世界最古の木造建築法隆寺の五重塔。
塔の中は、お釈迦様の一生の彫刻がなされています。そして、人々は太子の偉業をお釈迦様のお姿に重ねられたことでしょう。王族でありながら、皇位につかなかったという点でも一致します。
太子はもう一人の王族でありながら皇位につかなかった偉人にも日本書紀においては重ねられています。それはなんとイエス様。というのは、太子の別名は厩戸(うまやどの)で生まれたと言われており、その伝説がイエス様と一致します。太子もまた、王族でありながら皇位につかず新しい宗教をもたらしました。だからこそ、お釈迦様、イエス様、三人とも新しい宗教をもたらしたという面でも一致しています。
参考文献
梅原猛『塔』(集英社)1982
⚫︎法隆寺五重塔の鎌
五重塔の上部に目をやると、鎌が屋根の上に取り付けられているのがわかります。
これは何を意味するのでしょうか。
このヒントは法隆寺の西南・裏鬼門の守護神社といわれる龍田神社にあります。龍田神社の祭神である龍田大明神は龍田大社から呼び寄せたと伝わります。
龍田大社では風鎮大祭と呼ばれる、風の神様を慰撫する祭が行われます。
吉野裕子氏によると、このような風をおさめる祭では、陰陽五行の木気にあたる風をおさめるために、木を切りたおせる金気の鎌や白い(金気の色)紙を用いられるといいます。龍田大社でも風鎮大祭時には、真剣での舞が奉納されます。これも金気・金属の気によって木気の風を駆逐するためなのかもしれません。
それを表すかのように、龍田神社、龍田大社の神紋は「木」気の「風」で「楓」となります。
また、龍田の龍も十二支の辰や四神の青龍も東側の木気に位置します。
そんな龍田に守られた法隆寺。そこの五重塔の塔の鎌は、風がよく当たる屋根の上で外に向けられています。それは、木気の風を切り倒壊から守る風切り鎌と言えるのではないでしょうか。
参考文献 吉野裕子「陰陽五行思想と日本の祭」(人文書院)1977
⚫︎編集後記
法隆寺やその周辺を思いのままに自転車で駆け巡り、若い頃に戻れた気がしました。我々おっさん世代にもそれぞれ若い頃がありました。
そして、今もかけがえのない時間を過ごしている若い祭当事者や祭オタクがいます。未来のある彼ら(彼女ら)と同じ時間を過ごすのは楽しくもあり、羨ましいとも思ってしまいます。そして、自分が二度とあの頃には戻れないことも痛感します。
間違えたことがあれば、彼らを注意して導くのは年長者のつとめです。ですが、羨望からなのか、それを大義名分にして、その芽を摘み取ろうとする行為や発言が、自分の身の回りで目につきます。そして、同じようなことを自分もしているのかもしれません。それは分かりませんが、一つだけわかることがあります。
若い彼らを踏みつけこき下ろしたところで、彼らが下げられた分自分が高いところに行ったように見えるだけだということです。踏みつけた勢いによって、自分の身をさらに下に持っていくことでしょう。