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HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

それでは再出発!国府津から

2014年07月19日 | 平塚宿-大磯宿-小田原宿

ブログでの道中は、国府津駅にたどり着いた時点で終了していました。

あれから半年…。

急ぎ小田原へ向かわねば!



【真楽寺】
国府津駅を出発してすぐです。親鸞聖人ゆかりのお寺で、マリア観音があるとか。親鸞聖人と伴天連のマリア観音。興味津々ですが先を急ぐあまり此処も素通り。

↑街道沿いに立派な石碑。お寺はこの奥です。


さて地図を見ると、此処から先は一里塚が在るのみで、そのまま酒匂川までまっしぐら!といった感じです。どうせ小田原宿で時間をとられるだろうと踏んで、HIZAKURI隊、一気呵成に歩を進めます。


その後、親木橋を通過。
ガイドブックによると、江戸時代には長さ23メートル、幅4.6メートルの土橋だったそうです。橋からは富士山が綺麗に見えたので、川(森戸川)は別名富士見川とも呼ばれたとのこと。

↑交差点の名前にも。

↑もっと大きな橋かと想像していましたが…。

↑松並木の下、一路酒匂川へ!


【小八幡の一里塚】
江戸から19番目の一里塚に到着。此処もかつての面影はなく、案内板が建っているのみです。その案内板によると
「東海道中の東にあり、左右相対せり、高二間、舗六七間、塚上に松樹あり上は小田原宿入口一里塚、下は淘綾郡山西村小名梅沢の一里塚に続けり」
と、天保に編集された相模国風土記稿にあるそうです。

↑小八幡の一里塚(の案内板)。

↑バス停もずばり「一里塚」。


一里塚も無事確認し、あとはひたすら酒匂川を目指すのみ!でもHIZAKURI道中、そうは簡単には行きませぬ。次なる道草スポットは…

↑順調に歩き続けてますが…。


【大見寺】
戦国時代に創建された浄土宗のお寺だそうです。

↑1534年創建。織田信長が生まれた年。

墓地には、戦国時代に北条氏のもとで酒匂郡の代官を務め、江戸時代にも名主として羽振りをきかせた、旧家・小嶋家の「小嶋家三墳」があります。小田原市の指定文化財だそうです。こういうものに疎い私、印塔だの五輪塔って案内板に説明してあるけれど、どれがどれなんだか…?

↑とりあえず写真だけは。

そうそう、境内にて葵の御紋発見!
閑静なお寺でしたが、実はとっても格式高い寺院なの?(お寺と書くと庶民的、寺院と書くと一気に格式ばって聞こえるのは気のせい?)

↑徳川家とどういう関係?


さて、此処は地元の旧家・川辺家の墓所でもあるそうですが、川辺家って?

それはまた次回にて。

-H-



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