HIZAKURI

旧東海道踏破の覚書、ただし日本橋から箱根まで

ついにゴール!箱根宿

2014年10月25日 | 小田原宿-箱根宿

2014年10月18日-。
天高く馬肥ゆる秋。
我々HIZAKURI隊一行は、ついに最終目的地・箱根宿へ到着しました。2011年9月に日本橋を出立して3年。途中何度かの中断を余儀なくされながらも、ゴールできたことに感無量なのでした。

それでは、詳細は追い追いアップするとして、とりあえずはダイジェストで。


↑須雲川からスタート。

前回歩いた箱根・須雲川までは、箱根湯本駅からバスで向かいます。しかし行楽日和の土曜日とあって、バスは混むわ混むわ…。途中から乗ってくる人たちもいて、それこそすし詰め状態。後方座席に座った我々は、須雲川のバス停で下車するのに一苦労したのでした。せめてこの時間だけでもバスを増便したほうがいいのでは?
ところが、歩き出してから通り過ぎて行った、次のバス(25分後)はガラガラでした。この差は何?いちばん混む時間のバスに乗ったということか?

↑では、石畳の箱根をいざ!

今回の道中は、ひたすら山道を進みます。石畳も江戸時代から残っているところと、後年になって敷きなおしたところがあるようです。また、車道(県道)を歩く際は車に要注意です。

↑進め!HIZAKURI隊

道は箱根までずっと登りかと思えばそうでもなく、アップダウンが続きます。それにしても石畳、湿っていたり苔むしていたりで、滑る滑る滑る…。

↑かなり滑りやすいです。ご用心を


↑畑宿に到着。江戸時代から寄木細工が名物

10時過ぎから歩き出して、1時間ほどで畑宿に到着しました。畑宿は正式な宿場ではありませんが、ここで一休みする旅人でにぎわったそうです。ちょっと早いけどお昼にしました。

↑お昼は、とろろそば。一里塚の手前のお蕎麦屋さんです


腹ごしらえを終え、再び歩き出すHIZAKURI隊。
好天に恵まれ、まさにHIZAKURI日和。歩いていると、少々暑いくらいです。

↑それでも秋らしさも随所に

畑宿を出たのが12時ころ。そこからは、さらなる山あり谷あり坂あり石段あり…まさに箱根の山は天下の険。

難所・橿木坂は石段になっていました


次のスポット・甘酒茶屋に着いたのは13時頃。
「隊長~お茶にしましょうよ~」
八兵衛ならずとも、自然に声が出てしまうのでした。

↑甘酒茶屋に到着

↑これこれ!待ってました!


甘酒茶屋まで来ると、気分的にはあと少し!となります。それでは、いざ、往かん!

↑さあ、あと少し!

↑それでも、アップダウンはまだ続きます

石畳の山道はまだ続きます。この辺りのほうが、今までよりもきつい坂となっているような…。箱根宿を前にして最後の試練でしょうか。でも、気分的にはかなり楽です。
箱根方面から歩いてくる人たちと何度もすれ違いましたが、江戸時代も挨拶を交わしながら旅したのでしょうか。
(…それとも、そんな余裕なかったのかな?)


↑箱根だ!

そして、いよいよ箱根宿に入ります。実際の箱根宿は関所を出た三島側だったそうですが、そこはそれ、もう到着したも同然です。

↑杉並木。立派なものですなぁ…

↑箱根の関所

ジャジャーン。
ついにこの時がやって来ました。最終ゴール地点の箱根の関所です。ここに辿り着くまでの3年間が、それこそ走馬灯のように浮かびます。
日本橋から箱根宿(関所)まで、約101キロ。寄り道もかなりしているため、実際は120キロくらい歩いているのかな?
それにしても、感無量!

日本橋に集合したのが2011年9月30日午前10時。
箱根の関所に着いたのは2014年10月18日午後2時30分。

ご一同様、ホント、お疲れ様でした。

↑ゴーーーーール!!!!!


さて、この後。
三島へ下って(歩きたかったけど、泣く泣くバスで向かいました…ん?泣く泣くか??)、箱根到達を祝し、夜を徹しての大宴会が挙行されました。

↑三島にて。飲んだ飲んだ…

そうそう、川崎大師で道中の安全と箱根到着を祈願して買った小さなダルマたちにも、ようやく目が入りました。

↑達成感!

三島では、それこそ、飲んで飲んで食べて食べて…。3年間の反省とHIZAKURIの未来について語り明かしたのでした。

HIZAKURIの未来?

HIZAKURIに次があるのか?

それは、今後、ゆっくりと考えましょう。

今宵は、心ゆくまで盃を重ねようではありませぬか、ご一同。


今を愉しめよ、
確かな明日など、ないのだから。
~「バッカスの歌」 ロレンツォ・デ・メディチ~

-H-


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