月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

(월관축제 2013.6월) 일본과 한국의 구미호 전설

2013-08-28 20:35:11 | 韓・朝鮮半島および仏教、ヒンドゥーアジア文化圏諸国-寺社の歴史、信仰、伝承-

  <월간 '최시' 2013.6월> 일간 구미호전설
  좀전에 「내 여자 진구는 구미호 僕の彼女は九尾狐(クミホ) 보쿠노 카노죠와 구미호」 다고하는 한국 드라마를 밨습니다.
 주연한 신 민아의 미력에 매력의 포로가 됬지만, 여기에는 말 안 하겠습니다.
  이번에는 일번과 한국에 남아있는 구니호 전설을 소개하겠습니다.
 

●한국참고한 사이트)(그사이트가 참고한 책 「韓国の民話・伝説 (간고구노 민와 덴세주) 한국 민화・전설」)
 한국에는 잘 알리는 구미호 전설이  있습니다.아래가튼 전설이
--------
 科挙をうけにいくヤンバン子弟は、道中で奴隷(召使といったほうがいいのか?)のバンバルをいじめて、木にしばりつけて棄てていった。しかし、子弟は九尾狐に食い殺される。
 一方のバンバルは、絶世の美女に助けられ一夜をすごす。
 バンバルはその後、殺人の疑いで捕らえらるが、脱獄した。かに見えたが、実は官憲の罠で、美女のもとへ逃げた。美女は実は九尾狐で、官憲を食い殺してまわったが、バンバルをかばって絶命する。
 九尾狐は実は、バンバルも食い殺すつもりだったが、愛してしまったので食べなかったのだという。
------‐
 壮絶な愛の物語といったところでしょうか。

●日本
 日本でよく知られているのは玉藻前という物語で、こちらのほうをご参考に。
 日本では、食い殺すようなことはしないのですが、天皇を手玉にとろうとしていたようです。
 実は、この玉藻は、鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)がモデルともいわれているそうです。 摂関家などの名門出身でもない彼女が、皇后にまで成り上がりました。摂関家と対立したり、保元の乱が起きたりしたことから、彼女と九尾の狐のイメージが結びついていったのでしょう。


(淡路市立北淡歴史民俗資料館所蔵の写真、斗之内浜だんじり幕)
*掲載の許可を得て使っておりますので、無断掲載厳禁でお願いします。


●韓国と日本の九尾狐
 美女に変身するという点では、どちらも共通します。ですが、韓国では人を食い殺す一方で男性には一途な愛をむけます。一方の日本のほうは、天皇を誘惑し権力奪取を画策します。男性のみなさんは、どちらがお好きでしょうか??
 男性にとっては、怖くて魅力的な?? 九尾狐のお話でした。
 女性にとっては、男性が抱くイメージの身勝手さの典型的なお話だったのかもしれません。

●編集後記 1
 先月(五月)、友人が練る西蒲田の屋台を生まれてはじめてみました。小学校創立百周年記念行事とのことです。
 その友人が西蒲田屋台について話す時は、正に「ほとばしる愛」が感じられ、かねてより見たいと思っていました。
 西蒲田屋台は蒲田神社の祭に出される屋台で、管理人の地元の祭(三木市大宮八幡宮)と日を同じくします。
 もしかしたら、一生見ることの出来なかったかもしれない屋台、見ることができてよかったです。 
 三木風の言い方をすると、「本当にいいタイコ」でした。

●編集後記 2
 よくこんなことを耳にします。
「韓国や北朝鮮(北韓)は日本への憎しみをあおって、自国の政治のまずさから目をそらそうとしている。」
 もしかしたら、それは、日本も同じかもしれません。
 隣の国の情勢に不満を感じるならば、なおさらその国の言葉の学習が不可欠です。
 ですが、隣国の脅威を語る人ほど、その国の言葉の学習の必要性を説いていないように見えます。
 
 
 管理人の個人的な韓国への想いは、こちらや、こちらや、こちらへ。
 旅行する度に本当に様々な方が親切にしてくださいます。大好きな国です。
  


<Monthly `festival` Feb.2013> The mask festibal in Japan and Korea (Korean language)

2013-08-25 20:35:44 | コリア、外国

<월간  '제시' 2013.2월> 일한 가면의례 
  이번에는 '오니오이*1'의 계절이니까, 가면의례 관헤서 샌각해가겠습니다.
 링크를 클릭하면 동영상을 볼 수 있습니다.

*1 오니오이
 '오니' 는 귀신입니다. '오이'는 쫓아내기 입니다. 일반적에는 오니오이는 역병나 재앙을 상징한 나쁜귀신을 쫓아내는 의례입니다. 많은 오니오이는 1월이냐 2월쯤에 행해집니다.
      
■반슈(播州)의 오니오이*2■ 
 반슈의 오니오이의 '오니(귀신)'는 쫓기는 것이 아니라, 오니(귀신)자신이 횃불동을 휘둘어서 역병나 재앙을 쫓아내어주십니다.곳에 따라서는 비샤몬텐(毘沙門天 비사문천)나 후도묘오(不動明王 부동면완)동의 화신이라고 이야기 하는 것 도 있습니다.
  이런 오니오이에는 '본당 (本堂-대웅전・大雄殿)안에 있는 본존뒤동 숨는 곳에서  나타나서, 춤추어서, 돌아가다고 하는 순소=이계에서 내방, 귀한의 줄거리' 돼어 있습니다. 또한 오오오니(大鬼 어른귀신)가 오는 전에、 고오니(子鬼 어린이귀신)동이  뭉둥이치기동을 해서 오오오니가 나타나올 곳을 깨끗이 하는 시나리오가 되어있습니다.    

 *2 반슈(播州)
  고베시(神戸市)서부를 동한으로서, 히메지시(姫路市)보다 서쪽에 있는 아코시(赤穂市)를 서한으로서, 아카시시(明石市)를 남한으로서, 니시와키시(西脇市)를 북한으로 하는 지역. 일번 옛날 지명인 하리마(播磨)를 단축하는 지명. 효고현(兵庫県) 서부.


 
간사키군 신샤구시(사) (神埼郡 神積寺)  본당 안에서 가는 산신

 
히메시시 우수키하치만신자(신사)  부신사이
(姫路市 魚吹八幡神社 武神祭)  
배전(拝殿)옆에서 나오는 귀신

■한국 가면극■
 구러면 한국을 봐라보십시다. 한국에는 익살맞은 가면국동이 전국적으로 널리 퍼지는데, 그석에 많은 것이 공통되는 점이  있습니다. 그것은 국이 시작되는 전에 이계에서 오는 자, 예컨데 안동 화희 마을의 '주지'동  일번 시시마이(獅子舞 사자춤) 같은 자가 춤추어서, 극장을 깨끗이 하는 점입니다. 이것들도 곳에따라서 산신이라고 샌각되어서, 이계에서 내방 이란 점에는 일번과 공통하는 것이겠습니다.


 
안동 화희 마을 주지. 이때부터 극이 시작돼요.    주지후, 양반동 골계극이 행해집니다.

사례: 한 관지 씨, 백 수진 씨, 이 휸이 씨, 그녀들의 직장의 동료인 분들, 저가 한국에 갔을때에는  언제나 정말 신세 많이 주어서, 정말 정말 감사드립니다. 

■편집 후기■
 이번에는 동영상도 게재했습니다. 앞으로도 오래 계속하고 싶은데 가능한 빨리 다 쓰는 것을 연두에 뒀습니다. 반면에 동영상을 린크시켜서  쪼금은 즐기실 수 있을 것입니다.

 요새 소년 번죄 안에 흉악한 것을 보면, 가해자의 부모님의 사회 입장이 높은경우에는 그 처벌을 경감되는 경향이 있다고 저는 느낍니다.
 이것은 사희적 불만의 경삼 피해자의 구제다고 하는 시점으로 만아니라, 가해자의 경정다고 하는 시점으로서 절대 안된 것이라고 샌각합니다.

■편집 후기(한국어 판)■
 
한국어로 번역헸을 때에 눈치를 채는것은 제 안 못한 일번어이었습니다.......


<月刊「祭」2013.10月 第20号>嗚呼、わが町の台車事情

2013-08-15 01:01:50 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-

 全世界約50人ほどの読者さまに支えられて、月刊「祭」も、はや20号を迎えました。
 20号が、祭月の10月号にあたるのも、また何かの縁かもしれません。
 なお、10月は祭とか祭とか祭で忙しいために、早めの刊行とさせていただきます。

●嗚呼、台車  嗚呼、嗚呼、台車  嗚呼、台車
 というわけで、今回は、皆さんが待ちに待った・・・・・・・・・台車特集です\(^o^)/
 たかが台車、されど台車。
 担い式太鼓台や御輿などの担ぐ祭に携る人にとって、これほど複雑な思いを抱くものはないでしょう。
 できることなら使いたくない。だけど、なかったら困る。
 だったら、見せ場の時ははずしましょうと、役目がない時は隅にやられてしまいます。
 また、台車をつけるつけないで、頭に血が上る光景を見た人、当事者だった人というのは、読者さまの中でもきっと多いことでしょう。

 時には憎しみの対象となってしまったり、ヘタレの同義語となることがありながらも、車の往来が多くなったり、人手不足に悩まされる現代の祭には、台車はなくてはならないものとなりました。
 大きな貢献をしてきた台車も、各地方の祭の形態や、太鼓台の形状やその地方の文化を反映しているようです。
 というわけで、大阪から少しづつ西側に、それぞれの台車事情を見ていくことにします。
 なお、あくまで、管見によるものなので、必ずしも正確な分布を述べているわけではありませんので、ご理解の上、読み進めていただきますようよろしくお願いいたします。

●大阪の台車 地車からの変化か 
 
  
1                                   2


3  (1~3)大阪市桜の宮神社の地車



 
4                                    5 (4、5)伊弉諾神宮  里 だんじり(元・高石市等乃伎神社 大園だんじり)

 -まずは地車を-
 大阪の台車を見る前に、ひとまず、地車を見てみます。
 大阪の地車は上だんじりと呼ばれる市内のものや、岸和田を中心に分布する下だんじりとよばれる府南部のものに関わらず、
 方向転換がしやすいように、車輪は台木とよばれる、木の内側についています。
 これは、上地車(1~3・大阪市内などを中心に分布)も下地車(4,5・岸和田市内などを中心に分布)もかわりません。

-大阪市内の枕太鼓と催太鼓、蒲団太鼓の台車- 6~10だんじり型台車(仮称) 11~16大型四輪(仮称) 
 
   
6                                    7


8 (6~8)大阪市阿部王子神社の枕太鼓 台車はだんじりとよく似た形態になっている。 

 
9                                    10(9-10)大阪市桜の宮神社 枕太鼓

 
11                                   12


13(11~13) 大阪市大阪天満宮の催太鼓

   
 14                   15              16(14~16) 大阪市杭全神社の蒲団太鼓


 そして、次は枕太鼓や催太鼓を見てみましょう。この二種類の太鼓は、行列の先駆けをつとめたり、太鼓の打ち手が頭巾を被り、形態も非常によくにているので、同じものを別の呼び方をしていると思われます。おそらく、大阪天満宮の催太鼓が他の地域に伝わり、枕のような筒状の蒲団をのせていることから、枕太鼓の名でも呼ばれるようになったのでしょう。
 閑話休題、写真6~8の阿部王子神社の枕太鼓の台車を見ると、大きな木製の車輪や、台木を思わせる太い木などは、だんじりを思わせます。
 写真9、10の桜の宮神社の枕太鼓も、阿部王子のものより、やや木製の車輪が小さくなっていますが、やはり台車を連想させます。
 
 さらに、大阪天満宮の催太鼓(写真11~13)は、さらに車輪が小さくなっており、上部を覆う板がつけられますが、写真では伝わりにくいのですが、播州のものと比べると非常に大きく、また、前後が大きく泥台からはみ出しています。むき出しになった木製の車輪はだんじりをおもわせます。
 大阪市杭全神社の蒲団太鼓(写真14~16)は、播州の蒲団屋台で使われているものに近くなります。ですが、泥台よりも幅が広い大きな台車は、大阪天満宮の催太鼓に近いのかもしれません。
 


●播州布団屋台(三段蒲団屋根)や淡路だんじり(五段蒲団屋根太鼓台)の四輪台車 小型四輪(仮称)
 
17                                  18 (17,18)明石市(魚住)住吉神社の中尾屋台 
 
19                                  20 (19、20)兵庫県三木市明石町屋台


21 淡路市伊弉諾神宮 大町上だんじり

 ここからは、別ウィンドウで、播州の神社別各屋台分布図 -二つの川上の反り屋根-の図を参照しながらでお願いします。
 播州の三段蒲団屋根屋台の分布地域になると、泥台の幅とほとんど代わらない小ぶりな台車が好まれて使われているようです(写真16~20)。また、大阪の枕太鼓や催太鼓の車輪が木製であるのに対し、多くが鉄製となっています。
 しかし、私のかなり曖昧な記憶によると、かなり大きな木製の車輪の台車が明石市(魚住)住吉神社で使われていた気もします。
 また、兵庫県三木市の明石町屋台は、昔は台車の車輪が外側についていたような気もするのですが、これもまた、自信はありません。
 そして、写真21の淡路市伊弉諾神宮の大町上だんじりのように、車輪がタイヤ式で外側につけられているものも、この神社では見られました。 


●二輪台車と改良型六輪台車 小型四輪(六輪)(仮称) 
 
22                                  23 (22,23) 三木市大日神社 細川中屋台

 
24                   25 (24,25)加西市北条町 住吉神社

 
26                   27 南あわじ市亀岡八幡宮 下町だんじり 

  
28                                   29

 中播磨から北播磨地域(曽根以外の神輿・三段蒲団折衷型反り屋根屋台分布地帯)、淡路島地域では、大きな車輪が2つついた台車やそれの発展形としての大きな車輪が中心に二つ、前後に小さなものが二つずつ計六つついた台車が見られます。このような形の台車だと、4つの台車にくらべて方向転換が容易にでき、少ない人数でも引くことができます。また、前後に激しくゆらすことができるので、担がなくても祭りの見せ場をつくることができます。
 写真22,23のように、多くの場合は大型のタイヤをつけることが多いようです。
 写真24、25は、前後に補助輪ともいえる4つの車輪がついていますが、これで、台車本体を地面にひきずることなく引き回せます。
 写真26、27のように、淡路島南部では、だんじり本体に台車を直接つけてしまっているものが数多く見られます。担ぎ棒も太く担ぐことをあきらめただんじりといえます。祭のメインを、だんじりの太鼓に合わせただんじり唄の奉納と、だんじりの曳き回しにおいているゆえの措置といえるでしょう。
 上記のように、二厘、および六輪の台車は、外側に車輪がついていました。ですが、写真28,29の三木市岩壺神社の東條町屋台は内側についています。車輪部は鉄製でありながら、大阪市の台車の真ん中部分を大きくしたような形態になっています。この傾向は、比較的新しいものと、記憶しています。
 三木市内においては、大宮八幡宮地域、別所地域、加佐などの西側は、四輪の台車が多いようです。
 一方の、岩壺神社などでは、二輪や六輪が多いようですが、吉川地域、細川地域などは確認しておりません。

●浜手の簡易型四輪台車と網干型屋台用の台車
-浜手の簡易型四輪(仮称)台車-

 
 
30                                   31(30、31 明石市大窪八幡宮 西大窪屋台)

 
32                                   33

 
34                    35 (32~35)姫路市松原八幡宮 木場屋台

 播州のいわゆる浜手-灘のけんか祭で有名な練り合わせ型神輿屋根屋台分布地域、曽根天満宮氏子地域などでは、台車は鉄製の車輪を組み合わせて作る、持ち運びの便利な台車がよく使われています。
 また、写真30、31のように明石市でもヨーヤサーの掛け声や、紙手とともに、台車も浜手のものが伝わってきているようです。
 そして、浜手では、写真32~35のように台車をコンパクトにして運ぶように出来ていました。  

●チョーサ型神輿屋根屋台分布地域の台車 網干型四輪(仮称)
          
36(姫路市魚吹八幡宮 坂上 旧屋台)    37(姫路市魚吹八幡宮 天満屋台の台車)

 一方、姫路市の魚吹八幡宮をはじめとする、チョーサ型屋台は、屋台を上下に激しく揺らすチョーサに対応するために、泥台の足は非常に短くなっています。それに対応して、台車の車輪を横につけるのではなく、下につけることで、他の台車よりも高くなっています。そうすることで、台車をつけたときも担ぎ棒の高さを、操作しやすい位置まであげることができます。

●一応のまとめ
 それぞれの台車の特徴をまとめてみました。
 どの形の台車がいつ頃できたかは分からないために、大阪のものが西側に伝わり、少し変わって、さらに西に伝わったとはいい切れません。
 ですが、形としては、西から東にかけて少しづつ形が変わっているということは言えそうです。
 また、小型三輪、簡易型四輪、網干型四輪は、小型四輪から枝分かれしたような形であるということもいえそうです。

 この記事掲載後に、姫路市魚吹八幡宮の祭礼に参加されている方より、台車の写真を頂きました。
 私が、述べたのは魚吹八幡宮など、網干の屋台の台車は、四輪、車高は高い、上部に板がはってあるということです。しかし、送っていただいた写真の台車は、車高は高そう?ですが、他の特徴はそれとは程遠い二輪の台車でした。
 このような例外や間違いは多々多々あると思いますので、それをご了承の上読んでいただくようお願いします。
 また、写真を送っていただいた方に篤く感謝申し上げます。

送っていただいた魚吹八幡宮 高田屋台の台車


編集後記:
 
今回は写真をかなり多く使いました。
 私自身、祭りを見に行っても、できるだけ担いでいるところを見ようとしていたので、写真を探すのに一苦労しました。
 月刊「祭」11月号も少し早めに出す予定、12月号は12月半ば頃に出すことになるかと思います。またのご愛顧をお願いします。

 


ハングル能力試験 1級!?合格への道  怒涛の3級、準2級編-1

2013-08-14 23:54:18 | 学習-ハングル能力試験への挑戦、韓国語学習-

●大言壮語 
 2年前から、韓国語の勉強をはじめました。
 自分でもよく続いたものだと感心しています。
 というわけで、ハングル能力検定試験の1級合格!?
 その奮闘記を記して行きたいと思います。

回想 
 学習をするたびによぎる後悔・・・・
 もっと早く、始めりゃよかった・・・・・
 きまって思い出すのは、韓国語を勉強するのをやめたあの瞬間のことです。

 学生時代。祭を学ぶなら、隣国のことも知っておく必要だと感じた、月刊「祭」君。
 「韓国語いけそうやし、やってみようかなー」みたいな感じのことを、韓国語が堪能な女の子の前でつぶやきました。
 普段穏やかなその子は、「そんなに簡単なもんちゃうで」と、冷静だけど、厳しい口調で釘をさされました++; 
 その剣幕に押されてか、韓国語から距離をおくことに・・・・・++;

●奮起
 その10年後、ひょんなことから、韓国旅行に行き、韓国語を身につけようと奮起しました。
 その中できづいたこと。
 マツオタで、祭の資料や漢文、古文にふれている月刊「祭」君には大きなアドバンテイジがありました。
 漢字語が多く、古文の言い回しに通じる表現がある韓国語は、月刊「祭」君にとっては、非常にとっつきやすいものでした。

●挫折と再度の奮起
 ということで、ハングル能力検定5級、4級をクリア!
 これなら楽勝とほとんど勉強せずに臨んだ3級と準2級。
 3級は、合格点60点の30点台、準2級に到っては、10点台と燦々たる結果でしたT T;
 
 さて、見事に落ちた3級の基準は、1時間授業を160回、つまり160時間受講した程度されています。4級は80時間なので、自分はうかっているから、あと80時間!?
 そして、準2級は、240~300時間となっているので、あと、160時間~220時間!?
 というわけで、ノートにマス目をつくり、1時間勉強したら、1マスぬりつぶすという方式で、やってみました。
 で、サボったり、がんばったり、夏休みを利用してかんづめでがんばってみたりして、ようやく160時間にたどりつきました。
 というわけで、問題集の模試にチャレンジしてみると、68点!! 
 希望が見えてきました!!
 
●復習の必要性
 
今まで、大好きなjaurimの歌詞を訳してみたり、とにかく、次、次と、高いレベルのものにチャレンジしてきましたが、ちょっと行き詰ってきました。というわけで、あらためて4級のテキストを学習しなおしてみると、3級や準2級で分からなかったことが、少しづつ分かってきました。
 そこで、準2級の学習時間の基準最低ラインである240時間に達するまでは、あえて、準2級の学習にはいらず、5級から3級の復習を徹底的にやっていこうと考えています。
 このような復習の後、準2級の基準学習時間の上限である300時間の学習を次の11月第二日曜日の試験日までに達成できるようにがんばってみます!!
  


<月刊「祭」2013.9月 第19号>東京の祭 -標準化の悲劇を超えて-

2013-08-10 18:57:10 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-

 標準語には、どの地方の言葉が主に用いられているのでしょうか。
 これは、おそらく、誰もが分かることですが、東京の言葉です。

 そして、私が見る限り、日本の祭りにもそれが見られるように思います。
 例えば、イラストの素材になるような、分かりやすい、お神輿や獅子、ひょっとこなどの祭のイラスト。
 例えば、お囃子の音などの祭りのBGMに。
 例えば、ワッショイというおみこしを担ぐときの掛け声。
 イラストやドラマ、映画などで、とりあえず、祭りの雰囲気を出したい時などは、東京のものをモチーフにしたものが用いられることが多くあります。また、新興住宅地などで、とにかくお神輿をかつぐ祭りをしてみようなどというときも、参考にするのは、このような一般化された「祭」です。ですので、私たちのような、地方の祭人は、このようなメディアで一般化された祭や、メディアを通じて伝わる東京の祭りには、どうしても魅力を感じることができませんでした。
 
イラスト:http://www.misaki.rdy.jp/illust/child/hoiku/natumaturi/sozaitext/403.htmより


 しかし、実際に東京都八王子市の祭を見ると、非常に魅力的な祭りでした。また、一般化されていない、というか、あまりに見事すぎて、決して伝わらない魅力も伝わりました。
 祭りを知らない人が作るメディアからの情報や、安易な一般化では伝わらない魅力が、他の地方同様、東京にもあるんだなと、感じることが出来ました。

●東京都八王子市 八雲八幡神社・多賀神社の夏祭り
 東京都八王子市の八雲八幡神社と多賀神社の祭の祭を管理人は、2013年8月4日に見ました。
 詳細な情報は公式サイトにお任せします。
 また、山車を曳く時の、「1,2のやー」という掛け声は、非常に元気がよく、関西人の私にとっては、新鮮な掛け声でした。
 そして、力一杯曳かれる山車にブレーキをかけたり、舵をとったりする方が山車の前部にいたのですが、非常に苦労されていました。
 そしてそして、なによりも見事なのがその彫刻。大正の名彫刻師・佐藤光重なる人物の作品は、悉く見事なものでした。立体感、表情、躍動感、どれをとっても天下一品のものでした。
 

 

 

●江東区富岡八幡宮・富賀岡八幡宮
 
この二社は、本宮と元宮の関係です。お神輿を担ぐ祭りですが、残念ながら祭を見ることはできませんでした。
 ただ、祭の日が近いのか、非常に信仰が篤く、仕事中に立ち寄りお参りされる方をたくさん見かけました。
 江戸の祭を支えているのは、このような篤い信仰なのかもしれません。 

    
  富岡八幡宮とその御輿。日本一大きな神輿という。


 富賀岡八幡宮。 作業服の方が、おそらく仕事中に立ち寄り参拝されていました。

●編集後記●
逗子の海岸で「風紀が乱れるから」という理由で、音楽禁止になるそうです。
本当の地元民の意見を反映しているなら、まだましですが・・・
健全なだけの音楽とか祭って、絶対におもろない。
ただ、風紀を乱さない従順な人だけにしたいというのは、政治をする側の偽らざる心境だと思います。
だからといって、音楽とか祭に安易に規制をかけるようでは、西の少し北側の隣の国の発想と代わらないのですが。
正直、祭でも気に入らなかったら、規制をかけるという発想が生まれつつあって、少し不安を感じます。