月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

312.明石市王子屋台の担ぎ棒収納(月刊「祭」2020.11月4号)

2020-11-30 21:47:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
●市街地の屋台・だんじり倉問題
 都市としての発展は、屋台やだんじり を動かす祭にとっては必ずしもいい条件ばかりではありません。特に、屋台倉・収蔵庫の確保は地価が高騰しがちな都市では頭の痛い問題です。神戸市東灘区の本住吉神社などでは、神社に地車小屋をまとめて設置するなど様々な対策を取らざるを得ません。
 日本標準時の都市・明石市も、神戸大阪への公共交通機関でのアクセスも容易な兵庫県内でも有数の都市として発展してきました。その明石市の市街地に位置する屋台の一つが2014年に50年ぶりに復活した王子屋台です。その収蔵には目を見張る工夫が凝らされていました。
 
●高架下の屋台倉
 屋台倉は高架下にあります。しかし、決して十分な広さとは言えず、棒を外した状態でシャッター製の倉に本体を収納しています。では担ぎ棒はどうしているのでしょうか?





●担ぎ棒収納術
 言葉よりも写真を見る方が理解が早いでしょう。勿体つけますので、ずっと下を見てください😄
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 4本の管の中に棒を一本ずつ収納しています。見事なアイディアでコンパクトに収納していました。


 
謝辞
 この記事を書くことができたのは、王子屋台の見学に誘ってくださった布団太鼓研究家のSさんと西宮市大市青年団のみなさん、そして王子屋台復活の中心となったFさんと関係者の皆さまのおかげです。あらためて感謝申し上げます。
 
 

311.「だんじりなし」のだんじり「系」伝承-長崎県東彼杵坂本浮立の成立譚-(月刊「祭」2020.11月3号)

2020-11-30 13:58:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
 ●長崎県東彼杵町坂本浮立
 長崎県東彼杵町には坂本浮立と呼ばれる伝統芸能があります。見出し画像(長崎県教育委員会、東彼杵町教育委員会『長崎県指定無形民俗文化財「坂本浮立」s53.h7復刻)や下の映像を見る通り、太鼓を主体とした芸能です。




 この芸能の起源として、おおよそ次のような内容が伝わっています。東彼杵町の歴史民俗資料館の展示を参考にしました。
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 万治三年(1660)佐賀県藤津郡岩井川内の三根恵市左衛門秋次が「外山流一伝記」の巻物とともに坂本郷の岩崎十兵衛 山口五郎兵衛に伝えたのが始まり

巻物のおおよその内容は下のようなもの
仲哀天皇は百済新羅国が八つの顔を持つ獅隣という悪鬼を先頭に九州に攻め込んできた。天皇は討伐するも獅隣の首のおこす悪風で病気、死亡。
神功皇后に「三韓征伐」の遺言をのこす
神功皇后は天照に「異邦に勝ちて帰朝せば神楽略して囃子仕えるべし」と御願をたて出陣。

戦勝して凱旋し、御願成就で神楽を略した囃子を奉納したのがはじまり、坂本神楽浮立の由来となる
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 坂本浮立は神功皇后の三韓遠征にまつわる芸能が起源と言えます。


●では「車楽(だんじり)」の起源譚は??
 題名では、坂本浮立の成立譚は「だんじり系伝承」としています。そこで、あらためて何度もこすっただんじり成立伝承を見てみましょう。
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 浜松歌国(1776〜1827)の「摂陽奇観」には
「河内国古市郡応神天皇陵、誉田祭、卯月八日にも出る。これは神功皇后三韓退治の御時、磯良の神、住吉の神など船にて舞いたまふをまねびけるとぞ。(中略)およそ上代の遺風なるべし、これ車楽(だんじり)のはじまりと誉田の村民はいふなり」
 とあり、車楽(だんじり)は船の上で行われた「芸能」が起源だということが伝わっています。車楽という書いて「だんじり」と呼ぶ言葉は車両の上での芸能を意味していたようです。
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 このとおり、「だんじり」は何らかの芸能を意味していたことになるというのが、前回の記事のないようですが、『摂陽奇観』の内容を見ると、こちらは、「神功皇后三韓退治の御時、磯良の神、住吉の神など船にて舞いたまふをまねびける」とあり、道中、凱旋の違いはあれど、神功皇后三韓遠征に由来した芸能であることは共通しています。
 こうしてみると長崎県東彼杵町の坂本浮立は、だんじりのないだんじり系伝承と言えるでしょう。
 しかし、多くの人に理解しやすく分類するのであれば、「三韓遠征による芸能成立譚」という分類の中に、「誉田八幡車楽(だんじり)成立譚」も「坂本浮立成立譚」も入ると考えるのが無難です。


310.由来不明なのに火事避けのお堂?(月刊「祭」2020.11月2号)

2020-11-20 08:27:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●火除けのお堂?
 愛宕神社など火事避けを願う神社が見られますが、火除けの「お堂」も見られました。それを今回は紹介します。

●熊本県菊池市泗水町永の菅原神社前の観音堂
 熊本県菊池市泗水町永の菅原神社の真向かいにその観音堂があります。菅原神社の御祭神はもちろん菅原道真さん。その前のお堂ということは、道真さんの本地仏である可能性が高いはずです。



↑菅原神社本殿か拝殿の梅鉢紋。


●言われも分からない。でも火除けのお堂

↑神社の真向かいにあるお堂


↑七番札所 永村観音堂の文字


 お堂には観音堂とあり、御本尊の頭を見ると十面。+本体の顔で11のお顔。十一面観音さんが御本尊で、道真さんの本地仏としてよく挙げられている仏さんです。十一面観音が菅原神社の真向かいにあるのも意味があることだと言えそうです。
 しかし、この観音さんにまつわる伝承はよく分かりませんでした。でもやっぱりこのお堂は火除けのお堂です。は、それは何故でしょうか??







よーく見ると、「防火水槽」の文字。
お堂には、人が集まるためのスペースができます。消防制度の整備が進むに伴い、そのスペースに防火水槽を設ける町や村もおそらく近代以降でてきたようです。
まさしく、火除けのお堂でした。



●見慣れたこのお堂も
 三木市本町(明石町五か町の大日町)も、一段高いお堂になっているのは、中に防火水槽があるからです。




309.祭あるある・関係者バージョン(月刊「祭」2020.11月1号)

2020-11-15 15:56:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
●もの足りないライブドアニュースのお祭りあるある
 ライブドアニュースにお祭りあるあるたる記事が出ています。かき氷の色で染まった舌を見せ合うなど、夜店での一幕など花火大会などの見物客主体の祭あるあるとなっています。屋台や地車に携わる人のあるあるがないと、月刊「祭」読者にとってはもの足りないものとかんじることでしょう。そこで、「祭あるある」関係者バージョンを書いてみました。
 
●次の祭まであと365日
 これは、曜日関係なく10月16日17日だったころ、祭りが終わると、「次の祭りまであと365日やー」と小学生の管理人も言っていました。そして、中学生のころも高校生のころも言っていました。。。そして、大人になっても言っていました😵
 子どもの脳みそから成長していません。。でもきっとこんな人たちで日本の祭はできています。
 
●屋台渋滞
 祭の日は屋台優先道路となります。渋滞があちこちにできていきます。去年の三木市細川町大日神社の祭では、いかついトラックのおっちゃんが、にこにこしながら屋台の横をゆっくりと通り過ぎました。もしかして、地元でも祭を、されている方だったのかもしれません。
 


 
●祭にやたら詳しいマニア
 おそらく一つの屋台や地車に一人から数人の割合で、祭に詳しいマニアがいます。一応管理人もこの部類です。
どこ行ってもいる人
 そのマニアはいろんな祭を見に行っているので、あの人どこ行ってもあるなーという人が結構います。
 
●飲み会のカラオケで、徳永英明「壊れかけのradio」、北島三郎の「祭」、美空ひばり「お祭りマンボ」
 「華やいだ祭のあと」の歌詞がある壊れかけのradioや、北島三郎の「祭」は年に一回はカラオケで聴く歌だという人は多いと思います。美空ひばりのお祭りマンボでは、「わっしょいわっしょいわっしょい」のところを「アヨイヤサー」とか「よーやさー」とか「そーりゃ」と自分たちの掛け声で歌っている人もいることでしょう。
 
 
 
●よけられない●●
 屋台や地車を引いたり担いだらするということは、みんなと同じ方向に進むということになります。その道中に茶色い野生の贈り物があった場合は。。。
 よけられずにふんでいくことに。。。
 管理人は子どもの頃、屋台の通り道に、おちている茶色い物体を見て同級生たちと、これみんなふみよるでーと言っていたことを思い出します。担ぎ手が踏んだあとけらけらわらっていました😵
 そして、交通整備用の棒をもって屋台の通り道に先行することになった三十代前半のころ、同級生たちと茶色い物体を見て、同じことを言っていました。。
 
●テレビの取材、レポーターの後でピース
 小学生の頃、レポーターの後でピースして怒られた経験のある人も多いことでしょう。管理人も小学生のころはそうでしたし、つい、数年前も同じことをして本気で怒られました😵
 
脳みそ小学生のまま
 やれ伝統だ、やれ町おこしだと言うようにもなりますが、結局、祭を楽しむ時は童心に帰るということで、今回の筆をおくことにします。