬん」とも書かれており、山門・比叡山の僧侶達の訴訟により天台の別院であった祇園社も祇園会を延引せざるを得なかったことが読み取れます。

 その後も河内氏は先程の著書の中で、文安六年(1449)以降は応仁・文明の乱を挟んで元亀二年(1571)までは六月七日、十四日に祇園会がおこなえなかったこと、六月にすら行えなかったことが27回もあったことを書いています。

●祭を守るために
 我々が愛する山車やだんじり、屋台の祭は必ずしも日程を、死守したわけではないようです。死守したのは祭の法灯であり、その法灯を絶やさぬように、世情の流れに飲まれぬ舵取りをして今も続いていることがわかります。
 春祭を開催し、感染者が出ることで、場合によってはコロナ拡散の責任をなすり付けられる危険があることが考えられます。延期などの措置をとってもやむなしといったところでしょう。


 
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263.祭の延期-三木、播州編-(月刊「祭」2020.3月1号)

2020-03-08 16:24:00 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
●祭延期の歴史
 コロナウイルスの蔓延により、春祭の開催が危ぶまれています。中止か開催かの二択ではなく、延期や一部開催という選択肢を歴史から見ていきます。

●わりとよく聞く灘のけんか祭
 10月14日15日の日固定で毎年行われる姫路市松原八幡神社灘のけんか祭ですが、雨により順延さることがよくあります。こちらのサイトによると2005年と2011年は2日目の本宮が16日に行われたそうです。管理人は2011年の10月14日に見に行きました。松原屋台が元気よく雨の中練っていました。みこし合わせなど危険を伴う祭なので、順延もやむなしといったところでしょう。
 

↑こちらは木場屋台2019年とくにこの年は中止はありませんでした。

●2019年体育の日前の土曜日
 2019年体育の日前の土日は三連休の初めの二日ということもあり、祭礼日がこの日に変更される神社がかなり増えてきました。管理人が参加する三木市大宮八幡宮もその一つです。ちなみに、日本民俗学会が体育の日前の日曜日にあるとのことですが、これだけ祭が集中するのにこの日の開催は弊害が出てこないのかと、思ってしまいます。
 昨年の土曜日は大雨洪水警報が発令し、大宮八幡宮のように、一日目の宮入りを中止する地域がある一方で、祭礼日を、一日ずらした地域もありました。普段見れない祭を見れてラッキーなはずでしたが、この日体調を崩してしまい、辛うじて見れたのがこの祭りです。


●三木市大宮八幡宮の祭礼日変更など
明治期の祭礼日変更
 明治期の大宮八幡宮司の池田春きの日記には、大宮八幡宮の祭礼が九月十三日から二十三日に変更されたことが記されています。

大雨と祭
1950年頃から1960年頃
 屋台を宮入させるも、大雨により担ぎ手が殆ど家に帰ってしまった。よって残った者で綱を木に縛り付けて石段を引きずりおろして宮出した。
 といった話を当時青年団員だった方(現在70代)から聞きました。

1980年代
 管理人が小学三年生の頃(1987年)だったと思います。この時の祭礼日は10月16、17日でした。平日開催で、学校がある予定でしたが、なんと警報が出ました。しかし、空は雨の降る気配はありません。同級生たちと大手をふって朝から明石町屋台について行きました。

1998年?
 確か98年?だったはずです。10月16日、大雨により石段を滝のように水が流れていました。警察は屋台を宮入りさせまいと石段に立ちます。協議のけっかその日の宮入りは中止になりました。

2019年
 2005年に大宮八幡宮の祭も土日開催になりました。現在は体育の日前の土日になっています。2019年は土曜日に大雨洪水警報が発令する可能性が高く、その前から祭礼の開催をどうするか協議が続けられました。その結果、屋台は警報発令中は出さないことが決まりました。そして警報発令がながびき、一日目の宮入りは中止となりました。とはいうものの、雨はそこまで強く降りません。警報が解除される地域が増えてきます。そして、警報解除の午後7時半、同時に各地の屋台は倉を出て、令和初の屋台運行が行われました。

↑いつでも屋台は出せるようにと、宮司さんはおはらいを全屋台にしてくださいました。管理人はその年は接待係。おはらい用の酒などを準備して待機していました。

↑大喜びで夜の町を運行する明石町屋台。

大雨にたいする対応の変化
 snsなどの発展で警報下で祭を強行し一度怪我人などを出せば、ネトウヨなどから攻撃をくらうのが、今の現状です。
 我らが大宮八幡宮秋祭も少しずつ大雨の対応に変化が生じてきていることがこれまでの歴史から見てとることができました。




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262.富嶋神社子ども屋台の安全対策(月刊「祭」2020.2月7号)

2020-02-22 10:01:00 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
●未来に祭を残す子ども屋台
 未来の祭を担うのは当たり前ですが、今「子ども」と呼ばれている年齢の人たちです。その子どもたちに祭に馴染んでもらうのが、祭を残すための最もシンプルな方法です。そして、その方法の代名詞といえるのが、子ども屋台です。
 しかし、このシンプルな方法はさまざまな苦労や工夫が必要となってきます。現に安全上の理由や身長が大きく違う子どもたちだけでこぶりとはいえ屋台を担ぐことは不可能です。実際に力をいれて担いでいるのは大人だけで、子どもたちは触っているだけというのが、現状のところが多いというか、管理人が見た限りではほとんどでした。
 といっても、それでは全く意味がないということはなく、子ども屋台の運行は屋台の動きや太鼓のリズムなどを身につける絶好の機会になるし、何よりも一人一人にかけがえのない思い出を残すことになると思われます。
 しかし、子ども屋台は子どもがさわるから危険が一杯です。子どもに触らせようと大人が肩から下ろして「手がき」をすると、やはり重たくなり屋台を落とす危険、子どもたちに取り返しのつかない怪我をさせる危険につながります。逆に大人が肩にいれてしまうと、子どもたちは全く屋台にさわれません。
 その矛盾を解決する見事な工夫を見ていきましょう。

●兵庫県たつの市富嶋神社の屋台文化
 たつの市富嶋神社の屋台は、網干型の屋台が担がれています。白木のまま金具を取り付けた屋台があったり、何度も差し上げを繰り返す連続チョーサなど、独自の屋台文化をもつ祭として知られています。


↑白木のまま金具をつけた黒崎屋台


 当然、子ども屋台もチョーサを、繰り返します。大人と子どもはどのようにして屋台を担いでいるのでしょうか。



●子ども屋台の棒わり
 上の写真であげた黒崎屋台の子ども屋台が下の写真です。練り棒のあたりを拡大してみましょう。



 

↑黄色く囲んだところは大人が担いでいます。つまり大人は外側を担いでいます。一方、内側の本棒を子どもたちが担いでいますが、高さを変えることで大人も子どもも担げるようになっています。また、本棒の先に横棒を渡して、そこも大人が傾げるようになっています。
 こうすることで、大人が主要な部分を担ぎつつ、子どもたちも屋台に触れられるという構造になっています。
 下に棒わり図をあげてみました。




●編集後記
 民俗学では、「今」を語ることが大事だそうです。屋台の祭の今を知るためには、担いだ時の重さや、危険さを知っていないと、分からないことがたくさんあります。
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261.ダボ-その意味と語源-(月刊「祭」2020.2月6号)

2020-02-22 01:50:00 | 民俗、信仰、文化

●播州弁の代名詞「ダボ」
 関西弁の中でも荒いことで知られる播州弁。その中でも、東西南北で少しずつ言葉は違ってきます。例えば播州北部の加西市では、「〜だから〜」という意味で「〜やさけー〜」と言ったりしていました。
 しかし、播州弁でおそらく共通していて最も有名な言葉が「ダボ」です。「ダボ」という言葉は、播州の東隣の摂津の国だった神戸市長田区でも使われています。とはいえ、神戸市長田区では、「太陽」のアクセントがタにつくのに比べて、播州弁ではアクセントはイがやや強くなる程度で平易な抑揚になったり、長田区の子どもたちは播州弁の5W1hの疑問詞である「どい」はつかわなかったりするなど違いも見られます。
 とにもかくにも、今回は管理人もよく言われる「ダボ」について考えます。

●「ダボ」の使われ方、意味
 ダボは基本「アホ」と同じ使われ方をしていると思われます。つまり、元の意味は賢くない、という意味で使われているようです。
 そのまま単なる「賢くない」という意味で使われたり、はたまた「人として最低」という意味で吐き捨てられたりされます。一方で愛情や尊敬の念を含んだ親しみをこめたり、一本気な意思に降参したという意味で使われたりと肯定的に使われることも多々あります。
 管理人も祭の現場に行くとよく言われます^_^; 否定的意味で言われているのか、肯定的意味で言われているのかはノーコメントで^_^;

●ダボの語源
 では、曲学阿世でダボの語源を考えてみましょう。それはつまりドアホウがなまってできた言葉だと管理人は考えます。
 ここまで文章を書いてネットで「ダボ 語源」で検索してみました。出てきたサイトがこちらです。これによると韓国語語源説もあるようです。
 おそらく바보(パボ)が元になったと考えられているのでしょうか。たしかに播州人はザ行の発音がどうしてもダ行になる人が数多くいます。「全然」を「でんでん」と言うようにザ行の言葉をダ行で言う人が、かなりいることからも頷けるでしょう。
 また、ゾイ<5w1hの疑問詞>がドイに変化して定着したこと(播磨気質という本で見たはず)から播州人の「ダ行志向」という意味ではうなずきたくもなります。しかし、ザ行もダ行も舌を歯の裏につけることで発音できるという共通点があります。ところが、パ行は口を閉じてから発音する音で、舌を歯の裏にはつけません。また、播州人でパ行がダ行になりがちな傾向がある人(ポールをドール、パブをダブ)管理人の記憶では見たことがありません。なので、ダボの語源は바보(パボ)ではなさそうだというのが、管理人なりの結論です。

編集後記
 画像なしは寂しいので、足をすりむいた時の写真を掲載しました。昨年の魚吹八幡神社の祭で、大好きな丁(よろ)屋台を見つけ全速力ではしったら僅かの凹凸に躓き、派手にズッコケました。こういう行動はやはり「ダボ」と言わざるを得ないでしょう。。。
 


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260.絵馬の下側(月刊「祭」2020.2月5号)

2020-02-18 22:07:00 | 民俗、信仰、文化
●神社や仏閣で見かける奉納絵馬
 絵馬と言えば、絵が描かれた木の板の裏側にそれぞれの願いを書いて願をかけるのが現在の主流と言えます。

↑京都市粟田神社の絵馬

 しかし、かつては大きな板にまさしく絵を描いて奉納するのが主なやり方でした。吉野裕子氏によると、もともとは生きた馬を奉じていたけど、それが馬を絵に描いて奉納するようになったとのことです。たしかに、神戸市西区の性海寺には絵に描いた馬・絵馬が奉納されています。

↑神戸市西区性海寺の絵馬

 そこから、馬の絵だけでなく、歌舞伎の場面、祭りの様子などさまざまな絵馬が奉納されるようになりました。その中で、どのようにしてこれらの絵馬が描かれていたのかに思いをはせることができる絵馬を見つけたので紹介します。

●加古川市養田大歳神社の絵馬
 大歳神社(アクセス等)は、かつては高砂神社の御旅所だった崎宮神社の御旅所だそうです。

そこに奉納されている絵馬が下の画像です。随分色落ちしています。そして、色落ちすることで、絵馬の製作過程が見えてきました。




拡大してみましょう。


↑1には白 2は?キ。 3は朱 4はシト
白と朱から、そこに着色すべき色を指定していた跡が伺えます。



↑白、ロウトなどの文字が見えます。

ロウトやシトとはどのような色だったのか謎が残ります。





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259.祭の名著紹介3 辻川博氏による高砂神社の祭の記録(月刊「祭」2020.2月4号)

2020-02-17 18:27:00 | 屋台、だんじり、太鼓台関連
●播州屋台祭のエルサレム・聖地・高砂市
 エルサレムと言えば、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教の聖地となっています。それは、3宗教の分布の境目に位置することから起きる現象と言えるかもしれません。
 そのような境目は播州屋台にもあります。それが、高砂市です。かつては、平屋根屋台も分布し、神輿屋根、平屋根、反り屋根、にわか太鼓など、さまざまな屋台が入り組んでいるのが高砂市でした。


↑反り屋根の発祥地とも目される曽根天満宮の祭

↑もともとは平屋根屋台があった高砂神社の祭(写真は中部屋台、昔どのような屋根だったのかは管理人は知りません。)

↑荒井神社の屋台にはにわか太鼓ともよばれる、芸を奉納するものもあります。

●意外と少ない祭本
 しかし、意外と祭りの本はすくないようです。姫路市では魚吹八幡や松原八幡が大判の本を出版し、大塩天満宮はN氏が郷土史に祭について記載しています。三木市でも、三木市全体の本が出版されているのですが、高砂市にはこのような本は見つけられません。残念ながら近年発行された高砂市史の記述も、祭好きな人からすれば、ページ数の問題もあるのか、到底、十分なものと言えるものではありません。

●辻川博氏の二冊の本
 しかし、それでもかつての祭の様子を記録し、編集した方がいらっしゃいます。それが、辻川博氏です。辻川氏は、図書館で見る限り二冊の本を出版しています。残念ながらそのうちの一冊は高砂市立図書館ではなく、姫路市立図書館の城内図書館所蔵でした。


『播州播磨国 高砂神社当初秋祭り神事』(紀伊国屋書店)昭和63年
 昭和62年版もありますが、63年版は少しだけ詳しくなっていました。祭の掛け声から、どのような神事が行われるかまで記録され、当時の新聞記事も掲載されています。
 粕谷氏の本などでよく知られるようになった板葺の昭和初期ごろと思われる神輿屋根屋台の写真も掲載されていたり、古文献の分析も見られます。さらに、昭和61年度の練子(担ぎ手)の配置図も掲載されており、どのような祭を行なっていたのかを手軽に知ることができる良本です。管理人が知る限りでは、高砂市立図書館、姫路市立図書館(城内)で見ることができます。


『播州 播磨国 高砂神社秋祭 大正・昭和写真集』(紀伊国屋書店梅田店)昭和64年1月1日
 昭和64年という9日しかない期間に発行された本でもレア度が増します。その内容はまさに「百聞は一見に如かず」を地で行く内容です。
 かつての研究者が祭りの様子を文章で書いたのは、写真掲載のスペースや費用の限界を補うためであり、許されるのであれば、可能な限り写真を使いたいのが実際のところでしょう。
 下の表紙は大正11年の藍屋町の屋台だそうですが、驚くことに布団屋根です。赤白赤の三段屋根で伊達提灯ではなく房が四隅についています。驚くべきは播州の三段布団屋根屋台が井桁高欄であるのに対して、高欄が擬宝珠高欄です。練棒も三段布団屋根屋台に見られる丸棒ではなく角棒となっています。しかしながら、脇棒の長さは従来の神輿屋根型屋台や、反り屋根屋台よりやや長く作られているように見えます。
 一枚の写真から様々な気づきをもたらしてくれるこの写真集も、屋台文化の聖地に相応しい貴重な書物と言えるでしょう。


 他にもあっとおどろく写真や、こんなんやったんやなあと思う写真を多数見ることができる、超貴重な良書です。
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258.三木市口吉川町蓮華寺鬼踊り(月刊「祭」2020.2月3号)

2020-02-16 21:51:00 | 民俗、信仰、文化
●伝・法道仙人開基の三木市口吉川町蓮華寺の鬼踊り
 三木市にも他の播州各地域同様、法道仙人開基と伝わる寺院がいくつかあります。そのうちの一つが、口吉川町蓮華寺です。二月のはじめの日曜日には鬼踊りが行われます。

↑鬼踊り前の本堂。年々参拝者が増えているように思います。



↑鬼さんが踊る前には、お坊さんの読経がありますが、迫力あるアコーディオン読経でした。


↑本堂から鬼が現れました



↑灯籠に火を灯します。

↑まずは開山の法道仙人の前で踊ります。



↑小鬼のおどりと、、

↑大人の鬼のおどりが交互に行われます。
鬼は各踊りのおわりにに松明をばらして投げます。それを門の上に飾ると厄除けになるといわれ、参拝者はこぞって拾います。管理人はとれず、友人のK君に一つもらいました^_^ おおきにです。
 

↑上の鬼花??も、踊りの後は降りてきて、枝を取り合います。五円玉がついた花をとり、財布に入れておくといいそうです。これも、管理人はとれず、残念ながらこれも、そして餅もKくんのお裾分けをいただきました。



↑最後はお面かぶりでパチリ。後厄のやくよけになったかもしれません。

●少し祭りの名著紹介と少しばかりの変化
この鬼踊りについては、小山(現在は藤原)喜美子氏が「オニを迎え祭る人々」(御影史学会)2006で、興味深い指摘をしています。ざっくり言うと、①蓮華寺含む播磨地域鬼は追われるものでなく、悪いものを追い払う役割を持つこと ②決まった家の者が鬼役をつとめること ③小鬼は親鬼が踊る前に場を清める役割があること などを述べていらっしゃいます。
 管理人の要約は頼りないので、兵庫県立図書館や三木市立図書館、姫路市立図書館に置いてありますので、手に取ってみてください。

 さて、②決まった家の者が鬼役をつとめることが、小山氏の著作でも指摘されていました。たしかに、管理人がこの鬼踊りを見始めた2011年から2013年頃はその通り、鬼役を務める方の名字はほとんどかわらなかったことを記憶しています。しかし、今年見ると鬼役の方の名字にはさまざまな名前がありました。もしかしたら、最近は鬼役を務める方も変化してきているのかもしれません。

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257.人文学系研究者(含祭オタク)の在野サバイバル術・・手に職のススメ(月刊「祭」2020.2月2号)

2020-02-15 16:48:00 | ブログ運営など


●不安定な身分
 好きな祭の研究を仕事にしたい。などとひとすじのチャンスに追いすがったのは遠い昔、今は在野街道まっしぐらの管理人です。そこまで読むかという査読の精度に感嘆したり、的確に酷評されたりしたこともあれば、これみよがしにひけらかした成果が大間違いだったことも多々ありました^_^; 
 幸か不幸か、在野街道まっしぐらだったので、食うには困らないで、それなりに好きなことができるようになってきています。後は成果が、、、
 

●「食えない」という弊害
 「食えない」ことが、ハングリー精神につながり、ガッツをもって頑張れる。それがもてはやされた時期もありました。でも、一つの道にかけることで、逆にその道が閉ざされているように見える時もあります。例えば学芸員などの試験はかなりの倍率になります。そして、その可否を判断するのは、現在プロとして活動している方々です。波風は立てないにこしたことはありません。
 「失敗したら食えない」。これは、無条件の従属につながります。「これ違うやん」「これおかしいやん」「おれ、私、そう思わへん」「絶対嫌」「今のスタンダードおかしい」を目上の人に言えなくなります。せっかくの珠玉の意見も、手をあげるのを躊躇わせてしまいます。
 そして、周りがイエスマンだけになると、上も腐ります。上が腐るとその上の方の能力も落ちます。そうなると、肝心の論文の投稿の判断基準が「何を書いたか」ではなく、「誰が書いたか」「どういう肩書の人が書いたか」になってしまいかねません。
 さて、そのようなイエスマンにならなくても食いぶちを稼ぎながら研究を続けるのに向いている職業はどんなものがあるのでしょうか?




●くいぶちにこまらぬ職業
 メリットとデメリットを独断と偏見であげます。やはり「手に職」がついていると安心です。

教員
 管理人もついこないだまでしていました。プロの人文学系研究者の中には元教師の方が、かなりいます。なんと言っても、児童生徒との出会いは一生の宝物になっていきます。
 旅する巨人・宮本常一をはじめとして、小中高の教員だったプロの研究者も多々います。また、昭和50年代に編集された神戸の民俗芸能シリーズにも著者として学校の先生方が名を連ねています。




 今の学校の先生は、教えるプロとして、教えることの研究者として勤務の勤務されている方が多いようにかんじます。逆に郷土史の研究者としての顔を持つ方は、今の時代では少なくなっているようにかんじました。
 管理人は地元の先輩に「お前郷土史家やろ!」と葉っぱをかけられたことがあるので、多分そうみたいです。当時の管理人はまさしくボンクラ教職員の権化でしたが、その管理人ですら、研究との両立は体力的にきつく感じました。本当にしっかりと勤められてる方には、到底その余裕は無くなってきてるように思います。知る限りでは、現役の教員でありながら、祭の研究もされている方は3名(いずれも本当に素晴らしい研究者)いらっしゃいますが、かなり少数派といえるでしょう。


小学校
メリット
休みなどにまとまった休みが取りやすい。
デメリット
・授業の準備、雑務が大変
・全教科から給食、掃除、休み時間まできめ細やかな対応が必須で、その準備で休みがなくなる。

中学高校
メリット
・好きな科目を教えられる
デメリット
・部活の指導など、休みの少なさ
・思春期はやっぱりむずかしい
・授業の準備、雑務が大変



塾講師
メリット
・勉強さえ教えていれば、児童生徒のプライベートは基本ノータッチ
デメリット
・休みがとりにくい
・人気商売のプレッシャー


運転手
どなたかの現在の職業です。
メリット
・気楽。
・祭好きな人が多く色んな話が聞ける

デメリット
・危険。

各種デスクワーク
 友人がしていますが、驚異的な忙しさの中で精力的に活動しています。体が二つあるんでしょうか。。。

ユーチューバー、ブロガー
メリット
 当たればでかい
デメリット
 忙しい

 ブログで、収益を得ることは考えたのですが、残念ながら月刊「祭」が使用しているグーブログはアフィリエイトのみで広告収入は得られません。アフィリエイトて何それおいしいの?状態でしたが、商品の宣伝などしないといけないみたいです、多分。あまりにも、やりたいこととかけ離れていて、見込める収入も期待できなさそうなので、今はしていません。
 ユーチューバーは、戦略と活動量で一躍有名人になれるのかもしれませんが、研究の片手間でできるものでもなさそうです。

在野のメリット、デメリット
デメリット
・信用されにくい。●●大学の、、です。の力はやっぱり大きいです。残念ながら得体の知れない人物はなかなか信用していただけません。
・資料の閲覧に時間がかかる
 

メリット
・周りにはばからず自分の意見を言える。
 「こいつに嫌われても飯は食える」という環境は、その人から「忖度」というブレーキを緩ませがちになります^_^; 
 管理人はそんなに口がたつほうでもないし、キツい性格でもありません。しかし、どうしても許せないことに対しては、かなりのお偉いさんに対しても、「普段から学生さんに教えてらっしゃることでしょ」などと、かなり厳しい言い方をしてしまうことを自分で最近知りました。「もしかしたら、同じような思いをもの言わぬ若い人や学生さんたちも思っているかもしれない。」という自覚をもって厄介者街道を進むのも一興です。
 研究の喜びは、みんなが白いとおもっていたものが実は黒いということを見つけ、それを黒だと胸を張って言うことです。誰かの顔色を見て明らかな黒から目をそむけたり、話をずらしたりすることではありません。

いざとなったらウェブページ
 在野のいいところは、とにかく自由に物が言えるところです。^_^
 「いつでもやめたらあ」の気概で、どこにも掲載してもらえなくなったら、ウェブページで自分の考えを公開すればいいのです。雑誌では載せられないけど、自分がおもしろいと思うもの、こと、法にふれなければ、倫理から外れなければ何を載せても自由です。
 思いの外、よく読んでくださる人がいるし、そこからチャンスが舞い込むかもしれません。
 しかし。剽窃されることには気をつけてください。
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256.三木市口吉川町蓮華寺のミニ琵琶湖(月刊「祭」2020.2月1号)

2020-02-04 20:42:00 | 民俗、信仰、文化

●三木市口吉川町蓮華寺
 鬼踊りなどで知られる蓮華寺は、播州一円に数多くのこる法道仙人開基と伝わる寺院です。法道仙人(参考はもちろん、Wiキpディア)は6世紀から7世紀に生きていたとされる天竺の仙人とのことです。残念ながら、この時代のものは残っていませんが、下のように鬼踊りのときは、まずは法道仙人の前で踊ってから、本堂での踊りが始まります。










●西国三十三箇所めぐりを寺院の中に
 そんな法道仙人開基の寺院として、最も古くから名を残しているのが、法華山一乗寺です。今手元に資料がないので、はっきりしたことは言えませんが、11世紀か12世紀くらいの資料にはその名を残していた、、、はずです。そんな法道仙人が開基したと言われる、一乗寺も名を連ねているのが、西国三十三箇所の観音霊場です。
 西国中を巡って、三十三箇所の寺院を訪れるのが理想ですがそう簡単なものではありません。そこで、寺院の中に三十三箇所の観音の小さな石仏を建てることで、境内で三十三箇所めぐりができる寺院がいくつか見られます。
 また、小野市の浄土寺では四国の八十八箇所がその境内でまわれることになっています。
 三木市の蓮華寺も、三十三箇所の観音さんが境内に安置され、境内一周で西国三十三箇所参りができるようになっています。




●そして琵琶湖も、、
 面白いのは、下の写真の西国三十番の宝厳寺です。




 実は宝厳寺は琵琶湖に浮かぶ竹生島の寺院ですが、それを表すかのように見事に池の上に浮かんでいます。
 厳島は観音さんだけでなく、日本三大弁天のうちの一つの弁天さんもいらっしゃいます。神社では、境内の池が弁天池と言われ、その中に弁天さんを祀らることがよくあります。この場合だと広島の弁天さんにみたててるのか、琵琶湖の弁天さんに見立てているのか、あるいは一般的な弁天さんをまつっているのかは分かりません。
 しかし、蓮華寺の場合、三十番竹生島と書いているので、この池を琵琶湖に見立てていることがわかります。





謝辞:鬼踊りに誘ってくれたk君、ご家族、その友人に感謝。楽しかったです^_^


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