読書の習慣は小学生の頃、身につくように先生方に「厳しく」しつけられました。しかし、外で遊びたい時期に、学校の授業以外に部屋の中で本を読むこと対して、「もったいないなあ、よいお天気なのに」と抵抗感があったのは正直な気持ちです。
読書には、三タイプあると思っています。
1.知る読書
言い換えるならば、学ぶための読書。これが最初にきて、よい思い出がないと、あとあと尾を引きます。これはくまなく全頁を読まねばなりません。
2.調べる読書。
これはある目的をもって本を探す。そして、その本の中に書いてあることで、これはと思うものを探す。よって、走り読みで構わない。
3.考える読書。
項番の1+2をやって、今度は、本と禅問答をするような読書。これはきつい。そもそも、本が答えを示してくれるような1や2の読みかたではありません。「本で考える」と言ってもいいかもしれません。
これ、どれがよいということはございません。1も2も3も大事ですが、1がおろそかにはて、2に走ると、今の大学生がやっているようなコピーペーストで論文を書き上げてしまうようになる。実は、その論文は、そんなに考えたわけでもないので、辻褄、ロジックが合っていないことがあるのですが、当事者はそれに気がついているのでしょうか。世の中にでたとき、いいことないのに。
できれば1⇒2⇒3がいいのですが。時間がかかるので不人気なのですね。
経営者の方で、案外、読書しない人います。もう、自分の経験値で充分やっていけると思っている自信家だから、評論家の言辞に耳を傾けるようなことはしない。そんなかんじです。では、経営者としての実績は???
どうなんでしょうね。
読書には、三タイプあると思っています。
1.知る読書
言い換えるならば、学ぶための読書。これが最初にきて、よい思い出がないと、あとあと尾を引きます。これはくまなく全頁を読まねばなりません。
2.調べる読書。
これはある目的をもって本を探す。そして、その本の中に書いてあることで、これはと思うものを探す。よって、走り読みで構わない。
3.考える読書。
項番の1+2をやって、今度は、本と禅問答をするような読書。これはきつい。そもそも、本が答えを示してくれるような1や2の読みかたではありません。「本で考える」と言ってもいいかもしれません。
これ、どれがよいということはございません。1も2も3も大事ですが、1がおろそかにはて、2に走ると、今の大学生がやっているようなコピーペーストで論文を書き上げてしまうようになる。実は、その論文は、そんなに考えたわけでもないので、辻褄、ロジックが合っていないことがあるのですが、当事者はそれに気がついているのでしょうか。世の中にでたとき、いいことないのに。
できれば1⇒2⇒3がいいのですが。時間がかかるので不人気なのですね。
経営者の方で、案外、読書しない人います。もう、自分の経験値で充分やっていけると思っている自信家だから、評論家の言辞に耳を傾けるようなことはしない。そんなかんじです。では、経営者としての実績は???
どうなんでしょうね。