さて、いよいよ「箱根八里は天下の険」の雰囲気が漂い始め、HIZAKURI隊の士気も高揚します。
【箱根旧街道入り口の案内板】
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ここから当時の石畳の道が始まります。当初は竹を敷いて、毎年取り替えていたようですが、あまりにも手間暇がかかるため、思い切って石畳にしたとか。そりゃ、毎年竹の敷きなおしに駆り出される村人はたまったものじゃなかったでしょうね。
【馬の飲み水桶】
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旧街道の案内板に従い進むと、すぐ「馬の飲み水桶」があります。馬子がここでひと休みして馬に水を飲ませた場所とのこと、馬立場と呼ばれていたそうです。馬子も馬も、我々と同じくここからが本当の箱根道…と気合を入れ直したのでしょうね。
【箱根旧街道石畳】
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さあ、箱根旧街道の石畳、これより始まり始まり~!まだ整備された遊歩道チックな感じですけどね。
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旅館だかレストランだかの「裏庭」を通っている場所もあるようで、観光客用遊歩道や庭園(?)もあったりします。
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進むにつれ、その遊歩道チックな雰囲気も薄れてきて、いよいよ本格的になるのか!?と思わせます。
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ところがしばらくすると、再び県道に合流、石畳は途切れてしまいます。入り口から500メートルもなかったかと。この先は県道に沿う形で旧東海道を進みます。
【「奥の茶屋」バス停】
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またまた往時を偲ぶようなネーミングのバス停。
【県道に沿い東海道を往く】
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車には十分注意が必要です。箱根の雲助も真っ青な、けっこうなスピードで飛ばしてきます。歩道とてありませぬ…。
【杉並木】
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箱根と言えば杉並木。ここにもその片鱗(?)が。江戸時代からあったものなのかな?
【「ホテルはつはな」近辺】
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高級リゾート(…と、U嬢が力説していた)「ホテルはつはな」近辺はさすがに整備された感じ。もう少し進むと、目指す須雲川村へ到着します。
【旧須雲川村】
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到着~。
旧須雲川村です。案内板にもある通り、江戸時代に街道維持のために幕府によって作られた集落です。こういった村々から人々が徴用されて、街道の整備にあたったのですね。その分、年貢などは免除されていたかと思いますが、どっちが楽だったのかな?
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ということで、まだ日が高かったけど、一応目的地までは到着。さて、どうする?もう少し行く?なんて話していたところに湯本行のバス。じゃあ、ここまでにしようということで、バスに乗り箱根湯本駅へ向かったのでした。
次回はいよいよ、ここから最終ゴールの箱根の関所へ向かいます。
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