3月31日(木)
早いもので2016年も1/4が過ぎようとしています。
年度替わりといっても、私自身にとってはそれほど環境が変わる訳でもなく、
それでも、なんとなくこういう節目を大切にするのは、
日本人のいいところだと思います。
我が家の前の桜並木はまだまだです。
昨日は記念すべきラジオ出演デビューでした!
とはいっても、地元箕面のFM局「タッキー816」の
「滝道のぼって徒歩3分 BAR HEARTのちょっと来て!!」
という番組で、一軒のBARにいろんな人が集まってワイワイやってるという内容です。
収録風景
普通に飲んでるだけやん! って思われそうですが、
まさにそんな感じです(笑)
毎週 木・金17:30~17:35 の5分間という短い番組ですが、
今月は「スポーツ好きな人集まれ!」って感じで、4月中の8回にわたって流れるみたいです。
私はマラソン好きってことで声をかけてもらったみたいですが、
気が付けばこんなことになってました。
俺ってプロレス好きやったっけ(笑)
自分の声がラジオから流れるってどんな感じか、ちょっと興味ありますね。
さて、
私自身の人生の振り返りの第4話です。
興味の無い方はスルーしてください。
「生きっぱなし人生の振り返り」
第4話 初めての反抗
私にとって偉大で少し遠い存在だった父親。
そんな父親に初めて反抗した出来事がありました。
あれはたしか私が幼稚園の頃だったと思いますが、休日だったのか13才年上の長男を除く家族みんなが家にいるときに一本の電話がかかってきました。
その電話は、警察からなのか、病院からなのかは解りませんが、長男の運転する車が六甲山で事故を起こし、本人もかなりのケガをしているという内容でした。
すぐに病院に駆けつける用意をする両親に、他の兄弟も一緒に行くと言い出しましたが、父親に一喝され自宅で待機することに。でもなぜか私は「絶対に一緒に行く!」と食い下がったのです。
普段は聞き分けのいい私が、執拗に食い下がるので最初は冷静に諭していた父親も、長男の大ケガという緊急時態に堪忍袋の緒が切れて、私を何度も畳の上に投げつけました。
私は投げられても投げられても泣きながら食い下がったのを覚えています。
なぜ、私がそんな行動に出たのか?
兄ちゃんの事が心配だったから・・・? という訳ではなく、他の兄弟が誰もいない状況で私だけが両親と出かけられるかもしれない・・という、大家族の末っ子ならではの淡い期待があったような気がします。
現に父親に何度も投げ飛ばされている間も、何とも言えない幸せな感覚を味わっていたのを今でも覚えています。
この出来事は私にとってはじめて父親との1対1のふれあいを感じる出来事でした。
ちなみに長男のケガは、足のかかとを数十針縫う大ケガでしたが命に別状はありませんでした。
今日はここまで・・・・。
この物語は、あくまで私感と記憶と想像で綴られていきますので、よろしくお願いいたします。
大阪で建築家とつくるソラマドの家⇒ソラマドの家・ライフラボ北摂
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それでも、なんとなくこういう節目を大切にするのは、
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まさにそんな感じです(笑)
毎週 木・金17:30~17:35 の5分間という短い番組ですが、
今月は「スポーツ好きな人集まれ!」って感じで、4月中の8回にわたって流れるみたいです。
私はマラソン好きってことで声をかけてもらったみたいですが、
気が付けばこんなことになってました。
俺ってプロレス好きやったっけ(笑)
自分の声がラジオから流れるってどんな感じか、ちょっと興味ありますね。
さて、
私自身の人生の振り返りの第4話です。
興味の無い方はスルーしてください。
「生きっぱなし人生の振り返り」
第4話 初めての反抗
私にとって偉大で少し遠い存在だった父親。
そんな父親に初めて反抗した出来事がありました。
あれはたしか私が幼稚園の頃だったと思いますが、休日だったのか13才年上の長男を除く家族みんなが家にいるときに一本の電話がかかってきました。
その電話は、警察からなのか、病院からなのかは解りませんが、長男の運転する車が六甲山で事故を起こし、本人もかなりのケガをしているという内容でした。
すぐに病院に駆けつける用意をする両親に、他の兄弟も一緒に行くと言い出しましたが、父親に一喝され自宅で待機することに。でもなぜか私は「絶対に一緒に行く!」と食い下がったのです。
普段は聞き分けのいい私が、執拗に食い下がるので最初は冷静に諭していた父親も、長男の大ケガという緊急時態に堪忍袋の緒が切れて、私を何度も畳の上に投げつけました。
私は投げられても投げられても泣きながら食い下がったのを覚えています。
なぜ、私がそんな行動に出たのか?
兄ちゃんの事が心配だったから・・・? という訳ではなく、他の兄弟が誰もいない状況で私だけが両親と出かけられるかもしれない・・という、大家族の末っ子ならではの淡い期待があったような気がします。
現に父親に何度も投げ飛ばされている間も、何とも言えない幸せな感覚を味わっていたのを今でも覚えています。
この出来事は私にとってはじめて父親との1対1のふれあいを感じる出来事でした。
ちなみに長男のケガは、足のかかとを数十針縫う大ケガでしたが命に別状はありませんでした。
今日はここまで・・・・。
この物語は、あくまで私感と記憶と想像で綴られていきますので、よろしくお願いいたします。
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